華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

花火 もしくは パノラマ島奇譚 (2000. 汪峰)

And lastly from that period I remember riding in a taxi one afternoon between very tall buildings under a mauve and rosy sky; I began to bawl because I had everything I wanted and knew I would never be so happy again.
もうひとつだけこの時代ではっきり覚えていることがある。私はタクシーに乗っていた。車はちょうど藤色とバラ色に染まった夕空の下、ビルの谷間を滑るように進んでいた。私は言葉にならぬ声で叫び始めていた。そうだ、私にはわかっていたのだ。自分が望むもの全てを手に入れてしまった人間であり、もうこの先これ以上幸せにはなれっこないんだということが。

-スコット·フィッツジェラルド
 「My Lost City」1936年/ 村上春樹 訳-


汪峰 花火

huāhuǒ
ほぁーふぉー
花 火
中国語原詞はこちら


Zhè shì yī chǎng méiyǒu jiéjú de biǎoyǎn
这是一场没有结局的表演
bāohán suǒyǒu huāngmiù hé fēngkuáng
包含所有荒谬和疯狂
xiàng gè háizi yīyàng mǎnhuái bēishāng
像个孩子一样满怀悲伤
jìng qiāoqiāo de shúshuì zài dà dìshàng
静悄悄地熟睡在大地上

これは一幕の 終わりのない舞台
でたらめと瘋狂
満たされた舞台
子どものように
悲しみでいっぱいになって
大地の上で 静かに眠る


xiànzài wǒ yǒuxiē juànle
现在我有些倦了
juàn dé xiàng yī duǒ bèi fēng zhéduàn de yěhuā
倦得像一朵被风折断的野花
suǒyǐ wǒ kāishǐ biànle
所以我开始变了
biàn dé xiàng yī tuán gǔndòng chìrè de huāhuǒ
变得像一团滚动炽热的花火

少し 疲れてしまった
風に折られた草花のように
疲れてしまった
だから 変わり始めた
渦を巻き天空を焦がす
いくつもの花火のように
変わってきだした


kànzhe yǎnqián huānxiào jiāo'ào de rénqún
看着眼前欢笑骄傲的人群
xīnzhōng fàn qǐ xiōngyǒng de lànghuā
心中泛起汹涌的浪花
tiàozhe fàngdàng de wǔdǎo
跳着放荡的舞蹈
chuānxíng zài kuàngyě
穿行在旷野
gǎndào kuáng yě ér pòsuì de huīhuáng
感到狂野而破碎的辉煌

目の前で笑いさざめいている
おごりたかぶった群衆
心の中に波が立ち ざわめき始める
そぞろに踊りながら
荒野をくぐり抜ける
凶暴で破壊的な 輝きを感じる


xiànzài wǒ yǒuxiē zuìle
现在我有些醉了
zuì dé xiàng
醉得像
yī zhǐ zhǎo bù dào fāngxiàng de yě gē
一只找不到方向的野鸽
suǒyǐ wǒ kāishǐ biànle
所以我开始变了
biàn dé xiàng yī tuán bàoliè chìrè de huāhuǒ
变得像一团暴烈炽热的花火

少し 酔ってしまった
道に迷ってうろうろしている
野鳩のように 酔ってしまった
だから 変わり始めた
熱く激しく弾ける花火のように
変わってきだした


Wǒ kāishǐ biànle
我开始变了
wǒ kāishǐ kùnle
我开始困了
wǒ kāishǐ juànle
我开始倦了

変わってきだした
苦しくなってきた
疲れ始めた


lán sè de mèng
蓝色的梦
shuì zài jìng jìng shǐguò de xiǎochē lǐ
睡在静静驶过的小车里
piàoliang de háizi míshī zài xiǎo lùshàng
漂亮的孩子迷失在小路上
zhè shì yīgè yǒnghéng měilì de shēnghuó
这是一个永恒美丽的生活
méiyǒu yǎnlèi méiyǒu āishāng
没有眼泪没有哀伤

藍色の夢
静かに疾走する車の中の眠り
小道の上で姿が見えなくなった
きれいな子ども
これはひとつの永久に美しい生活
涙もなければ かなしみもない


xiànzài wǒ yǒuxiē juànle
现在我有些倦了
juàn dé xiàng yī duǒ bèi fēng zhéduàn de yěhuā
倦得像一朵被风折断的野花
suǒyǐ wǒ kāishǐ biànle
所以我开始变了
biàn dé xiàng yī tuán gǔndòng chìrè de huāhuǒ
变得像一团滚动炽热的花火

少し 疲れてしまった
風に折られた草花のように
疲れてしまった
だから 変わり始めた
渦を巻き天空を焦がす
いくつもの花火のように
変わってきだした


xiànzài wǒ yǒuxiē zuìle
现在我有些醉了
zuì dé xiàng
醉得像
yī zhǐ zhǎo bù dào fāngxiàng de yě gē
一只找不到方向的野鸽
suǒyǐ wǒ kāishǐ biànle
所以我开始变了
biàn dé xiàng yī tuán bàoliè chìrè de huāhuǒ
变得像一团暴烈炽热的花火

少し 酔ってしまった
道に迷ってうろうろしている
野鳩のように 酔ってしまった
だから 変わり始めた
熱く激しく弾ける花火のように
変わってきだした



歌詞中の「瘋狂」「狂野」という言葉は、それぞれ「精神病者」に対する差別表現です。ここでは原文をそのまま転載しました。


花火 Album Version

大陸中国において「ロック」というものが一挙的に「大衆化」してゆく時代の転換点を切り開いた、鮑家街43号というバンドと汪峰という人について、前回は初めてまとまった形の記事を書いたわけではあるけれど、この人の音楽と私が出会ったきっかけは、全くの偶然だった。最初、自分が中学生だった時代に何回か日本のテレビで見たBEYONDというバンドが現在の中国では「伝説の存在」になっているということを伝え聞き、出てきたばかりのYouTubeでいろんな楽曲を検索して夢中になって聞いていたところ、それと同時に「今の中国で流行っている曲」の動画がいろいろ表示されるようになりだして、その中でも再生回数が圧倒的に多いことが気になり、何の気なしに見てみることにしたのが上の「花火」という曲のライブ動画だったわけである。

…「全くの偶然だった」と上には書いたわけだけど、こうして振り返ってみるとこの「出会い」は私がYouTubeで中国の歌の検索を始めたその時点から「AI」なるものによって「仕組まれていた必然」だったということになるのだろうな。そう考えてみると丸っきり「踊らされて」いるようで、けったくその悪い話ではある。こういうのが出てくる前は、新しい音楽との出会いというものは必ず「それを紹介してくれた人の思い出」と結びついていたものだけど、今ではそういうのがどんどん「人と分かち合うことができないもの」に、変えられてしまってきている気がする。

だからこういうブログを書いているわけなのかもしれないが。

動画が始まった瞬間に私は、「今の中国って、こおゆうことになってるのん?」と度肝を抜かれた。そこに映し出された会場の光景があまりに「ゴージャス」だったからである。つらつら考えるに中国というところは日本より人が多いわけで、人が多く集まればカネも多く集まるわけで、カネが多く集まればそれだけゴージャスなことができるのは理の当然と言うべき話なわけなのだが、当時の私は中国という国が「そういうことのできる国」だとは全然思っていなかった。率直に言うなら文化においても経済においても「おくれた国」であるとして、見下しあなどる気持ちを私自身が持っていたということだ。けれども「こんなにもゴージャスなコンサート会場」というものは、自分が住んでいる日本でも、一度も見たことがなかったのである。それこそ、テレビの中でさえ。それを圧倒する現実を突きつけられてみると、夜郎自大な偏見などは、ひとたまりもなくけし飛ばされる他なかった。

キンキラキンの舞台で繰り広げられるのが「安っぽい演奏」だったとしたら、それは単なる「成金趣味」というものだ。私はある意味で「おくれた国の人々」がそういう「カッコ悪い姿」をさらけ出すことを、心の中で期待していたのかもしれない。けれども始まった演奏は、舞台装置に輪をかけて「ゴージャス」そのものだった。何せ、非の打ちどころもないオーケストラの前奏が二分間も続くのだ。一介のバンドマン上がりの男がこれから歌う、たった一曲の歌のためにである。もちろんそうした汪峰という歌手のプロフィールなど当時は何も知らないまま動画を見ていたわけではあるけれど、「オーケストラ」が「ロック」のために「奉仕」しているその光景は、中国という国においても「伝統的な権威」が「新しい文化」の前に「主流の座」を明け渡す時代が訪れたのだということを、何よりも雄弁に物語っていた。

それを「当てが外れてくやしい」と感じてしまっている自分に、情けなさが込み上げた。「カッコ悪い」のはバブルの頃に全国で濫造された見かけだけゴージャスな公演施設が、そこで上演されるコンテンツもそれを維持する経費も枯渇する中でガラガラと取り壊されている「日本の現状」の方ではないか。それと比べるなら動画に映し出された初めて見る「中国のロックコンサート」は、上演される施設も演奏する人々も入場料を払ってきた観客さえも、何から何まで「超一流」だった。

そしてドラムとギターがこれまた「いい音」で入ってきて、舞台の真ん中の汪峰が満を持して「いい声」で歌い出したのは、それこそ何の「メッセージ」も込められていない、退廃的にすら思えるような、ひたすら個人主義的な楽曲だった。私は心なしか、腹が立ってくるのをおぼえていた。こんな「ゼイタクなカネと時間の使い方」があるものか、と思ったのだった。

現在我 いま私は!
有些倦了 ちょっと疲れてしまった!

…こんな歌詞をあんな風に「絶叫」して、それをみんなで「大合唱」するコンサートって、いったい何なのだ、と思ったのである。この人たちは何を「分かち合って」いるのだろう。「ちょっと疲れてしまったこと」をだろうか。それって何万人分かが一ヶ所に集められれば「疲れた感覚以外の何か」に変わってくれるような、そういう性格のものなのだろうか。

けれども同時に一方で、この「ヘンなサビの歌詞」から自分自身が不思議と心を動かされていることをも、私は感じていた。それに続く歌詞が「所以 (だから)」で始まっていることも、衝撃に思えた。

現在我有些倦了 少し、疲れてしまった
所以我開始変了 だから、変わり始めた

こんな不思議な「だから」には、今までどこでも出会ったことがなかった。この「だから」は一体どういう「だから」なのだろう。「疲れてしまった」という外的な要因にもとづく「だから」なのだろうか。それとも「疲れている自分」を認識した彼氏の内発的な意志の力にもとづく「だから」なのだろうか。つまるところここに表現されているのは「壮絶なあきらめ」なのだろうかそれとも「壮絶な決意」なのだろうか。いずれにしてもその「だから」という言葉ひとつを残して、彼氏は「変わり始める」のである。「変わる」というのはそれが個人の領域における問題であれ社会の領域における問題であれ、やはり「どえらいこと」なのだ。

「聞き流していいような歌」では、この歌は、ないのだと私は思った。分かったような分からないような歌詞ではあったけれど、そこで叫ばれている言葉には間違いなく「切実さ」が存在していたし、その「切実さ」は歌い手のひとりよがりではなく、そこに映し出されている舞台と客席の人間全員に「共有」されているものだった。そしてそれは自分自身にとっても、「知らない感覚」ではなかったはずじゃないか、ということに、私は気づかされ始めていた。

もうひとつだけこの時代ではっきり覚えていることがある…

という冒頭で引用したフィッツジェラルドのエッセイの一節が、ふいに脳裏に蘇った。むかしNHKの「映像の世紀」という番組で、「黄金の20年代」と呼ばれた20世紀初頭のアメリカの繁栄の季節が特集されていた時に、その時代を象徴する文章として紹介され、印象に残っていたフレーズだった。

この動画の中の人たちは、今の中国の人たちは、「そういう時代」を生きているのだな、ということが、そのとき、「理解」できた気がした。

私自身はこの日本において、フィッツジェラルドやヘミングウェイとは違った意味での「ロストジェネレーション」と呼ばれる世代に分類されている人間である。分類された覚えはないのだが、分類したがる人間が存在することまではどうしようもない。実際の話、社会に出てからこのかた、「いい時代」というものには、一度も巡り会えてこなかった。遠い昔、阪神が21年ぶりに優勝した小学校1年生の頃ぐらいには、確かに周りの誰もが今よりもっと幸せそうな顔をしていたということが、「うっすらした記憶」として残っているだけである。

その「うっすらとした記憶」の中の「輝いていた時代の表情」が、動画の中に映し出される中国の人たちの顔には、溢れているような印象を私は受けた。日本と比べてほぼ40年「おくれる」形でいわゆる「高度経済成長」の時代に突入した中国は、私たちが子どもだった頃のオトナたちがしきりと懐かしがっていた1960〜70年代に相当する季節を一足跳びに飛び越えて、携帯電話とインターネットが世界を結びつけるようになったこの21世紀に至り、私たちが全然気づかずにいたあいだに日本のことなどとっくに「追い越して」しまっていたのだということを、私は初めて「理解」させられたような気がした。

それにも関わらず、舞台の上の眼鏡の男性が歌っているのは「幸せを謳歌する歌」ではない。「ほしいものをすべて手に入れてしまった人間の刹那的な憂鬱」を微分的に切り取って思い切り拡大した、むしろ「夢も希望もない歌」と言った方がいいような歌だ。人間というのはどこまでも「ゼイタク」にできている生き物なのである。

けれどもこの歌のことをそんな風に「理解」した私が、そのことに眉をひそめる気持ちにも「うらやましい」と思う気持ちにもなれなかったのは、「その後にやってくる時代」のことを「知って」いたからなのだと思う。

倒産も失業もなく、ローンさえ組めば誰でも家やクルマが買えて、株価というものは永遠に上がり続けるものだと誰もが信じていた1920年代の「アメリカの繁栄」の時代は、1929年10月24日の突然の株価暴落を境に一夜にして崩壊し、第二次大戦へと直結する世界恐慌の時代がそこから始まっていった。私たちが子どもだった時代に何が何やらわからないまま「終わって」しまった「バブル景気」というものや、つい十年ばかり前に発生していまだに地球を覆い続けている「リーマンショック」等々に関しても、ざっくり言ってしまうなら「それと同じことが繰り返されているだけの話」であるにすぎない。

生産力の増大を背景に、社会に流通するカネの量が増えてくると、そのカネを握っている人間たちは必然的に、「何もしないでもカネが増やせる」不動産や株式といった分野に投機を集中することになる。諸個人の欲望がどうこうよりも、「競争」によって強いられる結果として、それは避けようもなくそうなる。「需要」が増えることによって株式や不動産は値上がりし、投機者のもとにはますます多くのカネが入るが、そこにはクルマ何台とかコメ何俵といった「実体」が何も存在しない。言うなれば「未来に売れるであろうクルマやコメ」から得られるはずの利益や「その土地から生み出されるであろう未来の価値」を「先取り」してこれらの業種の人々は「資産を増やして」いるわけなのだが、そうした資産の「価値」の裏付けとなってくるものは、いかにモットモらしい制度に支えられていようとも、最後には「想像力」しか残らない、みたいなことになってくる。

結果、実体経済と金融経済の乖離が進行する中で、投資者たちがどこに自分の資金を投下してもそれを「増やせなくなる」瞬間が必然的に訪れ、その瞬間に資本家たちの手元にある「資産」は「意味」を失って「紙切れ」に変わる。「株式」の形で「客観的」に数値化されているいろんな会社の「存在価値」や、それにつながる形で生活を立てているすべての人々の「存在価値」までが、情け容赦なく「紙切れ」に変わる。「架空の価値」をやりとりしていた銀行や大企業が潰れるツケは、「現実的な生活の破壊」となって「庶民」の上に襲いかかり、社会は大混乱に陥る。このことは資本主義という「システム」の中にあらかじめ組み込まれた「プログラム」のようなもので、その制度の内側で生きている限り、それを「コントロール」することは誰にもできないのである。

中国経済が「バブルの時代」に突入したということは、「社会主義市場経済」へと舵を切った中国の歴史が「そういう段階」を迎えたということ以外の何をも意味しない。次に訪れるのは間違いなく「破局」である。中国の人たちだって他の国々の歴史に照らすなら、そのことが「わかって」いないはずはないと思う。

けれども例え「わかって」いたとしても、「奔流」の中にいったん呑み込まれてしまった人間は、それに抗うにせよ身を任せるにせよ、結局は行くところまで行ききってしまうまで、そこから「自由」になることはできないものなのだ。「自由」があるとすればその瞬間瞬間において、自分を押し流そうとする「流れ」といかに向き合うかという、「選択の自由」だけが存在しているにすぎない。

中国の人たちが生きている「今」は、「刹那的な感情の揺らめきの中に一瞬だけ訪れるリアルな瞬間」を切り取ったような歌だけが辛うじて「歌」として成立しえているような、そうした極限的な時代であるのかもしれない。そのことが異国で暮らしている自分にも「伝わる」ように感じるのは、私自身もまた「別の大きな流れ」の中であがき続ける他に、どうしようもない時代を生きているからだということになるのだろう。「いろんな時間の流れ」の中を生きている人間たちが、「同じひとつの世界」の上で暮らしているということの不思議。そんなことを思った。

いずれにしても「花火」とは、つくづくそれにピッタリなモチーフが選ばれたものだと思う。



大陸中国においてWikipedia的な役割を果たしているサイト「百度百科」によるならば、この曲は2000年の暮れに汪峰のソロデビュー曲として発表された作品であり、直接には日本の北野武監督の「HANA-BI」という映画からインスピレーションを受けて作られたものだったのだという。ビートたけし、私はキライだし、「HANA-BI」も見てはいないのだけれど、爛熟した時代の黄昏を描いたようなこの曲に当初から「日本のイメージ」が重ねられていたことには、やはり日本のリスナーとして因縁めいた気持ちを感じる。

「花火」という言葉と私の中で子どもの頃から深く結びついているのは、江戸川乱歩の「パノラマ島奇譚」という小説だ。亡くなった自分と瓜二つの大富豪と犯罪的なやり方で「入れ替わる」ことに成功した青年が、志摩半島の沖合の小島を丸ごと買い取ってそこに自分の美学にもとづいた「理想世界」を建設するのだが、本物の大富豪の妹から依頼を受けた名探偵から正体を暴かれ、最後は花火と一緒に自分自身の体を夜空に打ち上げて爆死する、というそのあらすじを小学生の頃に復刊された「鉄腕アトム」の「ホットドッグ兵団」という話に後から付け加えられていた手塚治虫のエッセイ的な前書きマンガの中で初めて読んで以来(長いな…)、頭の中に想像で描かれたその情景が焼きついて離れなくなってしまった作品である。筋肉少女隊の「サーカス団パノラマ島へ帰る」というアルバムタイトルをはじめ、戦後日本における様々な音楽や文学のモチーフの上に、この物語の存在は大きく影を落としている。

「パノラマ島奇譚」が書かれた年代を改めて調べ直してみると、フィッツジェラルドが「ほしいものをすべて手に入れてしまった自分にはもうこれ以上幸せになることはできないのだ」という「絶頂における絶望」の叫びをあげた、1920年代後半という季節に奇しくも重なっていたことに気づく。虚々実々、何が本当で何がウソで、何が現実で何が幻想かの区別が次第にグチャグチャにされてゆき、最後にはその矛盾が「花火」として「爆発」することで幕を閉じる物語世界の構造は、実はその時代における「現実世界」のありようそのものを背景として成立していたものだったのだということに、思い至らざるを得ない。「幻想の価値」が「物理的な力」を持ち、人々の暮らしから「現実感覚」が失われて、何の根拠もない「全能感」がつかのま社会を覆い尽くす「崩壊前夜の饗宴」の一時期である。この日本においても、そうした時代がかつては一度ならず存在したということだ。

資本主義という制度のおかげで飯を食わせてもらっている経済学者たちは、「危機の時代」が訪れるたび、さまざまな「夢物語」をデッチあげては、自分たち自身をも欺こうとする。やれ物の見方や考え方を変えれば何とかなるとか、もうしばらくすれば「いい波」が訪れるとか、さらにはそもそも「危機」など存在しないのだとか。学校教育で必ず名前の出てくるケインズの時代から、「同じこと」は現在に至ってもマスコミを総動員して延々と繰り返されている。けれどもかれらがいかにそこから目をそらそうとしても、問題の本質に存在しているのは、「かつては確かにそこにあったものが、今では失われてしまった」という不可逆的かつ唯物論的な現実なのである。

「かつては確かにそこにあったもの」とは何か。

「価値」である。

もとよりそれは目に見えるものでもなければ手で触って確かめることのできるものでもないけれど、「価値」というものは「モノに取り憑いた魂」みたいな形で、人間社会のあらゆる場所に「存在」している。それが突然大量に「死滅」する時代が、少なくとも現行の経済制度を前提する限り、この世界には「恐慌」という形をとって、繰り返し訪れることになっている。

「幸せだった時代」を経験したことのある人たちの心の中には、その時代が「価値」に満たされていたという確かな記憶が、必ずハッキリした具体的な形をとって、残されているものだと思う。家に、学校に、職場に、商店街に、山に、川に、海に、田畑に、都市に、交通機関に、人々に、そして自分自身の中に、あふれていたはずの「価値」が今では「失われて」しまったと感じるのは、それがかつては間違いなく「存在」していたからに他ならない。

むろん「価値」には、カネや数字に置き換えられないような「その人にとってだけの価値」というものも存在しているし、そうした「価値」はどんなに時代が移ろうと世界が変わろうと、その人の内側で永遠に消えることのない生命の輝きを放ち続けていることだって、ありうるだろう。けれども「価値」には、「他の人間と共有できる基準」のもとではかられなければ何の意味も持ちえない「社会的な価値」というものも存在している。そして実際には「その人にとってだけのかけがえのない価値」というものだって、「社会的な価値」というものの存在を抜きにしては決して「自力」で存在しえないものなのだ。人間とは「一人では生きられない存在」であり、その「関係性」の内側から生まれてくるのが「価値」なのだから。

経済危機が起こるのは、「価値観」ではなくその「価値」そのものが、まるで魂が抜けるみたいに社会から「失われて」しまうからに他ならない。こんな風に書くとあまりに文学的な感じがするが、マルクスという学者が「資本論」を通じて150年前に解明してみせたこの社会のメカニズムは、つまるところ「そういうこと」を意味していたのだと私自身は理解している。

資本主義という制度から「身を引きはがす」ことを通して、彼氏やそれに続く人々は、「価値」というものがそもそも一体「何」であるのかという問題や、それがある日突然「紙切れ」に変わるようなことがなぜ起きるのかといった問題に対し、人間の歴史の中で初めて「科学的な説明」を与えることに成功した。けれども「説明」できるようになったからといって「失われた価値」が戻ってくるかといえばそんなことは起こるはずもないわけで、「失われたもの」は飽くまで「失われっぱなし」だし、そして私や私たちが暮らしているのはその「価値」が既に「失われてしまった」社会なのである。この感覚は、自分より先に亡くなってしまった自分にとってかけがえのない人が、どんなに泣いても叫んでも決して帰って来ないことを思い知らされる時の気持ちに似ている。て言っか、その感覚そのものである。

私が生まれて初めて見た「21世紀の中国のロックコンサート」の動画の中に映し出されていたのは、そこに弾ける空気の粒のひとつひとつの中にまで「価値」がみなぎっている世界だった。その光景を「価値」の失われた世界の片隅から、私は眺めていた。と言うよりもその光景を目にした時に初めて、私は自分のいま暮らしているのが既に「価値」の失われてしまった世界であることを、頭だけでなく感性を通して「理解」することができたのだと思う。同時に画面の向こうの世界に溢れている「価値」もまた、いつかは「失われて」しまう他にないものであることも。

この曲が私にとって特別な曲のひとつとなった一番大きな理由は、捉え返してみるならそのことだったのかもしれない。



「退廃的」に見えるものをそれが「退廃的」であるという理由で批判の対象とすることはファシズムと紙一重のことなので慎重であらねばならないと私は思うが、この曲にせよ「パノラマ島奇談」にせよフィッツジェラルドの小説にせよ、そうした「終末論的な美学」みたいなものに彩られた作品のことを「好き」になれるかということが問われたならば、到底好きにはなれないしなる気も起こらないという答えしか、自分の中からは出てこない。食べるものもなくて苦しんでいる人たちが世の中に大勢いる中で、「いくらモノがあっても満たされない気持ち」を「歌」にするようなことはそもそもからして傲慢なことだと思うし、場合によっては暴力的なことだ。同じ社会に暮らしている「自分以外の人間」に丸ごと「精神病者」のレッテルを貼りつけて差別的に見下し、「自分だけ」は「それと違った何か」であろうとしてそこから離れて行く、というのがこの歌い手の姿勢であるわけだが、そこには既に「選民思想」の萌芽が見られる。

この歌自体が今では既に「20年くらい前の歌」になってしまっており、若い世代の人に言わせるならば「今どき汪峰なんて中年しか聞かない」みたいな声も聞こえてきたりするのだけれど、もしも今の大陸中国の人々が、チベットや東トルキスタンや香港で自分の国の軍隊や警察が何をやっているのかということにも無関心なまま、こんな刹那的な歌の中にだけ「リアリティ」を見出しているのだとしたら、そんな光景はひたすら「おぞましい」ものだとしか言いようのない気がする。もとより我々「日本人」が最初に思い知らされるべきなのは、「日本の警察」が例えば沖縄で何をしていたとしてもそんなことなどまるで「起こっていない」かのように「通常営業」が繰り返されてゆく、「我々自身の日常」の「おぞましさ」に他ならないわけではあるのだけれど。そうした意味でこうした歌が社会において果たしているのは、「麻薬のような役割」なのだと言わざるを得ないだろう。

けれども私も、花火は好きだ。そして考えてみるなら、テレビは見ないとか本は読まないとか音楽には興味ないとか絵画なんて退屈だとかいう人は世の中にいくらでもいるけれど、「花火が嫌いだ」という人にだけは、今までに一度も出会ったことがなかったような気がする。身内の人が打ち上げ花火の現場で事故に巻き込まれて亡くなったとかいった経験を持っている人でもない限り、「花火なんて見るのもイヤだ」という人は、滅多にいないのではないだろうか。戦争中、どんなに恐ろしい空襲の標的になった街でも、「平和な時代」が再び訪れると、そこではこぞって「花火大会」が再開されていった。私の祖母の家の前には、大阪大空襲の時に1トン爆弾で抉られた地面に水がたまった「爆弾池」が、戦後かなり長いあいだ残されていたのだという。その池のあったところから、毎年夏が来るたびに、幼い頃の私は天神祭の花火を見上げていた。

花火は、人の心を魅きつける。なぜなのか、という問いは、ここでは意味を持たないと思う。およそ何かの「役に立つ」わけでもなければ、食べられるものでも掌の上で愛でることのできるものでもない。そもそも弾けたその瞬間の花火というものは、誰にも「所有」することができない。そして花火がその「本当の姿」を見せるのは常に一瞬で、後には何も残らない。それなのに人の心は常に花火に魅かれるし、ともすれば花火を「求めて」いる。

小学生だった頃、「こどもおぢばがえり」で泊まりがけで遊びに行っていた天理教本部の信者向け詰所の窓から、葛城山の向こうに見えるPL教団の花火大会をみんなで眺めて、大人も子どもも大はしゃぎしていた記憶がある。それは私のあらゆる思い出の中で一番「ヘンな思い出」だったかもしれない気が今ではするが、「悪い思い出」だとは今でも思わない。

「価値」というものは花火に似ている。



さて、書けば書くほどとりとめもないことになってきた「花火」に関するこの文章を、私はどうやって締めくくったらいいのだろうか。

勢いで「マルクス」という名前を出してしまったのでそれに沿って話を進めるなら、彼氏が「資本論」という大部の著作の冒頭部分でまず明らかにしてみせたのは、あらゆる商品の「価値」はそれを生産するためにどれだけの「人間の労働」が注ぎ込まれたかによって決定されるということであり、「価値」の実体とは「蓄積された人間の労働」に他ならない、ということだった。これを踏まえて言うならば、その「価値」が社会から大量に消失してしまう時代というのは、つまるところ「人間そのもの」から「価値」が失われてしまう時代だということを意味していることになる。

人間が自分で認識することのできる「自分自身の価値」には、「誇り」という名前がつけられている。社会から「価値」が失われる時には、「紙切れ」に変わった有価証券や「一山百文」に変わった故郷の山河と同様、人間の「誇り」も徹底的に非情な形で「失われて」ゆく。そしてこの「誇り」というものがなければ、人間というのは「生きてゆけない」ことになっている。

他者より「優位」に立つことに「誇り」を見出してきた人間たちは、そういう「誇り」しか知らない。従って「危機の時代」にあっては、他者の存在を暴力的に否定することを通してしか自分自身の「価値」を「確認」することのできない人間たちの「層」が、必然的に生み出される。この人間たちは自分たちの存在から「価値」が失われたのは、それまで自分たちが見下してきた人間たちからそれを「奪われた」からなのだと感じており、その相手さえいなくなれば「失われた誇り」が自分たちのもとに「戻って」くるかのようにさえ、錯覚している。それが「ファシズム」と呼ばれるものを生み出す「エネルギー」の「実体」である。

けれどもかれらがよしんば自分たち以外の人間を残らず世界から消滅させてしまったとしても、消えた花火を追いかけるのが空しい試みでしかありえないのと同様、「失われた価値」というものは、二度と戻ってこないのだ。かれらが「失われた」と感じているその「価値」自体、元はといえばかれらが「自分の力」で作り出したようなものではありえない。そもそも「自分以外の人間」のことを「かけがえのない存在」だと思えなくなってしまったような人間に、自分自身のことを「かけがえのない存在」として扱うことがどうしてできるだろう。かれらが「破壊」しているのは、その意味ではかれら自身の「尊厳」に他ならない。

それにも関わらず、かれらは「現実的な力」を持っている。かれらが追い求めている「価値」はどこまで行っても「幻想の価値」にすぎないが、かれらの一人一人が「肉体を持って生きている人間」である以上、実際に「人を傷つけることのできる力」やさらには「人を殺すことのできる力」を、「幻想」としてではなく「現実の力」としてかれらは「所有」している。かれらがその「力」を結集させて「政治権力」を手にしたならば、かれらが「生きるに値しない」と見なした人間たちから「生きる手段」を現実に奪い取る「力」、かれらに敵対するものを「公共の敵」として抹殺できる「力」、そして他国と戦争を起こす「力」をも、具体的に手にしてゆくことになる。現在の日本において、またこれまで「先進国」と呼ばれてきたあらゆる国々において、そうした過程が猛烈な勢いで進行していることに「気づいていない」人がもしいるとしたら、それはその人自身が既に「ファシズムの具体的な担い手」となっていること以外の何ものをも意味しないと私は思う。

「私たち」はかれらに「勝つ」ことができるのだろうか。かれらが「失われた価値」にしがみつこうとするその情熱に「負けない力」をもって、「守る」に値する何ものかが、「私たち」の側にはあるだろうか。「誇り」は私たち自身の側からも、失われてしまいつつある。何も「反撃」することができずにいる限り、いずれは最後に残った「誇り」さえかれらの手によって奪われて、そしてかれらはそのことを自分たち自身の「新たな誇り」に変えてゆくことだろう。

「生命の価値」に「優劣」をつけようとするかれらが「否定」する命の存在を、かれらが差別し迫害している「自分たちとは違った人々」の存在を、かれらが敵視し蔑視している他国の人々の存在を、競争に勝った人間および勝ちたい人間で構成されているかれらが「ああはなりたくない」と思うことで「自分が生きるエネルギー」を再生産する原動力となっているところの「負け組」の人々の存在を、そしてそんなかれらとどうしても「同じ」にはなれないあるいは死んでも「同じ」にはなりたくない「私たち自身」の存在を、「私たち」は本当に「かけがえのない存在」だと、感じることができているだろうか。それを「かけがえがない」と感じることのできる心が「私たち」の中に残されている限り、「本当の価値」というものはいまだ「私たち」の中から、失われてはいないのだ。「私たち」は「その誇り」を「現実の力」に変えて「かれら」と「戦う」ことができるのだし、その後に訪れる時代を「生きるに値する時代」に変えてゆくことのできる「新たな価値」は、その「戦い」を通してしか決して「生み出される」ことはないだろう。何もないところから「価値」を作り出すことのできる「力」は、「人間の活動」以外のところにはどこにも「宿って」いないものなのだから。

私が「自由に」使いこなすことのできる言語は「日本語」だけであり、「日本語」を「使って」書くことしか私にはできないけれど、「日本の読者だけに向けて」自分の気持ちを綴ってきたことは、このブログを始めた当初から一度もない。「インターネットの時代」が引き合わせてくれたさまざまな国の友人たちが、実際に地球上のいろいろな場所からこのブログを読んでくれているし、その中には今回とりあげたこの歌が「生み出された世界」である、大陸中国の人たちも存在している。私が「私たち」という言葉を使う時には、その人たちの存在が必ず含まれている。

朝鮮半島の人々と同じく、日本人にとって「近い」けれども「違う」世界の住人である中国語世界の人々の存在は、かつてその世界を侵略しようとして果たせなかったこの島国における「支配的な価値観」の内側において、既に再び強烈な憎悪と排撃の対象とされつつある。「価値の崩壊」の時代を迎えつつある中国社会の内側においても「同じ現象」は必ず起こってくることになるのだろうし、またその憎悪は必ず「日本人」や、中国よりも「おくれた国々」の人々の存在に向けられることになってゆくだろう。そうした中で「私たちの友情」は、常に「緊張感」を孕まざるを得ないような形で、存在している。

けれども私は自分が子どもの頃から夢見てきた「戦争のない時代」「世界中のすべての人々が仲良く幸せに暮らすことのできる時代」がいつかは必ず訪れるはずだということを「信じる」気持ちを、失ったことは一度もない。そしてそんな未来を本当に「実現」できるかどうかは、どんなにささやかであっても今この瞬間に「私たち」の間に結ばれた「かけがえのないつながり」を守りぬけるかどうかにかかっているのであり、その未来に「賭ける」気持ちだけで、私は「今」を生きている。

私がこのブログを書いているのは、自分自身が「失われた価値」の「甘美な思い出」に引きずり込まれて「戦うべき相手」を見失ってしまったりすることが起こらないよう、今の段階でそのすべてに「決着」をつけておくための、準備作業に他ならない。

日本人の両親のあいだに日本で生まれた私に「日本人をやめること」はできないし、世界のどこに行っても「自分が日本人であること」から、逃れることはできない。中国で生まれ中国人として育った「あなた」にとっても、それは同じことだろう。「私たち」を産み育てたのはそれぞれ「違った社会」であり、「私たち」が向き合っているのはそれぞれ「違った現実」である。どっちかがどっちかに「行く」ことなら、できるかもしれない。でも「どっちも」を生きることは、どちらにもできない。これはまあ、「私たち」が「日本人同士」や「中国人同士」であったとしても、本質的には「同じこと」であるはずなのだけど。

けれども当面は「違った世界の違った現実」の中を生きている他にない「私たち」ではあっても、その「違った場所」で「同じ戦い」を戦うことは、決して不可能なことではないだろう。

そしてその「戦い」が、いずれは「私たち」がバラバラにされた形で暮らしているこの世界をも、現実に「ひとつの世界」として結びあわせてくれる日が訪れるであろうことを、私は信じている。

願わくは、自分が生きている間にその時代に巡り会いたいと思う。その時に歌われる歌を聞き、その時に打ち上げられる花火を眺めてみたいと思う。「こんな歌」とは、きっと、全然違っているはずだ。

希望寄託在你們身上。
nagi1995.hatenablog.com
「花火」という曲のことについては、実を言うとこのブログを始めたごく最初の頃にとりあげた汪峰の歌の記事の中で、既に少しだけ触れたことがあった。けれども二年前のその時には、「放っておいたらファシズムの方に吸い寄せられてゆきそうな内容」を明らかに有しているこの歌のことをどう扱えばいいのかということが私自身によく分からなかったし、それについてあれこれと語ることは「うたを翻訳すること」というこのブログのそもそもの趣旨から逸脱することではないかとも思われたので、「問題含みの歌詞」をそのまま翻訳して日本語世界の読者の閲覧に供するという行動には、当時の私は踏み切ることができなかった。けれどもそれから回を重ね時間も流れる中で、「書けることは今の内に書いておいた方がいい」という気持ちが日増しに強くなってきたので、599回目の今回に至って、改めて正面から取りあげることにさせてもらった次第である。いい意味でも悪い意味でも、私という人間が21世紀の中国と直接「出会う」きっかけを作り出した、自分にとって特別な歌がこの歌であるという事実に、変わるところはないからだ。

100曲目、200曲目、300曲目といった「節目」ごとにそれぞれ心の込もった記事を書いてきたつもりではあるけれど、その「前夜祭」にあたる「100x+99」曲目の諸記事には、それまでの「来し方」を振り返る気持ちがどうしても強くなるもので、私にとっては別な意味で「思い入れの強い記事」が並ぶ形になっている。そんな中で今回のこの文章は、今まで書いてきたあらゆる記事の中で最も「小難しい」内容になってしまった気持ちがしないでもないが、それでも「書けてよかった」と感じている。「小難しくなんてなかったよ」という感想を聞かせてもらえるならそれが私にとっては一番「うれしい」ことだと感じるし、またそうした読者の皆さんと「一緒に」、この「価値の失われた時代」から「未来」を切り開く道のりを歩んでゆくことができればと心から思う。

このブログで取りあげてきた歌の数は、次回で600曲になります。

皆さんのご愛読に感謝します。

花火 新褲子楽隊 2019.6.23.


=楽曲データ=
Released: 2000.12.9.
Key: F