華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

One Love もしくは しみじみ (1965. Bob Marley & The Wailers)


One Love

One Love

英語原詞はこちら


One love, one heart
Let's get together and feel all right
Hear the children crying
(One love)
Hear the children crying
(One heart)
Sayin', give thanks and praise
to the Lord and I will feel all right
Sayin', let's get together and feel all right
Whoa, whoa, whoa, whoa

ひとつの愛
ひとつのこころ
いっしょになって
しみじみしよう。
こどもたちが泣いているよ。
子どもたちが泣いてるじゃないか。
かみさまをたたえ
感謝をささげよう。
そしたら
だいじょうぶになる。
いっしょになって
しみじみしよう。


Let them all pass all their dirty remarks
(one love)
There is one question I'd really love to ask
(one heart)
Is there a place for the hopeless sinner
Who has hurt all mankind just to save his own?
Believe me

あのひとたちがみんな
自分の口から吐かれた
よごれた言葉のすべてから
のがれることができますように。
わたしにはどうしても知りたいことが
ひとつあるんだ。
自分ひとりのためだけに
世界中の人間を傷つけてしまったような
救いようのない罪人にも
そのひとのための場所は
あるもんなんだろうかって。


One love, one heart
Let's get together and feel all right
As it was in the beginning
(one love)
So shall it be in the end
(one heart)
Alright, give thanks and praise
to the Lord and I will feel all right
Let's get together and feel all right
One more thing

ひとつの愛
ひとつのこころ
いっしょになって
しみじみしよう。
世界のはじめの時にそうだったように。
終わりの時にもそうなるように。
だいじょうぶ。
かみさまをたたえ
感謝をささげよう。
そしたら
だいじょうぶになる。
いっしょになって
しみじみしよう。


Let's get together to fight this Holy Armageddon
(one love)
So when the Man comes there will be no, no doom
(one song)
Have pity on those whose chances grow thinner
There ain't no hiding place from the Father of Creation

ひとつになろう。
この善と悪との最後の戦いを
たたかうために。
人の子であるその人が
来てくださるその時には
悲しい運命なんてもう
ありはしないんだから。
救われるチャンスを
自分で削っている人たちのことを
かなしむ心を持とう。
世界をつくってくださった
父なる神の前には
隠れることのできるところなんて
どこにもないんだから。


Sayin', one love, one heart
Let's get together and feel all right
I'm pleading to mankind
(one love)
Oh, Lord
(one heart) whoa

ことばで言おう
ひとつの愛
ひとつのこころ
いっしょになって
しみじみしよう。
全人類のみなさんにお願いだ。
ああ、かみさま。


Give thanks and praise to the Lord and I will feel all right
Let's get together and feel all right

かみさまをたたえ
感謝をささげよう。
そしたら
だいじょうぶになる。
いっしょになって
しみじみしよう。


Give thanks and praise to the Lord and I will feel all right
Let's get together and feel all right

かみさまをたたえ
感謝をささげよう。
そしたら
だいじょうぶになる。
いっしょになって
しみじみしよう。

=翻訳をめぐって=

「どっかにいこー」という私の大好きなTheピーズの歌に

ああ もう 君と しみじみする

という一節があって、その「しみじみ」という言葉の使い方がこの歌や他のいろんな歌に出てくるボブ·マーリー独特の「All Right」という言葉の使い方と何となく重なっているような感じが、ずっと昔からしていた。ただし、ピーズの大木温之さんが生まれた千葉県や茨城県のあたりでは、「しみじみする」という言葉が「まじめに取り組む」的な「他の地方では使われない使われ方」で使われているらしく、「もっとしみじみしろ」といったような「命令形の用法」で使われることすら、決して珍しくないのだという。とはいえその事実は、この歌の「All Right」はやっぱり「しみじみ」なのだという私の確信を強めるものでこそあれ、弱めるものではない。この世に存在するすべてとげんしゅくな気持ちで向き合い、それを肯定する時に発せられる言葉が、日本語では「しみじみ」なのだし、英語では「All Right」なのだと思う。ジャマイカでもそれは、同じことなのだろう。
nagi1995.hatenablog.com
さて、とても有名なこの曲なのだけど、歌詞の内容がどのように解釈されているかということには、翻訳する人によって驚くほど「開き」があるらしいということが、調べてみて、分かった。例えば冒頭の

One love, one heart
Let's get together and feel all right

という部分なのだけど、私がこの歌を初めて聞いた時にこのフレーズから受け取った「メッセージ」の内容を「意訳」的に展開するなら、

愛というものは、ひとつしかない。
きみとぼくの心も、世界中の人々の心も、それと同じように、ひとつになれる。
そのひとつの愛とひとつの心のもとに寄り集まって
自分たちは同じひとつの存在なんだという確信に身をゆだねよう。

みたいな感じになる。感じだったのである。ところがネットを検索して出てくる訳詞の中には、

愛が一つ
心が一つ
だったら集めて沢山にしよう
そっちの方がいいだろう

みたいな訳し方のものも存在している。この訳し方だと「One Love」という言葉に込められたそのイメージは、「ひとつの愛を分かち合うことによって孤独でなくなった個人」の姿ではなく「バラバラにされて孤独なままの個人」の姿であるということになる。

どっちの解釈が「正しい」のか、あるいはネイティブの英語話者の耳にはこの歌がどっちの内容で「響いて」いるのかということについては、例によって私はネイティブではないもので、「わからない」としか言いようがない。わからないことの上で、文法的には「どちらの内容で読むことも可能」な歌詞になっている感じがする。ただし、この歌から「両方のメッセージ」を「同時に」受け取ることのできる人はどこにもいないことだろうし、それぞれの聞き手は「どちらかの意味でしか」この歌を受け取れないはずだと思う。「ルビンの壺」という有名なだまし絵の中に描かれた「壺の絵」と「顔の絵」とが、普通の人には「同時」には認識できないようになっているのと同じようにである。



ボブ·マーリーという人自身、肉体をそなえた一人の人間でしかありえなかった以上、「どちらかの意味でしか」この歌は歌っていなかったはずだと思う。「歌う時によって違った」ということならありえたかもしれないが、それぞれの瞬間を切り取るならば彼氏の気持ちは必ず「どちらか」だったはずで、「どちらも」ではありえたはずがない。

そのことの上で私自身には、「全体としてのひとつの愛」という自分の最初の解釈に、どうしてもこだわりたい気持ちがある。「個別の総和」は「全部」ではあっても「全体」ではないのである。「ひとりひとりの人間」は「世界や宇宙を形作っているひとつひとつの部品」みたいな存在であるわけではなく、むしろ「ひとりひとりがその世界や宇宙の全体を内側にそなえた、ひとつひとつの全体」と言うべき存在なのではないだろうか。そうあってほしいしそうありたい気が私はする。けれどもそこまで行くと個々人の主義主張や思想信条の中身に関わってくる話なので、そういった「違った可能性」も含まれているということさえ踏まえておけば、あとは個々人が聞きたいように聞けばいいのではないかと思う。何しろこれは「歌」なのである。

以下は、各フレーズをめぐって。

Hear the children crying
Sayin', give thanks and praise
to the Lord and I will feel all right

Hear the children crying 」の直訳は「子どもたちが泣いているのを聞け」で、ここはまあ問題ないと思う。「cry」は「泣く」ではなく「叫ぶ」とも訳せる言葉だが、恐らくは「泣く」の方が適切だろう。「あの声を聞いてみんなの胸は痛まないのか」的なことを、たぶんボブマーリーは言いたいのだ。

ただし、その直後の「Sayin'」をどう訳せばいいのかということがいまいち分かりにくくて、このあたりがジャマイカ英語の独特な言い方なのかもしれない。聞きようによっては

子どもたちが「give thanks and praise to the Lord」と叫んでいる声を聞こう

と言っているように聞き取れる幅もないではないのかもしれないが、内容的に見るなら前節の「Hear the children crying」と「Sayin'」以降の部分とは、切り離されていると解釈した方が自然だろう。「Sayin'」はおそらく「かけ声」みたいなフレーズなのだと思う。関西弁で翻訳するなら「ちゅーとんねん」とでも訳するところだが、東京弁でそこまでの冒険は私にはできないので、試訳の中では省略した。

もうひとつ、引っかかっているのは、このフレーズの最後の部分が「you will feel all right」ではなく「I will feel all right」になっている点である。「give thanks and praise to the Lord」は明らかに「命令形」の文章だ。神を讃え、感謝を捧げなさい。そしたら「あなたはオーライな気持ちになれるだろう」と言っているなら話は分かるのだが、この歌詞では「私がオーライな気持ちになる」という「主語を強調した言い方」が、あえて選択されている。

あんたは「神」か!

という突っ込みが一瞬ノドモトまで込み上げてくるのを感じてしまったのだけど、いやいやしかしボブマーリーといえば誰でも知ってる「信心深い人」だったわけで、そういう人がこういう最大級に「罰当たりな言葉」を歌詞にすることは、普通、ありえないと思う。想像するに、「One Love (ひとつの愛)」によって結ばれた心と心、みたいなことをテーマにした歌を歌っているうちにこの人からは「歌い手と聞き手の間の境目」みたいな感覚もだんだん失われていって、それで「you」と言うべきところで「I」という言葉がフッと口をついたりしてしまったのではないだろうか。知らんのやけど。知らんよって(知らないので)このあたりの訳し方は、「あいまいな形」にしておく他なかった。

こういう冗長にしか思えないことをあえて書くのは、私と違って「ちゃんと」英語の分かる人がいつかこの記事を読んで、私に「ちゃんと」その意味するところを教えてくれる日を心待ちにしているからです。もしそういう人が今いたら、笑ってないで、コメントよろしくお願いします。

Let them all pass all their dirty remarks
There is one question I'd really love to ask
Is there a place for the hopeless sinner
Who has hurt all mankind just to save his own?

「Is there a place for the hopeless〜」以降の部分は、1965年に当時インプレッションズというR&Bグループで活動していたカーティス·メイフィールドの作った「People Get Ready」という超有名曲から、歌詞もメロディも借用した内容になっている。そのため、1977年に再発売されて以降のこの歌のタイトルは「One Love」ではなく、必ず「One Love/ People Get Ready」という形で「両方が併記されること」に決められているらしい。言及した曲については必ず取りあげるというのがこのブログの不文律なので、次回の翻訳曲は「People Get Ready」で決まりだな。


People Get Ready

ただし、「People Get Ready」の元々の歌詞が

There ain't no room for the hopeless sinner
Who would hurt all mankind just to save his own

自分ひとりを救うために全人類を傷つけるような救いようのない罪人のための場所など、どこにもない

という形でキッパリと「神による悪への裁き」を求める内容になっているのに対し、ボブマーリーが歌うバージョンではそれが

Is there a place for the hopeless sinner
Who has hurt all mankind just to save his own?

自分ひとりを救うために全人類を傷つけるような救いようのない罪人のための場所というのは、どこにもないものなのだろうか

という形で「疑問文」にされている。それほどまでな大悪人に対しても「神の救い」というものは与えられて然るべきなのではないか、ということを恐らくボブマーリーという人は言いたいのである。この点、

善人なほもて往生を遂ぐ
いわんや悪人をや

善人でさえ極楽に往生することができるのだから、悪人にそれができないということがあるだろうか。

という言葉を弟子に残した親鸞という人と同じような思想性をボブマーリーは持っていたのだろうなと私は感じるし、また同じようなところで「格闘」していた人だったのだろうな、とも感じる。「末法の時代」の到来が叫ばれていた800年前、親鸞という人はこの世において本当に「救われる」べきなのは、寺院を建立したり写経に明け暮れたりすることのできるカネと余裕を浴びるほど持ち合わせた貴族や武士階級などではなく、仏教において「悪行」とされている行為にも生きるために手を染めざるを得ない無数の「庶民」であるはずだと考え、かつ、そのように行動した。問題は「死んだ後」ではなく「いま生きているこの世」をどうするかということなのではないかと今では思うが、若い頃にはその生き方にずいぶん魅了された時期が私にはあった。「乱世」においては世界の至る所で必ず発生する「選民思想」的な内容を孕んだ運動に、対抗できる中味を彼氏の思想は具えていたように感じられたからである。ボブマーリーという人が「めざしていたところ」も究極的には同じようなところにあったのではないかと、いまだ彼氏の伝記さえまともに読んだことはないものの、私は勝手に思っている。彼氏が身を置いていた「ラスタファリ運動」の個人崇拝的な内容について私は全く納得が行かないし、浄土真宗だって天皇制ファシズムの時代にはそれに反対するどころか積極的に加担した歴史しか持っていない宗教ではあるわけなのだけど。

しかしながら、「People Get Ready」の元歌がボブマーリーのバージョンと比べて「悪人に厳しい内容」になっていることにも、それなりの理由はあると言わざるを得ない。それというのも「People Get Ready」は、60年代アメリカにおける公民権運動のただ中から「白人による人種差別に対する戦いの歌」として生まれてきた歌だったからである。人種差別という明らかな不正が「大手を振って」まかり通っている世界でそれに立ち向かうためには、歌詞の内容も戦闘的なものになることが当然「必要」だったと思われる。これに対し、合州国より何十年も前に奴隷制が廃止され、人口の90%以上をアフリカ系の人々が占める国として独立したジャマイカでは、「人種対立がもたらす緊張感」が北アメリカと比べて希薄で、そのことが「同じ人間なら分かり合える」というこの歌の楽観的なメッセージを成立させる根拠になっていたようにも、一方では思える。この歌が再発されて世界的なヒットを記録した1977年当時、ジャマイカでは選挙のたびに殺し合いが起こるような二大政党間の抗争が常態化しており、この歌とボブマーリーの存在がその両者を「和解」させるのに一役買った、という有名な逸話があるらしいのだが、その政党間の対立も基本的には「政策の内容」をめぐってのもので、「人種的な対立」が軸となったものではなかったという点については、見ておく必要があると思われる。

とはいえ「わかったようなこと」を書けるほどには私自身、ジャマイカの歴史というものを何も勉強していないし、一知半解でそれ以上あれこれ言うことは「無責任」なことでもあると思う。そのことの上で上記のような背景の違いについてどうしても触れておきたいと思ったのは、差別の現実に無知な人間によって「みんな同じ人間だ」というこの歌のメッセージが「ひとりあるき」をさせ始められた場合、そのことは差別の解消に役立つどころかむしろ「差別の現実にフタをする」結果しかもたらさないのではないかということが、懸念されてならないからなのである。とりわけ「日本には人種差別はない」みたいな言葉を簡単に口にできる人間は一人の例外もなく人種差別主義者であるとしか言いようのないこの島国の現実の中にあっては、なおさらのことなのだ。

マイノリティの側の人間がマジョリティの側に向かって「我々は同じ人間だ」と叫ぶことは普遍的に「正しい」ことだと私は思うが、マジョリティの側からマイノリティに向かって吐かれる「同じ人間だ」という言葉には必ず「ウソ」があるし、多くの場合そこにはマイノリティの人々のことを「理解する努力」さえ拒んだまま自分たちと「同じ」になることだけをマジョリティの側が強要する、暴力的な内容が孕まれている。そういった「非対称な世界」に「我々」は生きているのだという現実から、「我々」はイヤでも出発せざるを得ない。その意味においてこの歌は、少なくとも今の世界の現実の中では、厳密に「歌う人を選ぶ歌」であり続けているのだということを、忘れてはならないだろうと思う。

Let's get together to fight this Holy Armageddon
So when the Man comes there will be no, no doom
Have pity on those whose chances grow thinner
There ain't no hiding place from the Father of Creation

「Holy Armageddon」とは直訳するなら「聖なるハルマゲドン」。「ハルマゲドン」というのは新約聖書の「ヨハネの黙示録」に出てくる「世界の終末における善と悪との決戦場」となるべき場所とされている地名で、それ以上の内容には踏み込んでも仕方がないと思うので、ここでは英和辞典に載っている通り「善と悪との最後の戦い」と訳した。この「ハルマゲドン」というものを「待ち望んで」いる人々が世界には一定数いるらしいのだが、そんな風に「自分たちだけ生き残る気満々」な人たちとは私は死んでも「友だち」になれる余地がないように思う。その言葉に「地上から差別が根絶される日」を重ねたアフリカ系の人々の戦いの歴史に対しては、敬意を払わねばならないと思うにしても。ちなみに昔オウム真理教の直営の食堂「うまかろう安かろう亭」で出されていた「ハルマゲ丼」というメニューの実体は、「春巻き丼」だったらしい。面白がっていい話ではないのだが、私が17歳だった頃に見ていたテレビは朝から晩までその手の話で埋め尽くされていたもので、「それ系の言葉」が出てくると今でも反射的に「懐かしさ」を感じてしまうようなところが、私たちの世代には、多かれ少なかれある。

「when the Man comes」という部分について。他サイトではこの「the Man 」が「白人の支配者」のことを指しているという解釈も見かけたことがあるのだが、聖書の解釈に照らしてもこの「the Man 」はイエス·キリストのことを指していると読むのが「自然」だと思う。「敵」ではなく「自分たちのことを救ってくれる存在」である。U2の「Pride」という歌にも「エコー」しているのがこの歌における「the Man 」であると私は感じる。

この部分でも「People Get Ready」の歌詞とメロディが転用されているのだが、「People Get Ready」の最後の歌詞が

there's no hiding place against the kingdom's throne
神の王国の玉座の前には、隠れる場所なんてどこにもない

というフレーズで締めくくられているのに対し、「One Love」のバージョンでは「kingdom's throne (神の王国の玉座)」という言葉が「Father of Creation (創造の父)」という言葉に置き換えられている。ボブマーリーという人の「神観」を示す、「こだわり」のあらわれなのだと思う。


どっかにいこー 他

総じてこの歌は「祈り」に似ているし、「祈りそのもの」になっている歌でもあるのだと思う。従って私のように信仰というものを持たない人間には、この歌の言葉を「自分の言葉」として歌っている人たちが実際にはどんな気持ちでそれを歌っているのかということなど「わかる」はずがないのだし、軽々しく「わかる」などと言ったらウソにしかならないだろうと思う。それでもやっぱりこの歌は「いい歌」だと私自身は思っているし、そう感じてきたことぐらいは表明させてもらっても構わないのではないかと思っている。ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1965.
Key: B♭