華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

I Fought the Law もしくは世界で一番CMなんかに使ってほしくない歌 (1978. The Clash)


I Fought the Law

I Fought the Law

英語原詞はこちら


Breakin' rocks in the hot sun
I fought the law and'a the law won
I fought the law and'a the law won
I needed money 'cause I had none
I fought the law and'a the law won
I fought the law and'a the law won

灼けつく太陽の下で
岩盤をかち割っている。
おれは法律と戦って
そして法律が勝ったんだ。
おれにはカネが必要だった。
なぜなら持っていなかったから。
おれは法律と戦って
そして法律が勝ったんだ。


I left my baby and it feels so bad
I guess my race is run
She's the best girl that I ever had
I fought the law and'a the law won
I fought the law and'a

おれは彼女を置いてきた。
そんでもって最悪の気分だ。
おれのレースはラン
ということはつまり運の尽き
そしてなおかつ走り続けるのが
おれの宿命だということ。
彼女はおれが出会ってきた中でも
最高の女の子だった。
おれは法律と戦って
そして法律が勝ったんだ。
おれは法律と戦ってそして…


Robbin' people with a six-gun
I fought the law and'a the law won
I fought the law and'a the law won
I lost my girl and I lost my fun
I fought the law and'a the law won
I fought the law and'a the law won

六連発のリボルバーで
人から金品を奪う仕事。
おれは法律と戦って
そして法律が勝ったんだ。
おれは彼女を失って
楽しいことも失った。
おれは法律と戦って
そして法律が勝ったんだ。


Breakin' rocks in the hot sun
I fought the law and'a the law won
I fought the law and'a the law won
I needed money 'cause I had none
I fought the law and'a the law won
I fought the law and'a the law won

灼けつく太陽の下で
岩盤をかち割っている。
おれは法律と戦って
そして法律が勝ったんだ。
おれにはカネが必要だった。
なぜなら持っていなかったから。
おれは法律と戦って
そして法律が勝ったんだ。


I Fought the Law (Bobby Fuller Four)

この曲は元々、バディ·ホリー飛行機事故で亡くなった後にクリケッツに加入したソニー·カーティスという人が1958年に作った曲だったとのことであり、それをボビー·フュラー·フォーというグループが1965年にカバーして全米トップ10に入るヒット曲になったのだとのこと。そのグループが歌うバージョンのこの歌をYouTubeで初めて見たのだけれど、それはそれは古き良きロックンロールという感じの映像だった。「Six gun」のところでギターを銃に見立てていたりするあたりに、古さ良さを感じる。それにつけても後ろでエレキ天国的な振り付けを御機嫌に踊ってらっしゃるお姉さんたち、今ではもう全員が70〜80歳というお年になっておられるのだなあ。

この曲がクラッシュによってカバーされることになった顛末については、Wikipediaの英語版に記載があったので、訳出しておきたい。

In mid-1978, the Clash were working on their second album, Give ‘Em Enough Rope. Singer Joe Strummer and guitarist Mick Jones flew out to San Francisco to record overdubs in September–October at the Automatt studio. The owner of The Automatt kept his collection of classic jukeboxes distributed around the various rooms of the studio complex. Strummer and Jones listened to the Bobby Fuller version of “I Fought the Law” for the first time on one of the jukeboxes, and by the time they returned to England they could perform the song.
1978年の夏、クラッシュはセカンドアルバムにあたる「Give ‘Em Enough Rope」に取り組んでいた。ボーカル&ギタリストのジョー·ストラマーとミック·ジョーンズは9月から10月にかけ、オーバーダビングの録音のためにサンフランシスコのオートマット·スタジオに飛んでいた。オートマットのオーナーは年代物のジュークボックスのコレクションを持っていて、それがスタジオの入った建物の至る所で自由に聞けるようになっていた。ストラマーとジョーンズはそのジュークボックスでボビー·フュラーバージョンの「I Fought the Law」を初めて聞いて、イングランドに帰る頃にはもう、それを演奏できるようになっていた。

Their version first appeared on the EP The Cost of Living in May 1979 in the UK, and then later in 1979 was made part of the American edition of the Clash’s eponymous album. This cover version helped gain the Clash their first taste of airplay in the States and is one of the best-known cover versions of the song. The live recording of the song, performed at the Lyceum Theatre, West End, London on December 28, 1978, features as the last piece of the 1980 film Rude Boy directed by Jack Hazan and David Mingay. The Clash were dressed all in black for that gig and the song, at that stage, was considered the film’s title song. On July 26, 1979, “I Fought the Law” was the first single by the band to be released in the United States.
クラッシュのバージョンはまず1979年5月にイギリスでリリースされたEP「Cost of Living」で登場し、次いで同年にアメリカでリリースされたかれらのファーストアルバムのUS版に収められた。この曲はアメリカでのクラッシュの第一印象を形成し、かつもっともよく知られた「I Fought the Law」のカバーバージョンのひとつとなった。1978年12月28日にロンドンのウエストエンド文化会館で演奏されたライブバージョンは、ジャック·ヘイゼンとデヴィッド·ミンゲイによる1980年の映画「Rude Boy」の最後の曲として使われている。1979年7月26日、「I Fought the Law」はアメリカにおけるクラッシュのファーストシングルとして発売された。

=翻訳をめぐって=

Breakin' rocks in the hot sun

毎度言い訳がましく書かせてもらっているのだけれど、私はネイティブの英語話者ではない。なので「Breaking」という「現在分詞」で始まるこの冒頭フレーズが、ネイティブの人たちの耳には「ロックを壊している(いた)」という「進行形」で聞こえているのか、それとも「ロックを壊すということ」といった感じで「体言止め」的に聞こえているのか、その「感じ方」についてまでは想像でしか書きようがない。あくまで想像として言うのだけれど、おそらくはその「両方」なのだと思う。最近の記事でそのあたりのことに集中的に触れたことがあったが、英語というのはどうも「そういう言語」らしいのである。

そのことの上で「rock」の直訳はもちろん「岩」なのだが、同時にこの単語はそれだけで「ロック(という音楽)」のことを意味する言葉でもある。とりわけロックを歌うミュージシャンがこの言葉を使う場合、そのことが意識されていないはずはないと思う。だからこの冒頭のフレーズから聞き手の脳裏に呼び起こされるのは、灼熱の太陽の下で歌い手が「岩を砕いている」と同時に「ロックという音楽そのものを破壊している」という「二重の情景」であることになる。

この歌の主人公は、後段で明らかになるように「法律と戦って、そして敗北した」人物である。その「刑罰」として、炎天下で岩を砕く重労働をさせられているのだということは、絵的に考えて何ら不自然な情景ではない。しかし「ロック(という音楽)を破壊する」ということは、この歌の文脈の中ではどんな意味を持ってくることになるだろうか。ロックという音楽はそれ自体がそもそも「破壊」みたいなものだから、「Breakin' rocks」というフレーズは単に「激しく気持ちよくロックを演奏する」というだけの意味にもとれる。一方で70年代後半から80年代にかけての「パンク」という文化潮流の中から登場したクラッシュというバンドは、当初から「ロック」という「既成文化」を「破壊」することを目指してもいたわけである。たぶんそれはどっちの意味においてもこの人たちにとって、「しっくり来るフレーズ」だったのではないかと思う。アメリカのスタジオのジュークボックスで偶然聞いたこの歌がメンバー二人の心に「残り続けた」のは、そういう理由があってのことだったのだろう。

しかしながら主人公がそんな風に「ロックという音楽の破壊」という行為に踏み込んだことが「法律と戦って負けたこと」の「結果」であるとするならば、話はいろいろとややこしくなってくる。じゃあ何だろうか。「ロックを壊すということ」は主人公にとっては「刑罰」であり、本当はやりたくないにも関わらずクラッシュの皆さんは自分たちの大好きな「ロック」を「破壊」することを心ならずも強いられていた、ということになるのだろうか。それとも「法律」という「でっかい敵」と戦って「勝てなかった」ものだから、その腹いせに「既成のロック」という「ちっちゃい敵」を相手に暴れまくることで「うっぷん晴らし」をしています、というのがこの歌詞の心なのだろうか。どちらの解釈もそれはそれで成立しそうに思えてしまうのは、クラッシュというのが「そういう人たち」だったからなのではないかと思う。すなわち、「でっかいところ」もあれば「ちっちゃいところ」もある「等身大」の人たちだったという意味においてである。

さらに読みようによっては「ロックを破壊するという行為」そのものがかれらにとっての「法律との戦い方」であり、それが「敗れた」のだという読み方もできるような気がするわけで、少なくとも文法的なことだけ言うならば上に挙げたことは全部「解釈としてありうる幅」なのである。思うにジョー·ストラマーとミック·ジョーンズは大西洋の向こう側の異国のさらに西海岸でこの曲と出会い、「これはおれたち自身のことを歌っている歌だ」と直感したことの上で、その「おれたち自身」がやっていることは一体何なのか、わけがわからなくなるような気持ちにとらわれてしまったのではないだろうか。その「わけがわからなくなる気持ち」というのは、もとより定義できるような性格なものではないわけだけど、それだけに極めて「リアル」なものだ。聞き手がどういう受け止め方をするにせよ、クラッシュが演奏するこの歌の中にみなぎっている「リアルな感じ」はそこから生まれているのではないかと、とりあえず私自身は勝手に受け止めている。

いずれにしても間違いなく言えることは、「ロックという音楽」で刹那的に気持ちよくなることもそれはそれでいいけれど、この人たちが「本当にやりたいこと」というのは「法律」という「巨大な敵」に「勝つ」ことなのである。それにも関わらずこの人たちにも私たちにも、「勝つ」ことはできていない。だからこの人たちの「ロック」も私たちの日常も必然的に「その程度のもの」にしかなり得るはずがないわけで、その口惜しさだけは誰が何と言おうと私にも分かるよ。このブログだってそれと同じようなものだもの。その口惜しさを忘れないためのテーマソングとして聞き続ける分には、この歌は本当に「名曲」だと思う。けれどもこの歌で本当に「楽しく」なるようなことになってしまったら、たぶん私にもこの人たちにも、未来はないということなんだろうな。

....蛇足ながら本来は「岩」を意味する「ロック」という言葉がどうして「音楽の1ジャンル」の名前になったのか、こんなブログをやっていながら今まで一度も触れたことがなかったので触れるだけは触れておきたいと思うのだけど、結論から言うなら「わからない」というのが実際のところであるらしい。「ロックンロール」の「ロール」は「揺する」とか「回す」という意味なので、それなりにそれがどういう音楽であるかを表現した単語になっているけれど、「ロック」にはひたすら「岩」という意味しかなかったはずなのである。Wikipediaなどには「性交」や「交合」を意味するスラングが語源だった的なことが書かれているのだが、それなら「ロック」がどうして「性交」や「交合」を意味するスラングになりえたのかということが問題になる。まあ、完全に想像なのだけど、「岩のように固く緊密に結びつく」という意味で「ロック」という言葉が使われていたのだろうという風にしか考えられない。「それと同じ感覚」を、50年代のアメリカの主にアフリカ系の人たちは、自分たちの間から生まれた新しい音楽の中に感じたということなのだろう。このことから考えて「ロック」という言葉の「語感」をあえて日本語的に表現するならば

ガチ
ということになるのではないだろうか。

知らんのやけど。

I fought the law and'a the law won

「fight」は他動詞なので、「I fought the law」で「法律戦った」という意味になる。「法律戦った」と訳したくなるような字面だが、たぶん語感としてはそっちの方が「正解」で、これをあえて「」に「変換」して翻訳しようとすることの方が、むしろ「日本語の感覚に引き寄せた意訳」になってしまうのだと思う。英語と日本語では「感じ方」が違うのである。「I marry you」で「君結婚する」になるなど、日本語話者の感覚からすれば「独特」に思われる言い回しは他にもちょくちょくある。テストで「with」や「to」をつけてバツにされた記憶ばかりが生々しく残っているのだけれど、そういうテストがつくづく罪作りだと思うのは、そうした「感じ方の違い」を「味わう」ことのできる気持ちのゆとりみたいなものを、学習者からことごとく奪ってしまう点である。

それにしても「ろー·うぉん」というたった二音節だけに「法律が勝利した」という圧倒的な情報量を詰め込めてしまうこの歌詞の作り方は、やはり日本語ではマネできない。まあ、逆に英語話者の方がマネのできない日本語の歌詞の作り方だって、探せばいくらでもあるのだろうけれど。

I needed money 'cause I had none

クラッシュが作った歌ではないわけだが、とてもクラッシュ的な歌詞だと思う。「Rudie Can't Fail」という歌の中の同じようなフレーズを私が大好きであることは、以前の記事で触れた通り。
nagi1995.hatenablog.com

I left my baby and it feels so bad
I guess my race is run

「my race is run」の直訳は「私のレースは走られた」で、これが「一巻の終わり」とか「年貢の納め時」とかいった意味の慣用句になるのだとのこと。映画などでは敵を追いつめた場面なんかで「your race is run」という台詞が時々聞かれる。

ただし「race」には「人種」「種族」といった別の意味もあり、その意味で読むならば「私は走り続けることを運命づけられた種族に属する人間である」的な読み方も可能になる。すなわち主人公の男性は生まれつき貧しかったり育ってきた環境がそうだったりして、いつも法律の目をかいくぐりながら危ない橋を渡って生きてきた、といったような意味である。やや無理のある読み方であるようにも思えたが、海外サイトで「私はそういう意味だと思って聞いてきた」と英語話者の人自身がコメントしていたので、それは無視することのできない解釈の幅だと思い、試訳では両方の意味で訳出した。


BORO 走る階級

Robbin' people with a six-gun

「six-gun」は「銃が六丁」という意味だと思っていたのだけれど、調べてみたら「六連発のリボルバー」の通称を「six-gun」と言うのだとのこと。確かに考えてみれば、「銃が六丁」なら「six guns」になるはずだし、そもそも一人では扱えない。もっともロックの歌詞というものは、文法的にはそんなに厳密でない場合も実にしばしばあるのだが。


泥海古記 (伝承の一形態として)

天理教の教祖中山みきの最後の言葉は、「さあさあ、神が怖いか、律が怖いか」という信者たちへの「突きつけ」だったと伝えられている。その日、旧暦の1月26日は、生きる喜びを歌と踊りで表現する「かぐらづとめ」の日にあたっていたが、天皇制と真っ向から対立して「人間は平等である」という教えを説いていた中山みきに対する明治政府の弾圧が頂点に達していた時期のことであり、中山家の周囲は始終官憲に囲まれていて、少しでも目立つことをすれば病床の彼女ともども全員連行されることが予想された。それを懸念して躊躇している信者たちに対し、「何をしてるんや。恐れずに歌って踊れ」という「せきこみ」として発せられたのが、上の言葉だったわけである。これを受けて信者たちは「命を捨ててもという者だけでも、おつとめをさせてもらおう」と勇み立ち、12下りある「みかぐらうた」の最後の一節までが歌い終えられるのを聞き届けて、中山みきは息を引き取った。そのように伝えられている。

その後、天皇制に迎合し戦争にも協力して宗教法人の認可を得た天理教という宗教が「法律に勝った」のかといえば、全然「勝って」いないわけだし、「神が怖いか」と聞かれてみれば、正直言って私自身は今まで何度も書いてきたごとく、「神さん」のことを心から「信じた」経験というものが一度もない。それでも、心の中に何らかの信念を持って生きようとするのであれば、法律などというものを恐れるのは「恥ずかしいこと」だという「価値観」が私の中に根づいているのは、そういう話を聞かされて育ったことが間違いなく影響しているのだと思う。その点に関してだけは天理教の家に生まれて「よかった」と、思わないでもない。最後になって丸っきり関係のない話をしているようだが、この歌の歌詞を聞くたびに私が思うのは、そういうことなのである。

…「自分として言える精一杯の気持ち」を綴ってはみたものの、それでもやっぱり親が読んだら怒るような文章を、書いてしまったことになるのだろうな。

でもまたいずれ。


=楽曲データ=
Originally Released by The Crickets
(1960.12.4)
Bobby Fuller Four version: 1965.12.
The Clash version: 1979.7.26.
Key: D