華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Holidays in the Sun もしくはてめーなんていなくたってまったくヘーキンタマ (1977. Sex Pistols)


Holidays in the Sun

Holidays in the Sun

英語原詞はこちら


A cheap holiday in other people's misery!
他人の不幸につきあわされてる
つまんねえ休日!


I don't want to holiday in the sun
I want to go to the new Belsen
I want to see some history
'Cause now I got a reasonable economy

お日様の下で休日を過ごしたいなんて
思わないぜ。
新装開店で復活した
ベルゼン収容所に行ってみたいのだぜ。
歴史ってやつをちょっとばかり
目にしておきたいように思うのだ。
なぜって今じゃこっちには
合理的な経済ってやつが
味方してくれてるんだぜ。


Oh now I got a reason
Now I got a reason
Now I got a reason
And I'm still waiting
Now I got a reason
Now I got a reason
To be waiting
The Berlin wall

これで理由ができたんだ。
これで理由ができたんだ。
おれには理由ができたんだ。
そんでもっておれはまだ待ってるぜ。
これで理由ができたんだ。
待っているための理由ができたんだ。
ベルリンの壁よ。


In Sensurround sound in a two inch wall
Well I was waiting for the communist call
I didn't ask for sunshine
And I got world war three
I'm looking over the wall
And they're looking at me

厚さ2インチの壁に埋め込まれた
センサラウンドの音響の中に
おれはコミュニストからの呼びかけの声が
聞こえてくるのを待ち受けていたんだ。
太陽の光なんて求めた覚えはなく
そしておれの前にあったのは
第三次世界大戦だった。
おれは壁の向こうを見わたしている。
向こうだってこっちのことを
見つめているのがわかるぜ。


Oh now I got a reason
Now I got a reason
Now I got a reason
And I'm still waiting
Now I got a reason
Now I got a reason
To be waiting
The Berlin wall

これで理由ができたんだ。
これで理由ができたんだ。
おれには理由ができたんだ。
そんでもっておれはまだ待ってるぜ。
これで理由ができたんだ。
待っているための理由ができたんだ。
ベルリンの壁よ。


They're staring all night
And they're staring all day.
I had no reason to be here at all.
Oh now I got a reason it's no real reason
And I'm waiting at Berlin wall

向こうは一晩中見つめてるし
昼間も一日中見つめてるぜ。
ここにいる理由なんて実際のところ
おれには何もなかったのさ。
今じゃおれには理由ができた。
大した理由じゃないけどよ。
それでおれは
ベルリンの壁で待ってるわけだ。


I gotta go over the Berlin Wall
I don't understand this bit at all
I'm gonna go over and over the Berlin wall
I gotta go over the Berlin Wall
I'm gonna go over the Berlin wall

おれはあのベルリンの壁を
越えてやらなくちゃいけないんだ。
意味なんて全然わかんねーけどよ。
おれはあのベルリンの壁を
越えて越えて越えまくってやるぞ。
あのベルリンの壁を
越えてやらなくちゃいけないんだ。
あのベルリンの壁を越えてやるぞ。


Claustrophobia yeah,
there's too much paranoia
There's too many closets
I went in before
And now I got a reason
It's no real reason to be waiting
The Berlin wall

閉所恐怖症ってやつだ。
パラノイア(「被害妄想」)だらけだここは。
おれが隠れたことのある引きこもり場所は
数えきれないぜ。
そして今では理由ができた。
待ってるためには
大した理由じゃないけどよ。
ベルリンの壁だ。


I gotta go over the wall
I don't understand this bit at all
This third rate B-movie show
Cheap dialogue, cheap essential scenery
I gotta go over the wall
I wanna go over the Berlin Wall
Before me, come over the Berlin Wall
I don't understand this bit at all
I gotta go over the wall
I wanna go over the Berlin Wall
I gotta go over the Berlin Wall
Before me, come over the Berlin Wall
I don't understand this bit at all
Please don't be waiting for me

あの壁を
越えてやらなくちゃいけないんだよ。
意味なんて全然わかんねーけどよ。
こんなの三流B級映画だよ。
つまんねー会話に
つまんねー基本的な舞台装置。
おれは壁を越えなくちゃいけないんだよ。
ベルリンの壁を越えてやりたいんだよ。
おれがそうするより先に
そっちもベルリンの壁を越えて来いよ。
意味なんて全然わかんねーけどよ。
おれが行くのを待っててくれたり
してなくたっていいんだぜ。



アナーキスト(無政府主義者)というのは資本主義の側からも共産主義の側からも「無責任」であるとして批判されがちな人たちで、実際それが「魅力」でもあるのだろうけれど、「弱点」にもなっている人たちなのだと思う。この人たちはとにかく「権力」というものが大嫌いな人たちで、「今ある体制」を「ぶち壊す」ことにありったけの情熱を注ぎ込んでいる。「ぶち壊した後」のことは基本的に何も考えていないから、ひとたび行動を起こした時の「破壊力」たるや、ハッキリ言って「最強」である。事実、1930年代のスペイン内戦においても、ファシストとの戦闘において最も強くて勇敢だったのは、アナーキストによって組織された軍隊だったと伝えられている。

その代わり、「ぶち壊すべき敵」の姿を見失ってしまうとたちまち何をどうしていいか分からなくなり、容易に体制に取り込まれたり、右翼とくっついてしまったり、ともすればその「破壊衝動」を「自分自身」に向けてしまうことまで起こりがちなのは、この人たちの思想性が持ち合わせている宿命的な弱点なのだと言えるだろう。好きかキライかで言えば迷いなく好きだと言えるけど、それが正しいか間違っているかという問題で言うならば、私にはなかなか簡単に答えが出せそうに思えない。

I am an anarchist (おれはアナーキストだ)」という絶叫と共にジョニー·ロットンという人は登場したわけではあるけれど、この人が言葉の正しい意味での「アナーキスト」であったのかどうか、私にはよく分からない。むしろそんな風に「自分をどういう言葉で定義するのか」といったような設問自体を、心の底から「どーでもいい」と思っていた人だったとしか思えない。自らもパンク歌手である作家の町田康氏はジョニー·ロットンという人のことを

顔面を殴られて血だらけにされてもヘラヘラしながら「おまえ、ひと殴って、おもろい?」とか平気で言い続けてそうな人

だと思うと評していたが、つくづく言い得て妙だと感じると同時に、「愛」がなければ書けない人物評だと思った。自分も同じようにこの人やこのバンドのことを「愛する」ことができるかといえば、正直言って自信がない。自分自身の生き方として考えるなら、そういう生き方も確かに「魅力的」であるように思える。ハッキリ言って「無敵」だと思う。でもこういう人と「友だち」になれるかと言われたら、そりゃ行く行くは世界の全ての人たちと分け隔てなく友だちになりたいと心から思っている私ではあるのだけれど、逃げ出さずにいられる自信がない。どう転んだって「傷つくのは自分だけ」という関係性しか、作りようがないように思うもの。

考えてみれば今までクラッシュの曲はいくつもこのブログで取りあげてきたけれど、ピストルズに関しては「セブンティーン」一曲を取りあげたきりで、ずっと正面から向き合うことを避けてきた。「まじめなコミュニスト」というイメージみなぎるクラッシュと比べて、「不真面目なアナーキスト」であることに全てを賭けていたような印象のあるピストルズというバンドは、やっぱり「扱いにくい」のである。(そりゃもちろん世の中には「まじめなアナーキスト」や「不真面目なコミュニスト」だって、いくらでもいることだろうけど)。繰り返しになるけれど、好きかキライかで言うならば「大好き」だ。しかし自分で真似したいとは思わないし、人に薦めたいバンドであるとも思えない。責任もってお薦めできる要素がどこにあるのかという問題に、全くもって答えを出せない。批判すべき点があるのだとしたら、今までにもいくつもかつて愛したバンドを泣きの涙でぶった切ってきたように、正面から批判しつくしてやった方が本人たちのためにも世の中のためにも私自身のためにもいいのではないか。とも一方では思う。しかしこの人たちに関してばかりは、おいそれと「切って捨てる」ことのできる自信がない。「不真面目であり続けること」に対してこれほどまでに「まじめ」だった人たちは、やはり20世紀の世界史のどこを探しても他に見つからないからである。そして私の知る限り今もなおジョニー·ロットン=ジョン·ライドンという人は、ストイックなまでに「不真面目な生き方」を貫き続けている。



1990年代の中学生だった私が、「どうあってもこのバンドを聞かなければならない」という気持ちにさせられたキッカケは、何だったろうか。ずっと忘れていたのだけれど、よくよく思い出してみると「ジャケットのインパクト」だけだったのではないかという感じがする。近鉄奈良駅西側のビブレのあった商店街がいまだ「小西通り」と呼ばれていた頃、入口ちかくの古民家を改造したレコード屋さんで私は例の「黄色とピンクのアルバム」の「LP」に出会ったのだった。店で売っている音楽記録媒体(「メディア」という言葉は当時は「マスコミ」という意味でしか使われていなかったと思う)はほとんどCDに取って代わられていた時代ではあったけど、一辺31センチのLPジャケットが視覚に与える迫力というものは、CDのそれが絵ハガキに思えてしまうぐらいに圧倒的なものだった。その包装フィルムの右上のところに

「パンク」の原点。誰もがバンドで自らを表現できる時代を最初に切り開いたのがこのアルバムだった…

みたいな店主さんの手書きの煽り文が添えられていて、それを見た瞬間に「自分はこのレコードと出会うべくして出会ってしまったのだ」という気持ちが込みあげてきたことを覚えている。盤面に「SEX」と大書されたド派手なLPをレジまで持って行くことは、中学生だった私にとって人のいる書店でエロ本を買うのと同じくらいに「勇気」が必要なことだった。店主さんの顔をよー見やんでお金を払ったことも、覚えている。

「勝手にしやがれ」という邦題、もしくはニルヴァーナの代表作となったアルバムと同じ「ネヴァーマインド」という呼び名で有名なこのピストルズの唯一の公式アルバムの正式なタイトルは、「Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistols」と言う。「Bollocks」は辞書で引くと「睾丸(複数)」とあった。ちょうど同時期にスピリッツで連載されていた吉田聡の「トラキーヨ」というマンガの下の場面のイメージが余りにそのアルバムタイトルとよくハマっていたものだから、ピストルズを聞くたびに私がいまだに思い出すのはこのマンガである。



Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistols」を「ちゃんと」翻訳したらどういう日本語になるのだろうということはずっと考えているのだけれど、なかなか「これだ」と思える答えが出ない。英語の「Never Mind」は相当に「守備範囲の広い言葉」であるからだ。字面から浮かんでくる訳し方としては

  • 知るかキンタマども。セックス·ピストルズ参上。
  • 気にすることはないキンタマ諸君。セックス·ピストルズが来たぞ。
  • キンタマのことは忘れろ。ここにいるのはセックス·ピストルズだ。
  • キンタマどころじゃねーぞ、セックス·ピストルズだ!
  • セックス·ピストルズだ!当たると痛てーぞ!

…等々、かなりな「振れ幅」を持ったフレーズなのである。私にとって一番しっくり来るのは何十年経っても「まったくヘーキンタマ」なのだけど、まあ上記のような文脈の中からそれぞれの人が「自分にとってのピストルズのイメージと一番あった訳し方」を見つけることができれば、それに越したことは無いのではないかと思う。いずれにしても「勝手にしやがれ」というのは、そう読める幅がゼロだとまでは言わないにしても、相当な「意訳」になっていると思って間違いない。あと、「Bollocks」という単語の響きが日本語の「ボロクソ」「ボロっカス」みたいなフレーズとカブって聞こえることも、10代の私にとっては「大きな意味」を持っていたのだが、キリがないので歌の話に移ろう。

その「Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistols」のA面1曲目、すなわち私にとってのピストルズとの出会いとなった曲こそが、ラモーンズのおかげで今回ようやく取りあげることになった「Holidays in the Sun」であったわけだ。英語なんてまだ全然わからなかった頃のことではあるけれど、こんなにも「歌詞が真っ直ぐ胸に飛び込んでくる外国の歌」には初めて出会ったような気がした。

A cheap holiday in other people's misery!
他人の不幸につきあわされてる
つまんねえ休日!

という冒頭のフレーズ(と歌詞カードに載っていたその訳詞)の時点からして、「そ、そ、そんな休日は確かにつまらない!」と私はグウの音も出なくなっていた。「history」、「economy」、文脈的なつながりは分からなくてもそうした単語が聞こえるだけで「社会派の歌」であることが痛烈に伝わってきて、かつ語尾をいちいち「〜や!」と母音つきで発音するジョニーロットンの独特の歌い方は、「地元の関西弁で罵倒されてるのと変わらない印象」を私に与えた。そして何よりも衝撃的だったのは

Now I got a reason
Now I got a reason…

という歌詞の「連呼」である。人間というものはまず何らかの「理由」があって、それにもとづいて「行動」するそういう生き物なのだとそれまで私は思い込んでいた。と言うかそう思い込んでいたことに、この歌を聞いて初めて気づかされた。ところがこの歌の主人公にはまず「行動」があり、「理由」は「後付け」なのである。

そういう生き方があったのか!

というぐらいの衝撃を、私はこの歌詞から、受けたのだ。それはある意味とんでもなく「邪悪」で、人間社会に存在するあらゆるルールの前提を引っくり返してしまうような「ずっこい」生き方にも思えたけれど、反面そんな風に「割り切って」しまうことのできた人間に自分なんかは一生勝ち目がないだろうな、という「畏怖の念」をも、私に感じさせずにおかないものだった。

考えてみればそれまでの私というのは、「理由を探す」ことに自分をスリ減らすだけの生き方しか、「見えて」いなかったのだと思う。「何の理由か」と言われたら今でも困るが、そういう時にはとりあえず「生きる理由」と言っておくことにしよう。ところがそんなそれまでの「格闘」の全てを、私はこの歌によって真っ向から「嘲笑」されてしまったわけなのだ。「自分が納得できる理由」などというものは、まず自分の立っているその場所から動き出すことをしない限り、どこを探したって見つかるわけはない。世の中は「動いた人間」の「勝ち」だし、さしあたり「動き出すための理由」などというものは、それこそ「何でもいい」のだ。この歌はそう「うそぶいて」いた。しかし「納得できる理由」もないのに「動き出す」なんて、そんな「怖い」ことが、できるものだろうか。まだ心の準備もできてないのに。大体私は「勝ち」とか「負け」とかそういうところに価値観を置くのはいかがなものかということを常日頃からですね。え。て言っかマジ?今から?ほんまに?いやちょっと、でも待って…え?そんな、うぜやん(嘘でしょう)、あっ、ああっ、

ああっ!

…みたいな形で、結局私は自分自身、その後の人生を歩む羽目になってしまったのである。そうすることができて心から良かったと思っているいろんなことも、いくら後悔してもし足りないくらい取り返しのつかないことも、この曲との出会いがなければ結局、何も始まりさえしなかったことになる。その意味ではこの曲とこのバンドから、私は文字通り「人生を変えられて」しまったわけなのだ。今さら客観的なことなんて、書けるわけがない。

私はそんな風にこの歌から「生き方を変えるメッセージ」を一方的に受け取ってしまったわけなのだが、そんな私の感じ方とは裏腹に、この歌が作られた背景やこの歌に歌い込まれている内容というのは、極めて「即物的」なものであるらしい。何でも1975年のデビュー以来、イギリス国内で騒ぎを起こしまくったピストルズは、「しばらく国外でなりを潜めてろ」という意味合いを込めて、プロデューサーのマルコム·マクラーレンから、イギリス海峡に浮かぶジャージー島というところでの休暇をプレゼントされたのだけど、それが全然楽しくなく、このことが「太陽の下の休暇なんて要らないぜ」という歌詞になった。一方、そこがあまりにつまらなかったもので、当時は「ベルリンの壁」によって陸の孤島状態になっていた西ベルリンに行ってみたところ、気候や雰囲気は陰鬱そのものだったのだけど、ピストルズの面々にとってはとても楽しいところで、そこでやったことや思ったことが、残りの部分の歌詞になった。ということなのだという。私にとっての個人的な「パンク初体験」のエピソードに自分自身初めて踏み込んだ今回の記事ではあるわけだが、この調子で書いていると終わらなくなってしまう。気持ちを切り替えて「うたを翻訳すること」というこのブログの原点に立ち返るべく、ここからはこの歌の歌詞の内容に絞って、話を進めてゆくことにしたい。以下はこの歌がどのようにして書かれたかをめぐる、ジョニー·ロットン自身のコメント。

"Being in London at the time made us feel like we were trapped in a prison camp environment. There was hatred and constant threat of violence. The best thing we could do was to go set up in a prison camp somewhere else. Berlin and its decadence was a good idea. The song came about from that. I loved Berlin. I loved the wall and the insanity of the place. The communists looked in on the circus atmosphere of West Berlin, which never went to sleep, and that would be their impression of the West."
あの頃、ロンドンにいることはおれたちにとって、囚人キャンプにぶち込まれたような気分だった。憎しみと、絶え間ない暴力の恐怖。そればっかりだった。一番いいのは、どこか別の囚人キャンプに行ってリフレッシュすることだったと言えるだろう。ベルリンとあそこの退廃的な雰囲気は、最高だった。この歌はそこから生まれたんだ。おれはベルリンが好きだったぜ。あの壁と、あの場所にくっついたinsanityが大好きだった。西ベルリンのサーカスみたいな空気を、共産主義者(東ドイツの人々)は外から見つめていた。眠らない街だ。それがあの人たちの、西側世界に対するイメージだったんじゃないかな。

「insanity」は「精神病者」に対する差別表現です。ここでは原文をそのまま転載しました。

=翻訳をめぐって=



若い読者の皆さんのためにはまず、この歌に歌い込まれている「ベルリンの壁」とは一体なんだったのか、というところから話を進めて行くべきなのだと思う。詳しい歴史的背景については「ジャンル別インデックス」の「東西冷戦にまつわる歌」の項目の諸記事を参照されたいが、私が小学校4年生だった1990年に至るまで、かつてドイツという国は「東ドイツ」と「西ドイツ」という二国家に、上図のごとく「分断」されていた。ナチスの「第三帝国」の崩壊後、ドイツはソ連とアメリカ、イギリス、フランスの4カ国によって「分割占領」され、このうちソ連に占領されていた東側の部分が社会主義体制のもとで、他の3カ国に占領されていた西側の部分が資本主義体制のもとで、それぞれ別々に「独立」の道を歩むことになったのである。

第三帝国の首都だったベルリン市は上図のごとく丸ごとソ連の占領地域の真ん中に位置していたのだが、この街だけは何ぶん「首都」だったもので、下図のように街全体がさらに4カ国によって「分割占領」されていた。ソ連はベルリン市の全域を自らの制圧下に置くべく、1948年6月に西ベルリンに出入りする全ての陸路を封鎖する「ベルリン封鎖」を強行するが、西側3カ国は空から生活物資を搬入する「大空輸作戦」でこれに対抗し、西ベルリンの自治体にソ連寄りの行政権力が樹立されることを阻止。結局1949年に東西ドイツが別々に「独立」した後にも、西側3カ国によるベルリンの占領地だけは、占領地のまま「飛び地」として、社会主義体制の東ドイツの真ん中に取り残されることになった。西ドイツとの交通は空路および、東ドイツ領内には1ヶ所も駅のない専用の直通鉄道と、おなじく東ドイツ領内には1ヶ所も出口のない専用の直通高速道路のみ。文字通りの「陸の孤島」だった。



当初、西ベルリンと東ベルリンとの交通は「自由」だったらしいのだが、1952年に東西ドイツの国境線が封鎖されて以降は、西ベルリンを経由しての人口流出が相次いだため、1961年8月13日午前零時、東ドイツ政府は突如として東ベルリンと西ベルリンの間の全ての交通路を遮断。西ベルリンの市街は、東西ベルリン間48キロを含む総延長155キロの有刺鉄線によって一夜の内に完全に囲いこまれ、さらにその2日後には「石造りの壁」の建設が始まった。前日までは仕事や遊びで当たり前のように往来していた人々、わずか数ブロック離れた場所に住んでいた家族や友人たちが、その日を境に「引き裂かれる」ことになった。



「壁」はそもそも東ドイツの側が一方的に建設したものだったから、西ベルリンの側からはそばによって手で触れることもできたし、後には下の写真のような「壁の向こうを見渡せる展望台」まで建設され、西側諸国から訪れる観光客の「人気スポット」になっていたという。けれども東ベルリンの側には二重のフェンスと「国境警備兵」が配備され、壁を越えて西側に行こうとした人には容赦なく銃撃が加えられ、28年間の間に数百人を下らない人々が、命を落とすことになった。「平和な市民生活」の真ん中に突如として出現した「壁」の存在は、「東西冷戦の象徴」となり、自分たちが暮らしているのは「第三次世界大戦の危機」と隣り合わせの時代なのだということ、もしもそれが「始まった」なら、飛び交う核兵器によって一瞬で消滅させられる日常の中を自分たちは生きているのだということを、世界中の人々に嫌でも認識させることになった。その「壁」は文字通り、人間の歴史の行く手に立ちはだかる「壁」としての意味を持っていたと言えるだろう。人間社会に「平和」が訪れることがあるとすれば、それはこの「壁」が壊される時だけだということを、誰もが頭では理解していた。でもそんな日が訪れるなんて当時は誰にも信じられなかったし、とりわけ生まれた時から「壁があること」を「当たり前の現実」として育ってきた若い世代にとっては、そうだったはずだと思う。日本で小学生をやっていた私ですら、そう感じながら暮らしていたことを、何となくではあるけれど今でも覚えている。



1989年11月9日にベルリンの壁が「崩壊」したことは、同年1月の「昭和天皇」裕仁の死や6月の天安門事件と並び、そんな私にとっての「原体験」と言える出来事のひとつとなった。世界が音を立てて「変わってゆく」のが肌で感じられ、それに振り回されているような感覚があったけれども、同時にその混乱の中から世の中はどんどん「良くなって」ゆくのだろうなといった、期待と興奮に似たものも感じていた。当時の自分が学校教育やマスコミの報道に対して全く「疑いを知らない年頃」だったことも、あったのだと思う。今にしてみれば前天皇明仁の「即位の礼」と結びつけて「新たな時代の始まり」の祝賀ムードを演出する政治的意図が相当に働いていたのだと思うが、テレビには壊された壁の上によじ登って「終わらないお祭り騒ぎ」を繰り広げるドイツの人たちの姿が連日映し出され、どの顔も本当に、幸せに輝いていた。世界はついに「平和」になったのだし、ゆくゆくは「ひとつに」なってゆくに違いない。そんな時代の始まりの目撃者となれたことは、幸福なことだ。当時の新聞か何かに書いてあった文言がそのまま頭に残っただけなのかもしれないけれど、当時の私は子ども心に「心から」そう感じていた。あれから今年で、ちょうど30年にもなってしまうのだな。



実際には世界は「全然そうならなかった」ということを、21世紀に生きる我々は誰もが知っている。はずである。「一人勝ち」を収めたはずの資本主義経済はむしろそれによって完全に「歯止め」を失い、貧富の差の拡大と地球環境の破壊を際限なく繰り返しながら「恐慌」状態に突入した。出口のない経済危機の中で世界中どこにおいても差別主義と排外主義が煽り立てられ、「反逆」のエネルギーは政治表現を奪われて「テロ」としての形をとらざるを得ないところにまで、追い込まれている。大きな戦争も、いくつも起きた。東西冷戦の結果、と言うより日本による植民地支配がなければ絶対に起こらなかったはずの南北朝鮮の分断は継続されたままだし、パレスチナにおいてはイスラエルの武装入植者による「分離壁」の建設が継続されている。アメリカとメキシコの国境を「壁」で塞ぐと公約して大統領に当選したトランプは、とうとうそれを実行に移し始めた。「ベルリンの壁」が存在した時代以上に、今の世界はどこもかしこも「壁だらけ」だ。



けれどもジョニー·ロットンがこの歌を書いたのは、その「壁」さえなくなれば世界に平和が訪れる、と誰もが本気で信じていたその時代だった。そしてその時代にあっては、「信じる」ことがいまだ「力」を持っていた。そうした時代の空気の中で、彼氏は当時の西ベルリンを訪れ、前掲の写真のような展望台の上から「壁の向こう側の世界」を覗き込み、「Now I Got A Reason」と思ったのだ。それは「理由が見つかった」と言うよりも「意味がわかった」という文脈で「翻訳」した方が、近い感覚だったかもしれない。自分が「世界」に対して抱き続けてきたあらゆる感情の持つ「意味」が、自分を「行動」へと駆りたてるあらゆる衝動の元にある「理由」が、「わかった」と思える瞬間が彼氏にはあったのではないかという気がする。「自分の本当にやりたかったことがわかった」「つながった」という感覚である。それがおそらくは、この歌になったのだと思う。

「ベルリンの壁の向こう側の世界」を目の当たりにした彼氏が「わかった」と感じたことは、果たして何だったのだろうか。歌詞の言葉のひとつひとつを検証することを通して、想像をめぐらしてみたい。

A cheap holiday in other people's misery!

この冒頭の叫びに中学生だった私が衝撃を受けたのは上述の通りなのだが、「other people's misery (他人の悲劇)」とはこの歌の場合即物的には、東西ベルリン両方の市民の人たちが当時おかれていた状況の「全体」を指している言葉なのだと思う。東ベルリンの人々を襲った「悲劇」と西ベルリンの人々を襲った「悲劇」とは、もとより「同じ悲劇」ではありえない。けれどもジョニーロットンは「異邦人」という立場から、それを「他人の不幸」という「同じ言葉」で「いっしょくた」にしてしまう。つまりそこにおいて「体制の違い」は「意味」を失い、「無化」されている。

昔の私はそんな風にして「違いを越える」アプローチに「爽快さ」を感じていたものだけど、今ではそれを「ホメられたやり口」だとは思わない。「同じでないもの」を、その「違い」を「理解」することもしようとせずに無理やり「同じ」にしてしまうことは、多くの場合において非常に暴力的なことだ。それにジョニーロットンは「それぞれにとっての違った悲劇」をそんな風に「いっしょくた」にしてしまった上で、自分にとってはやはりそれが「他人の不幸」にすぎないと言っているわけである。「自分だけは違う」し「自分は関係ない」と言っているわけだ。こんな無責任な態度は、ないと思う。

けれども考えてみれば、世の中には「他人」がどんなに「不幸」な目にあって苦しんでいようとも、自分(たち)は何の痛みも感じずに遊んだり楽しんだりすることのできるタイプの人間というのが、それこそゴマンと存在している。そういう「誰でもやっていること」が、この主人公には「できない」わけなのだ。「他人の不幸」が目に入ってしまうと、自分まで「楽しい休日」を過ごすことができなくなってしまう。言葉づかいこそ乱暴だが、ここに示されているのは

世界がぜんたい幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない

(農民芸術概論綱要)

という宮沢賢治の思想にも通じるような、ジョニーロットンという人の「生き方のスタンス」だと言えるだろう。その感覚が「出発点」に据えられていることは、無条件に「素晴らしいこと」だと私は思う。私がパンクロックという音楽のことを好きなのは、そう。それが「やさしいから」なのだ。


ブルーハーツ パンクロック

そしてそのことは、「壁が存在した時代のベルリン」という「特殊な状況下」に限ったことではなく、本質的には世界のどこにいたとしても、「同じこと」なのだと思う。たとえイギリス王室属領ジャージー島で「太陽の下ののどかな休日」を過ごしていたとしても、世界が「不幸」に溢れている現実に変わりはない。ピストルズの面々はそこに「ウソくささ」を感じて、少しも「楽しくなかった」のだろう。と私は勝手に思っている。「A cheap holiday in other people's misery (直訳は「他人の悲劇の中の貧相な休日」)」というのは、極東の島国で中学生をやっていた私にとってさえ、それなりに「わかる」と思わされるところをもった歌詞だった。つまりはそれだけ「普遍性を持ったメッセージ」が、ここでは叫ばれているということになる。

「他人の不幸」が目に入ると「楽しくなく」なってしまう人間が、じゃあどうすれば「楽しい休日」を過ごせるようになるのかといえば、つまるところその「他人の不幸」をも「解消」してやる以外にないわけなのだ。だからこそこの歌の中でジョニーロットンは「おれはこの壁を越えてやる」と絶叫しているわけだし、「壁の向こうの人たち」に対しても「同じようにこの壁を越えてこい」と呼びかけている。それが、当時において「世界中の悲劇のありったけ」が凝縮されている現場であると考えられていたベルリンの壁の前(上?)に立った時に、ジョニーロットンという人の見つけた「答え」だったのではないかと私は思う。この冒頭の歌詞にはこの歌の全てが、そしてそれ以上のことが、余すところなく「宣言」されていると感じる。

ただ、一点だけ気になっているのは、他の楽曲の中ではいくらでも使われていてピストルズの代名詞にもなっている「destroy (破壊する)」という言葉が、この歌の中には一度も出てこないことである。「壁を壊せ」でなく「壁を越えろ」と歌われているのは、何か意味でもあることなのだろうか。「1人で壁を壊すのは物理的にムリ」だから「越える」という言葉をジョニーロットンが無意識に選択したのだとすれば、それはそれこそ彼氏の「アナーキスト的限界」というものだったろうと私は感じる。実際のその後の歴史の歩みの中では、「壁を壊す」という「もっとラジカルな形」で、東西ベルリンの人々は「ひとつになった」のである。


I want to go to the new Belsen

ベルゲン·ベルゼン」は、アンネ·フランクが命を落とした場所としても知られる、かつてのドイツに存在した強制収容所の名前。ヨーロッパ戦線での戦闘が末期を迎えていた1945年4月15日にイギリス軍はこの収容所を「解放」し、そしてナチスがユダヤ系の人々に何をしてきたのかを初めてその目で「知る」ことになった。その意味からも「ベルゼン」の名前は、「アウシュヴィッツ」と並んでイギリスの人々の間では今でも非常によく知られているのだという。



この歌に言う「new Belsen (新しいベルゼン)」とは、ここでもやはり「強制収容所のように囲いこまれた西ベルリン」と「社会主義体制によって囲いこまれた東ベルリン」の「両方」をさしているフレーズなのだと思う。これはものすごく「不謹慎」な言い方だと思うし、ベルリンの人たちの気持ちを逆なでせずにおかないだろう言い方である。多くの人がいろんな思いを抱えながら実際に生活している街にそういうレッテルを貼りつけて、「興味本位で」そこを見に行ってやろうと言っているのだとしたら、こんなふざけた了見はないと思う。

けれどもベルリンという街を「そんなにひどいところ」であると感じた上で、「その街の人々のために自分も何かしたい」という気持ちからこの言葉が吐かれているのだとしたら、話はいくぶん変わってくる。ただしその場合には「ジョニー·ロットンという人は何者で、どういう立場からベルリンの人たちに連帯しようとしているのか」ということが厳しく問われてくるはずなのだが、彼氏はそこは語らない。確信犯的に、語ろうとしない。日本で最も有名なアナーキストだった大杉栄という人は

思想に自由あれ
行動に自由あれ
そして動機にも自由あれ!

という言葉を残しているのだが、そのあたりの姿勢とジョニー·ロットンのスタンスには、やはり「つながって」いるものがあるのを感じる。

昔の私はこの大杉栄の言葉を大好きだったのだけど、若くなくなった今では、多くの面で疑問を感じるようになっている。「動機」などというものは、誰に教えてもらわなくたって「自由」なものだし、また「自由でしか」ありえないものなのだ。「いったん始めたこと」が現実の中でさまざまな矛盾に直面すれば、「なぜ自分はこんなことをやっているのか」ということが繰り返し「問われる」ことになるのだし、そのたびにその「動機」は「研ぎ澄まされて」ゆかねばならないはずだと思う。それができなければ結局何をやっても「いいのは最初だけ」で、最後には「無責任に放り出す」以外になくなってしまうことになる。

けどまあそこまで話を進めると、「うたを翻訳すること」というこのブログの本来の趣旨からは「脱線」になってしまう。ここでは問題提起にとどめておきたい。

I want to see some history
'Cause now I got a reasonable economy

「reasonable economy」は直訳するなら「合理的な経済」である。英語圏では「値段が安い」みたいなニュアンスでフツーに使われている言葉でもあるらしく、なのでそういう訳し方で日本語に移している例がネットを見渡してみてもほとんどなのだが、この「持って回った言い回し」にジョニーロットンというアタマのいい人が「いろんな意味」を込めていなかったはずは、なかったはずだと私は思う。

資本主義社会で「うまく立ち回っている」人間たちというのは、例外なく資本主義というシステムのことを「最も合理的な経済システム」であると思い込んでいる。けれども資本主義というのは「人々の幸せ」のためにではなく、「元々カネを持っている人間が他人を働かせて自分の資産を増やすこと」を「至上命題」にして成立している経済システムなのである。資本主義においてそれが「合理的」であるか否かを決める「基準」は、つまるところそれが「儲かるかどうか」ということでしかなく、そのシステムのもとで貧困が増大しようと労災が多発しようと自然環境が破壊されようと、資本家や為政者にとっては何ら「非合理なこと」ではないわけなのだ。かれらが本気でその「改善」に乗り出すことがあるとすれば、「自分たちも損をする」場合に限られているわけだし、それだって「自分たちさえ困らなくなれば」そこで終わりである。そして個々の資本家がそんな風に「自分だけが儲ける」ことを至上命題にして「競争」を続けていれば、社会全体の需要と供給のバランスが崩れて「恐慌」が起こることは、初めから分かっている。分かっていても、何もしない。誰かを「悪者」にして戦争でも起こせばそれで済む、と資本家たちは考えている。どうせ「死ぬのは労働者」だからである。

そんな制度は「非合理」であるとして19世紀に登場したのが「社会主義」の思想だったし、またアナーキズムなどの「資本主義にアンチを唱えるいろいろな思想」を引っくるめた「総称」だった「社会主義」の中から、そうした資本主義という制度の「非合理性」(核心的には「搾取」の構造と「恐慌」発生のメカニズム)をマルクスが科学的に解明した上に成立したのが「共産主義」という思想だった。ただしこうした「資本主義という制度に代わるもの」として考案された経済システムが「うまく行った例」というのは、今のところ世界史上には登場していない。一番いけないのはそこにいる人たちがどんなに「うまく行かせよう」としても資本主義の側がそれを「つぶしにかかる」ことなのだが、実際に「うまく行っていない」以上、それが「非合理」であると揶揄されるのは致し方のないところであるとも言えるだろう。事実、「資本主義国」である日本のマスコミや教育制度における「社会主義諸国」に対する「批判」は、そうした論調で満たされている。

いずれにせよ、資本主義の側も社会主義の側も、自分たちの経済システムこそが最も「合理的」であるという主張を、それぞれ持っているわけだ。そしてこの歌において最も重要なのは、ジョニーロットンが自分は「どちら側の人間」であるとも、明言していないことである。ただ「合理的な経済の側に属する人間」であるとしか、言っていない。

…まあ、言ってみれば「ずっこいやり口」なのだ。私は決してホメているわけでは、ないのだからね。

Now I got a reason
Now I got a reason
To be waiting

というフレーズについては上にいろんなことを書いたのでくだくだしくは繰り返さないが、彼氏が「待っている waiting」のが具体的には「何」かと言えば、「壁の向こうにいる人たちがその壁を越えてくること」なのだと思う。でも、もっと一般的に「時を待っている」みたいに読めるフレーズだとも思うし、「今は戦わずに日和見を決め込んでるけど自分は決して負けてるわけじゃねーからな」という「負け惜しみ」的なフレーズに聞こえる面もある。まあ、「歌」なのだから、それぞれが聞きたいように聞けばいいのではないかと思う。文法的な意味をねじ曲げるのでない限りにおいては。

In Sensurround sound in a two inch wall
Well I was waiting for the communist call

「センサラウンド」というのは昔の映画館などで時々使われていた音響装置で、「大地震や爆発の振動」が体感できる仕組みになっていたのだという。実際のベルリンの壁にそうした「音響装置」が埋め込まれていたのかどうか、私は知らない。南北朝鮮の軍事境界線で双方が大音響の「悪口合戦」を絶え間なく続けていることは有名な話だが、市街地が密集しているベルリンでそういうことをやれば、双方とも生活がメチャメチャになったはずだと思う。たぶん、比喩なのだろう。「壁を通して伝わってくる爆音や衝撃」みたいな意味なのだと思う。

「おれは共産主義者からの呼びかけを待ち受けていた」というのはまるで秘密諜報員みたいな言い方だと思うが、ここで「communist (共産主義者)」と呼ばれているのは別に「東側世界の政府側の人間」のことではなく、むしろ「東ベルリンで暮らしている普通の人々」のことなのだろうと私は受け止めている。つまりは「壁の向こうにいるはずの仲間たち」のことをジョニーロットンはこうした言葉で呼んでいる、ということなのだと思う。

I'm looking over the wall
And they're looking at me

ジョニーロットンが「Now I got a reason」と感じた「瞬間」を描き出していると思われる、非常に臨場感の溢れた歌詞だと感じる。「Holidays in the Sun (太陽の下の複数の休日)」という曲名から、私はこの歌に歌われているのは「真昼の情景」だという印象をずっと持って来たのだが、上に引用したジョニーロットン自身の「ベルリンの印象の素描」を読んでみた時に、そこから浮かびあがってきたのはむしろ「夜の情景」だった。「社会主義体制の静けさ」が支配する東ドイツの夜の世界の深い闇の真ん中で、壁に囲まれた西ベルリンの一角だけがケバケバしいネオンと騒がしい喧騒に包まれ、「サーカス小屋」のように妖しい光を夜空に向かって噴きあげていた、それこそ「異様でシュールな」情景である。その「シュールな世界」の内側から「壁の向こうの世界」を覗き込んだ時、本当に見えたわけではなかったのかもしれないけれど、闇の中から同じように自分のことを見返している「無数の目」が存在していることを、彼氏は「感じた」のではなかったのか。そんな情景が頭に浮かんだ。

知らんのやけど。

Claustrophobia yeah,
there's too much paranoia

パラノイア」という言葉はこの当時、「流行って」いたのだと思う。21世紀の現在、「サイコパス」という言葉を「軽々しく」使ってみせる人間に対して私がむかつくのと同様の差別的なニュアンスを、この言葉からは感じる。むろんこのフレーズは、自分もその「パラノイア」の一人だ、という文脈で歌われている歌詞なのだろうが、本当かよ、と思う。他人から「パラノイア」というレッテルを貼りつけられて「苦しんでいる」人たちの気持ちを、むしろ「放ったらかし」にしていないだろうか。

続く歌詞では「自分も狭いところに引きこもるのが好きだったからあんたらの気持ちは分かるぜ」みたいな感じでベルリンの人たちへの「連帯」が示されているのだと思われ、ここでもジョニーロットンは「同じでないもの」を強引に「同じ」にしている。こういう「軽いノリ」を昔の私は愛していたけれど、今では全然愛せないと思う。「軽い」からである。

I gotta go over the wall
I don't understand this bit at all
This third rate B-movie show
Cheap dialogue, cheap essential scenery

前段では「センサラウンド」という言葉が出てきたけれど、総じて「ベルリンの壁」という「舞台装置」が丸ごと「B級映画のセット」みたいに見えていた感覚が、ジョニーロットンという人には、あったのかもしれない。

I gotta go over the Berlin Wall
Before me, come over the Berlin Wall
I don't understand this bit at all
Please don't be waiting for me

最後の「Please don't be waiting for me (私のことを待たないでください)」という「別れの言葉」めいたフレーズの意味が私にはずっと分からなかったのだけど、何のことはない。「壁の向こうの人たち」に向かって「おれがそっちに行くのを待っていないで、そっちからもこっちに来いよ」という「呼びかけ」だったのだな。「come over the Berlin Wall」が「命令形の文章」になっていることに、学校に通っていた頃は、気づくことができなかったのだ。学校では「そういうことが分かるようになる感覚」を教えてほしかったものだと、今となってはつくづく思う。

冒頭の「A cheap holiday in other people's misery」、そしてサビの「Now I got a reason」、さらに最後のこの歌詞、ひとつひとつが初めて聞いた瞬間からずっと私の胸に焼きつけられてきたフレーズではあったのだけど、そのそれぞれの言葉の「つながり」の「全体」が「理解」できたと思えたことは、この記事を書き始めるに至るまで、一度もなかった。それが今では、「わかった」感じがしている。ブログというのは、やってみるものである。


ピストルズ来日公演時の前座演奏 (ハイロウズ)

…この動画の前半部分は、ベイ·シティ·ローラーズの翻訳記事を書いた時に、紹介したことがありましたよね。前回ラモーンズについて書いた時に結構「突き放した感じ」の文章を書くことができたので、今ならピストルズとも「正しく」向き合えるのではないかという気がして今回の記事になだれ込んでみたのだったが、書き終えてみて思ったのは、やっぱりこの人たちのことはまだまだ容易に「突き放す」ことができないということだった。この勢いで他の歌についても、一気に進めて行った方がいいのかなあ。それとももうちょっと「寝かせて」おいた方が、いいのかなあ。今の時点では、決めかねている。ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1977.10.14.
Key: G