華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

我真的需要你 もしくはこれがロックというものだったのか (1997. 鲍家街43号)



私より一回り以上年上の音楽ファンの人たちには、誰にでも「ロックという音楽と生まれて初めて出会った衝撃の原体験」というものが存在しているはずだと思う。何度か書いてきたことだが、私の母親などは「ラジオからビートルズが聞こえてきたあの日までは舟木一夫と三田明しか聞くものがあれへんかった」時空に住んでいた世代の人だったから、その衝撃は想像するに余りある。それとほぼ同世代の芦原すなおという人が書いた「青春デンデケデケデケ」という小説は、ロックという音楽がどのようにして日本語世界の住人たちと出会い、受け入れられていったかを記録するかけがえのない歴史書として読まれるべき本だと私は思っている。

それより下の世代の人たちでも、例えばレッド·ツェッペリンが出てきた時だとか、セックス·ピストルズが出てきた時だとか、「生まれて初めて聞くタイプの音楽」の衝撃に打ち震えた経験は、それぞれが持っているはずだと思う。日本語世界においても、矢沢永吉が革ジャン着て出てきた時や、忌野清志郎が化粧して出てきた時や、ブルーハーツがミニマルな格好で登場した時、そのつど多くの人が、同様の感覚を体験してきたはずだったと思う。

けれども私が物心ついた時分には、そうしたいろんな新しい音楽の型というものは、既にほとんど「出そろって」しまっていた。多分その後の時間の流れから捉え返してみても、日本の音楽の歴史の中に本当に「新しいもの」が登場したのは、ブルーハーツが「最後」ぐらいだったのじゃないかな。その歌が鳴り響いていた頃にまだ小学生だった私たちにとってみれば、それは「当たり前のようにそこにあったもの」で、ある程度の年齢に達してから「生まれて初めての衝撃」を経験した年上の人たちと比べてみれば、受け止め方は全然ちがっていた。

私の母親が中高生だった頃、学校のクラスは「舟木一夫派とビートルズ派」に分かれていたというのだけれど、一回り年下のおっちゃんおばちゃんの世代になると、それが「かぐや姫派とRCサクセション派」になっていたらしい。「新しい価値観と古い価値観がせめぎ合っている構図」みたいなものはまだこの頃までは辛うじて見てとることができるが、私の頃にはあったとしてもせいぜい「B'z派とユニコーン派」ぐらいになっていた。もはや「派」を形成する必然性すら、あったものではない。そして自分たちの聞いているのが「ロック」という音楽なのだという感覚自体も、私たちの頃には既にずいぶん希薄になっていたように思う。

そんな私が「知っていた」つもりでいた「ロック」という音楽のことを初めて「本当に知った」と思えるような体験をしたのは、実はオトナになってからのこと。それも英語でも日本語でもなく、中国語で書かれたある楽曲との出会いを通じてのことだった。それが今回とりあげる「真的需要你 (チェンだ·スーやお·にー=しんてきじゅようじ)」、「鮑家街43号 (ばおちあちえ·すーシさん·はお=ほうかがい43ごう)」というバンドのデビューアルバムの冒頭を飾っているこの一曲だったわけなのである。

この曲にはそれまで私の知っていたロックと呼ばれる音楽の全ての特徴が備わっていて、それにも関わらず「こんな音楽を聞いたのは生まれて初めてだ」と私は思った。そして「これがロックという音楽だったのか」と思ったし、今までの自分は「ロック」というもののことを何も知らなかったのだとさえ思った。けれども、曲名を出した以上、「能書き」はこれくらいにとどめておいた方がいいだろう。おそらくは、読んでいる皆さんも大多数が初めて耳にする曲だと思う。続きを読むかどうかは、聞いてみてから決めて欲しい。それは、こんな曲だったのだ。


真的需要你

Wǒ zhēn de xūyào nǐ
うぉー チェンだ スーやお にー
我真的需要你
中国語原詞はこちら


Xiànzài wǒ juédé yǒuxiē gūdān
现在我觉得有些孤单
bēi'āi dì zìwǒ yǒuxiē xīnsuān
悲哀的自我有些辛酸
méiyǒu ài yě méiyǒu cúnkuǎn
没有爱也没有存款
zhǐyǒu qù huànxiǎng
只有去幻想
cáinéng gǎndào yīsī wēnnuǎn
才能感到一丝温暖
měitiān zǎochén wǒ shǔ yī'èrsān
每天早晨我数一二三
pá qǐchuáng lái kànjiàn yángguāng cànlàn
爬起床来看见阳光灿烂
dàjiē shàng luòyè fēnfēn
大街上落叶纷纷
shāngdiàn lǐ fàngzhe huáijiù gēqǔ
商店里放着怀旧歌曲
wǒ xiànzài zhēn de xūyào
我现在真的需要
wǒ zhēn de xūyào nǐ
我真的需要你

現在いささか孤独なおれ
いささか辛くて悲しいおれ
愛もなければ貯金もない
少しばかり暖かいのは
幻想の中にいる時だけ
毎朝かぞえる1.2.3.
這うように起き上がると
表は太陽がらんらん
大通りには舞い散る枯葉
店に流れるのは懐かしの歌謡曲
今のおれには
本当にあなたが必要なんだ
おれにはあなたが必要なんだ


dàngyè wǎn jiànglín fánxīng mǎn tiān
当夜晚降临繁星满天
wǒ línghún de yǐngzi kào zài nàgè qiáng xià
我灵魂的影子靠在那个墙下
méiyǒu liǎn yě méiyǒu xīnzàng
没有脸也没有心脏
zài cháng'ān jiē shàng xiàng duǒ cāngbái de huā
在长安街上象朵苍白的花
wǒ qīngtīngzhe jìngmài lǐ xuè de liútǎng
我倾听着静脉里血的流淌
jiù xiàng nà zuóyè màncháng lěngmò de xì yǔ
就象那昨夜漫长冷漠的细雨
wǒ zhēng zhuóyǎn
我睁着眼
xǔduō mén zài miànqián jǐn bì
许多门在面前紧闭
xiànzài wǒ zhēn de duōme zhēn de
现在我真的 多么真的
wǒ zhēn de wǒ zhēn de xūyào
我真的我真的需要
wǒ zhēn de xūyào nǐ
我真的需要你

夜の空には満天の星
おれの魂の影は
あの壁の下に寄りかかってる
顔もなければ心臓もない
だだっ広い長安街の上の
青ざめた花のような影
おれは静脈に流れる
自分の血の音を聞いている
だらだら降り続いていた
ゆうべの無愛想な雨と
同じような音
おれは固く閉め切られた
いくつもの門の前に目を見張る
今のおれには本当に
本当に本当に
あなたが必要なんだ
おれにはあなたが必要なんだ


měitiān wǒ píbèi de huí dào jiālǐ
每天我疲惫地回到家里
tǎng zài chuángshàng
躺在床上
tīngzhe shōuyīnjī lǐ de làngmàn
听着收音机里的浪漫
huíyìzhe guòqù de xìngfú
回忆着过去的幸福
nínánzhe xiànshí de miǎománg
呢喃着现实的渺茫
àiqíng shì fàng zài dōu lǐ de yī kē zhàdàn
爱情是放在兜里的一颗炸弹
shēnghuó xiàng jiàn bèixīn pòlàn bùkān
生活象件背心破烂不堪
xiànzài wǒ bù zài xūyào píjiǔ hé shàngdì
现在我不再需要啤酒和上帝
wǒ xiànzài zhēn de
我现在真的
wǒ zhēn de wǒ zhēn de
我真的我真的
duōme xūyào
多么需要
wǒ zhēn de xūyào nǐ
我真的需要你

毎日疲れ果てて家に帰る
ベッドに寝っ転がって聞くのは
ラジオの中のロマンス
昔の幸せを思い出しては
先行きの見えない現実について
あれこれ言ってみる
愛はポケットに投げ込まれた爆弾
生活は
どうしようもなくぼろぼろになった
一着のチョッキ
ビールも神様ももう要らない
今はただ本当に
本当に本当に
あなたが必要なんだ


wǒ zhēn de xūyào
我真的需要 我真的需要
我真的需要 我真的需要
我真的需要

wǒ xū yào nǐ
我需要你 我需要你 我需要你
我需要你 我 需 要 你


おれは本当に本当に本当に
必要なんだ必要なんだ
必要なんだ
あなたが必要なんだ



「鮑家街43号」は、中国全土から音楽的才能が結集する北京の超エリート校「中央音楽院」の在校生らによって1993年に結成された揺滾楽隊(ロックバンド)で、名前はその学校の所在地に由来しているのだという。リーダーだった汪峰(ワン·フォン。上の写真でヤンクミ先生みたいな格好してる人)は子どもの頃からバイオリンとかやっていた人だそうで、天安門事件のあった18歳の頃には既に学院のオーケストラの一員としてヨーロッパを巡業したりしていたらしい。そんな「エリート中のエリート」が、1993年という時代に国家と直結する音楽院の内側で仲間をかたらって「ロック」の活動を開始したことは、相当な危険の伴う「反逆」だったのではないかということが想像される。

汪峰という人の聞いてきた音楽の傾向は私と結構似ていて、ドアーズとか、ボブ·ディランとか、好きだったらしい。(ちなみにドアーズの漢字表記は「大門楽団」であり、ディランは「鮑勃·迪倫」となる。中国の人はどれだけアワビが好きなのだろうか。て言っか「アワビ」が「勃」って絶倫感を醸し出すなんて、そんな驚天動地なことが、あるものなのだろうか)。言われてみるならこの曲のタイトルや歌詞にはドアーズの「You Make Me Real」がそのままエコーしているのを私は感じるし、メロディや歌い方にはディランの例えば「見張り塔からずっと」みたいな歌と、そのまま重なっているところがあるのが分かる。けれどもこうしたアメリカのミュージシャンの楽曲はいまだ当時の中国では公然とは発売されていなかったはずであり、おそらくは崔健がそうしていたのと同じように、香港あたりから「非合法」に流れてきたレコードを貪り聞いていた、ということだったのではないかと思う。それはある意味、音楽院のエリートという立場があって初めて享受できた「特権」でもあったろうが、そうした部分が「道を切り開いた」ことを通して初めて中国においても「ロックという音楽」が「大衆」のものとなっていった経過が存在しているわけであり、いちがいにどうこう言うことは私にはできない。

しかしながら一方で、この歌は私の聞いてきたどんなディランの曲やドアーズの曲とも、似ていない。ディランの曲やドアーズの曲が「好き」ではあっても、そこに「リアルさ」を感じたことは、私の人生にはついぞなかったことだったからだ。むしろ私がそこに求めてきたのは、日本という島国の内側で暮らしていたのでは浸ることのできない「非日常性」だったのではないかと思う。ところが鮑家街43号の音楽は、同じディランやドアーズを下敷きにしていながら、圧倒的に「リアル」なものだった。その点が、それまでに私の聞いてきたあらゆる音楽と違っていた。

この歌を最初に聞いた時にまず強烈に印象づけられたのは、「言葉が爆ぜるように飛び出してくる感じ」だった。英語の歌にも日本語の歌にも感じたことのない、中国語だけが持っている独特の感じだった。「愛情是放在兜里的一顆炸弾 (愛はポケットに投げ込まれた爆弾)」というくだりなど、本当に言葉そのものが「爆発」しているような迫力だ。この人たちが「ロックという形式」を通して「表現」していたのは紛れもなく「その人たち自身」の姿で、「借り物の音楽」を演奏しているウソ臭さはどこにもなかった。その点が、それまでに聞いてきたどんな「ロック」とも違っていた。そもそもは黒人文化の中から生まれた「ビート」を白人たちが自分たちの音楽に「密輸入」することを通して成立したいわゆる「本家本元」の「ロック」の中にも、私が絶えて感じたことのなかったような、それはリアルさだった。

当夜晚降臨繁星満天
満天に繁き星、まさにこの夜晩に降臨し
我霊魂的影子靠在那個牆下
わが霊魂の影はかの牆下に靠る

牆下=しょうか=壁の下部。靠る=よりかかる

…言葉遣いこそやや「現代的」になっているとはいえ、ここに描き出されているのは大昔の漢詩の主題になっていても全くおかしくないようなひとつの「情景」だ。大自然の姿に自分の心の中の風景を重ね、短く端的な言葉でそれを描き出すことは中国の文化が「伝統」としてきたところであり、何ら「新しい手法」ではない。けれども古来あの国の人たちはそれをゆっくりゆっくり言葉にして、ゆっくりゆっくり味わうことに「値打ち」を見出してきたはずなのである。

ところがこの歌では「ゆっくりゆっくり」味あわれて然るべきそのひとつひとつの「詩的な情景」が、ものすごいスピードで後ろにすっ飛ばされてゆく。「我傾聴着静脈里血的流淌」。ただ「自分の血管を流れる血の音を聞いている」のではない。「静脈の中」を流れる血だという「指定」まで入り込んでいる。何という情報量だろう。そんな風に手間ひまかけた表現のひとつひとつが、ほとんど暴力的な勢いで「使い捨て」にされてゆく。何たる浪費。しかし何たる気持ちよさ。考えてみれば「ロック」というものが生まれた時にそれが20世紀の人々の心を捉えたのは、何よりもこの「スピード感」ゆえのことだったのではないかということに、私は初めて気づかされた気がした。(それも単なる「速さ」ではなく、そこには同時に「ビート」に支えられた「重々しさ」が伴っている)。中国という巨大な国が丸ごとそうした「消費文化の時代」に突入するためには、それなりの「助走期間」が必要だったわけだが、ひとたびそれが「動き出した」なら、「その時代に見あった表現様式」というものが、それまでの「伝統」の蓄積の上に必然的に登場してくる。「消費文明」ということにだけ関して言うなら日本より遥かに「後れた」地点からスタートした中国という国に、やはり「後」れて「ロック」は根付いたわけだが、それが中国の人々自身の「自己表現」として「本家本元」をも圧倒するような迫力を具えはじめた恐らくは「転換点」をなしているこの鮑家街43号のレコードに、私は「世界史の中にロックという音楽が登場したことの意味」を初めて垣間見たような思いがしたのだった。

中国ロックの「開祖」と言うべき人物は間違いなく崔健だと思うが、あの人は「一匹狼」として登場したのだし、今でも「一匹狼」だ。けれどもそれから数年を経て登場したこの人たちのレコードは、それに明らかに「時代が味方しはじめた」ことを、示していたように感じられる。(ちなみに言うならBEYONDは飽くまで「香港のバンド」であり、あの人たちが「背負って」いたのは「大陸」の歴史ではなかった)。

どこの国の歴史においてもそうだが、若者たちを先頭にした「政治の季節」が権力者による弾圧で挫折を強いられた後には、壮絶な「虚無感の支配する季節」が訪れる。(日本において「その時代の空気」を体現していたのが井上陽水というミュージシャンだった、とはよく言われるところである)。天安門事件によって強制された「絶望」がいまだ中国社会を生々しく支配していた90年代に書かれたこの歌には、理想を高らかに謳いあげる言葉や政治的なスローガンは一切出てこない。けれどもそこには圧倒的な「苛立ち」と「渇望」と「叫び」とが存在している。自分が日本で10代をやっていたあの時代、「沈黙」しているように見えていたあの国の同世代の若者たちの心にはこれだけの量の「情熱」が渦巻いていたのかという事実に20年後れで触れたことで、私は文字通り「震える」気持ちを味わったのだった。「情熱」こそは「エネルギー」である。いまだどんな「形」もまとっていないけど、どんなことでも実現することを可能にする「エネルギー」である。その「エネルギー」が「体に感じることのできる形」で表現された時、そこからは確実に「何か」が生まれる。ロックとは、さらに言うなら音楽とは、原初的にはそんな風に、「立ち向かうべき相手」に対しても、「力を合わせるべき相手」に対しても、自分(たち)の側にはこれだけの情熱=エネルギーが存在しているのだということを「まず」形にしてみせるデモンストレーションとして成立したものだったのではないだろうか。そんなことを思った。

同時に私が今さらのように感じさせられたのは、ロックというのは「都市の音楽」だったのだな、ということだった。そもそもはアメリカ南部の黒人文化の中から生まれたブルースという音楽が「シカゴという大都会」の空気に触れたところから「ロック」の歴史が始まった、という経過については以前の記事でも追いかけて見たことがあったが、単に「都市から生まれた音楽」であるということにとどまらず、「都市そのものの自己表現」としての性格をも具えていたのが「ロックという音楽」だったのだということに、気づかされる思いがしたのだった。

大陸の友人の皆さんに対しては本当に失礼な話だが、私は中国という国に日本やアメリカと同じような意味での「都市」が存在しているとは、全然思っていなかった。大陸中国そのものを「巨大なイナカ」だと思っていたという点に私の「失礼さ」は存在しているのだが、それにとどまらず、資本主義体制のもとにおいて「都市」というものは良くも悪くも必ず「清濁併せ呑む空間」としてしか成立しえないものなのである。けれども社会主義体制のもとでの諸都市からはそうした「濁」の部分が注意深く排除されて、「清」の部分しか残らないことになっているのではないか。「首都」である北京なんて、特に「そういう街」になっているのではないか。そういう先入観を、私は持っていたわけなのだ。

その北京という街が実はその背後にこんなにも巨大な「闇」を抱え込んだ「都市」だったのかという現実を、私は鮑家街43号=汪峰の音楽を通じて初めて垣間見せられたように感じ、背筋が凍るのを覚えた。ある意味でそのことは、北京という街も大阪や東京やロスやニューヨークやロンドンといった「自分のよく知っている街」と「同じような場所」だったのだという「親近感」をもたらしてくれることでもあったのだが、鮑家街43号の音楽の後ろに垣間見えるその闇の「深さ」は、自分の知っているどんな街から生まれた音楽のそれをも凌駕して余りあるものだった。こんな物凄い「闇」と中国の青年たちは向き合い、それと「戦う」ことを強いられているのか。そんな風に感じずにはいられなかった。

「長安街」というのは元帝国の時代から存在したという片側5車線幅100メートルの目抜き通りで、中央音楽院のある「鮑家街」はそこから通りを一本入ったところに位置している。そこには秋になると枯葉が舞い散り、商店からは懐かしの歌謡曲が流れる「日常生活」が存在しているわけだが、同時にその場所は、この歌が作られた僅か数年前に戦車で轢き殺された若者たちの血が染みついた場所でもある。もとより歌詞の中でそんなことは、一言も語られない。ただ夜の街で自分の前に現れる建物が軒並み「門を閉ざしている」ということが、言われているだけである。あるいはそれは、単に「都市生活者としての孤独」が表出されているだけの歌詞であるのかもしれない。けれども「長安街」の街沿いに存在している一番有名な「門」はといえば、「あの」天安門なのだ。意識しているかしていないかに関わらず、この歌い手がそうした「歴史」と対峙しながら「生活」しているのだという現実を、聞き手は認識させられずにいられない。





北京という街がニューヨークを凌駕して文字通り「世界の中心」となりつつあることを(もとよりそんな時代も「永続」することはありえないとはいえ)誰もが実感させられる時代がほどなく訪れると私は感じているし、ある意味そうした時代は既に始まっているとも感じているのだが、その「北京という街のイメージ」を私の中に最初に形作ってくれたのが、鮑家街43号の音楽だった。それはそれより先にBEYONDによって形作られた「香港という街のイメージ」とは、あまりにも対象的なイメージだった。BEYONDの歌がどんなに重たい内容のものであっても基本的には「真昼の太陽の明るさ」と「ある意味無責任にさえ思えるような軽さ」とを併せ持っているのに対し、鮑家街43号の歌はそれがどんなに明るい曲調のものであってもことごとくが「夜の世界」から響いてくる歌だという印象を、抑えられなかった。もとより香港には香港で「明るい側面」もあれば「暗い側面」もあるのだろうし、北京という街だってそれは同じなのだろうけれど、1989年にあの街で流された「血」は、いまだ「その無念から解き放たれる時」を迎えていないのである。その街が名実共に「世界の中心」としての「実力」を蓄え、外見がいかに「明るく」整備されようとも、その底の部分には20年前にこのバンドが抉り出してみせた「深い闇」が、いまだに蟠り続けている。人間の力をもってしてはどうすることもできないくらいに底知れないそれは「闇」なわけだが、同時に「人間の力をもってしか」どうすることもできない「闇」でもあるわけなのだ。

その「夜の世界」の只中からこのバンドが90年代に世界に放った唯一のメッセージが「我需要你」という「他者を求める叫び」だったことを、私は重く受け止めたいと思う。ロックという音楽がアメリカで誕生したその瞬間から原初的に内包してきた「メッセージ」は、つまるところその一点だったのだと私は感じる。そうであればこそ、「ロック」は「ロック」であり続ける限り、人の心に新鮮な「希望」と「発見」とを、これからももたらし続けてくれるはずだと私は信じている。

「資本主義と大量消費文明の内側で誰もが生きることを余儀なくされている時代」が続く限りにおいてはの話である。その時代が終わった後にどんな「文化」が生まれてくるのかということまでは、私にはわからない。

鮑家街43号は21世紀を待たずして解散し、リーダーだった汪峰は今ではチャン·ツィイーと結婚して豪邸に住んで、10億人が視聴するテレビの全国放送に毎日のごとく出演して「ロックの大御所」としての権威と声望を欲しいままにしているという、控え目に言ってもちょっと待ってくれあんた全人類の中で一番幸せちゃうんかという言葉しか出てこないような日常を送っていらっしゃる。異国のリスナーの勝手な思い入れからするならば「腐敗した」と思わざるを得ないような面も多々あるのだけど、同時にソロになってからのこの人の楽曲が21世紀に入ってからの最初の10数年の中国社会の姿を、良くも悪くも一番ビビッドに描き出してきたことは誰にも否定することのできない事実だと思われる。次回はこの汪峰のソロ作品をもう一曲だけ取りあげて、600曲目に突入してゆくことにしたいと思う。ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1997.6.1.
Key: G