華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

People Get Ready もしくは はよまわりしっ (1965. The Impressions)


People Get Ready

私がこの歌を初めて聞いたのは確か上に動画を貼りつけたジェフ·ベック&ロッド·スチュアートのバージョンを通じてで、今ではもう思い出せないくらいに小さい頃のことだった。ただ、「ギターを持った髪の長いおじさん」と「背広を着たおじさん」とが広い舞台の上に向かい合わせで座って、テレビの中で歌っている姿が夢のように美しく感じられたことだけを、やけに鮮明に覚えている。マンガやコマーシャルや吉本新喜劇に彩られたテレビの向こうの賑やかな「日常」が突然なりをひそめ、何かとても「大切なこと」が始まった感じがした。音楽にまつわる一番古い記憶のひとつである。

そんなこの歌が元々は「白人の歌」ではなく、60年代アメリカにおける公民権運動のただ中から生まれた「戦いの歌」だったということを知ったのはオトナになってからのことだったのだけど、それにつけてもこの歌は本当にいろいろな人たちにカバーされている。例えばこちらはアリーサ·フランクリン。


People Get Ready

こちらはU2&ブルース·スプリングスティーン。


People Get Ready

ディランも歌っていたということはYouTubeで知るまで想像したこともなかった。


People Get Ready

そしてこちらが作曲者のカーティス·メイフィールドによる演奏なのだけど、これだけスタンダードな曲になると、「作った人」が実在していたということ自体が何やら信じられないことであるかのように思えてくる。


People Get Ready

そんな風に「なじみのある曲」なものだから、自分の手で翻訳してみたいという気持ちに駆られた時期も、早かった。しかしながら中学生だった時には、タイトルの訳し方の時点でいきなりつまづいてしまったことを覚えている。

People Get Ready

直訳するなら

人々は準備を整えます

...意味をなさないことはないけれど、こんな変テコな日本語表現が実際に使われうる場面なんて、およそありえないように思われたのである。この「客観的さ」は何なのだろうか。

今なら割かし「知恵がついた」ので、この手のフレーズもそれほど悩むことなく翻訳することができる。耳で聞く分には確かに「People Get Ready」としか言っていないわけではあるけれど、「People」と「Get」の間に「コンマ」が入っていると解釈したならば、訳すべき文章は「People, Get Ready」となり、「人々よ、準備しなさい」という「命令形のフレーズ」になっているのだということがすぐわかる。

また「人々は準備を整えます」などという「客観的な言われ方」をしてしまったら確かにこの人は何が言いたいのだろうと思ってしまうが、これが「みんなもう準備してるよ?」という「言われ方」だったなら、やっぱり相手の言わんとしているところは「あなたも早く準備しなさい」ということなのだ。なので結局のところ「コンマ」が入っていようといまいと、このフレーズは「命令形」で訳しても構わないフレーズなのだということになる。

とは言うものの、そんな風に英語話者の頭の中を「忖度」する術も知らず、こんな単純なフレーズさえ訳すことができずにいた中学生の頃の気持ちというものを私は「大切に」しなければならないと思うし、またその頃の私と同じような悩み方をしている人がこのブログを読んで下さっているなら、そういう読者の方をこそ「大切に」しなければならないと思う。そしてその頃の私がいちばん知りたかった、ネイティブの英語話者の耳にはこの歌がどんな風に「聞こえて」いるのかという問題については、今の私だってやっぱり「わからない」としか言いようがないのである。少なくとも言えることは、「People Get Ready」は「People Get Ready」としか聞こえていないんだろうな、ということだけだ。向こうの人たちはこちらとは逆に英語「しか」知らないわけなのだから。

ちなみにこの「get ready=準備する」に相当する言い方として、私の育った奈良県では「まわりする」という言葉が使われている。「とごる(沈殿する)」「まくれる(転ぶ)」と並んで「奈良でしか使われない言葉」のベスト3の一角を構成している動詞であり、むかし磯城郡田原本町で誘拐事件が発生した際に、犯人を名乗る男が「300万円まわりしとけ」と言ってしまったもので地元の人間だということが一発でバレてしまい、ソッコーで逮捕されてしまったエピソードはあまりにも有名である。だもんで「People Get Ready」を私が自分の地元の言葉で翻訳するとするならば、さしづめ「はよまわりしっ!」という誰もが子どもの頃にお母さんから聞かされた、あの言い方になるのだろう。

...歌の内容に入る前から脱線していても仕方がないので、以下、試訳です。


People Get Ready

People Get Ready

英語原詞はこちら


People get ready,
there's a train a comin'
You don't need no baggage,
you just get on board
All you need is faith,
to hear the diesels hummin'
Don't need no ticket,
you just thank the Lord

準備を整えましょう。
列車がやって来ます。
荷物なんて要りません。
ただ乗り込めばいいのです。
必要なのは信じる心だけ。
ディーゼルのうなりが聞こえてくるのを
信じる心だけです。
切符なんて要りません。
ただ主に感謝すればいいのです。


So people get ready,
for the train to Jordan
Picking up passengers
coast to coast
Faith is the key,
open the doors and board 'em
There's hope for all,
among those loved the most

だから準備を整えましょう。
ヨルダンに向かう列車が来ます。
海岸から西海岸まで
乗ってくる人々を拾いあげながら。
ドアを開き
人々を列車の中に迎え入れる
その鍵は信じる心です。
主がもっとも愛された
その人たちの中には
誰にでも希望があるのです。


There ain't no room
for the hopeless sinner
Whom would hurt all mankind,
just to save his own, believe me now
Have pity on those
whose chances grow thinner
For there is no hiding place,
against the kingdom's throne

自分ひとりの身のために
全人類をも傷つけてみせるような
そんな救いようのない罪人のための
客室はありません。
救われるチャンスを
自分で削っている人々のことを
かなしむ心を持ちましょう。
神の王国の玉座の前に
逃げ隠れすることのできる場所なんて
どこにもないのですから。


So people get ready
there's a train a comin'
You don't need no baggage,
you just get on board
All you need is faith,
to hear the diesels hummin'
Don't need no ticket,
you just thank the Lord

だから準備を整えましょう。
列車がやって来ます。
荷物なんて要りません。
ただ乗り込めばいいのです。
必要なのは信じる心だけ。
ディーゼルのうなりが聞こえてくるのを
信じる心だけです。
切符なんて要りません。
ただ主に感謝すればいいのです。

=翻訳をめぐって=

他の対訳サイトでは外国の歌の訳詞を作る時だけに使われる不思議な日本語「のさのさ口調」で翻訳されているパターンがほとんどなのだが、内容に照らしてこの歌の翻訳に一番ふさわしい文体は「牧師さんの喋り方」なのだと思う。事実、カーティス·メイフィールド自身、この歌の歌詞は彼氏の記憶に残っていた教会での説教の中から、印象深いフレーズを集めて作ったものだとコメントしている。ちなみに「牧師さん」というのはプロテスタントの間でだけ使われる言葉で、カトリックでは「神父さん」と言うらしい。そんなことさえこのブログを始めるまで知らずに生きてきた私なのだけど、この歌の中にはアフリカ系アメリカ人の人々がそんな風に幼い頃から慣れ親しんできた言葉、そして何代にもわたって語り継がれてきた父祖からの教えがそのまま「エコー」しているということなのだと思う。

この歌はマーティン·ルーサー·キング牧師のキャラバンが、メイフィールドとインプレッションズのホームタウンだったシカゴの街にやってくる直前に書かれた曲だったとのことで、公民権運動の「アンセム」としてたちまち全米に広がった。海外サイトでは、この歌のことが以下のように紹介されている。

“It was warrior music,” civil rights activist Gordon Sellers told Rolling Stone, “It was music you listened to while you were preparing to go into battle.”
「それはまさに戦士の歌だった」。公民権運動の活動家、ゴードン·セラーズ氏はローリングストーン誌にそう語った。「戦闘に突撃する準備を整えている時にじっと耳を傾けるためにあるような、そんな歌だったんだ」 Genius_ People Get Ready

ネットの辞書によるならば、「Get ready」というフレーズは「命令形」で使われる場合「覚悟しろよ!」というかなり激しい意味合いの言葉にもなるのだそうで、当時の運動に参加していた人々は、「白人専用のバス」に乗り込むその直前や、警官と差別主義者であふれる街頭に飛び出して行くその時、この静かな歌に心の中で耳を傾けながら文字通り「覚悟を決めて」いたのだろうなということが、極めてリアルに想像される。そうした現場で心を一つにするために歌われるのが、この歌の一番「正しい」歌われ方だったのだろうな、と感じる。

People get ready,
there's a train a comin'

この「train」という言葉には、奴隷制の時代に存在した「地下鉄道」という秘密組織の記憶がエコーしているということが、多くの海外サイトで指摘されていた。

You don't need no baggage,
you just get on board

「don't need no baggage」は学校英語だと「バツ」をつけられる言い方だが、「否定の強調」の表現になっている。それにつけても実際に使っている人のいる言葉であるにも関わらずそれを「バツ」にするなんて、日本の学校教育はどうなっているのだろうと学校を出てみるとつくづく思う。

「荷物は要らない」という歌詞には、「運動に参加するのには武器も思想も必要ない」という当時の公民権運動の理念が示されているという解釈も、他サイトでは紹介されていた。実際それは「美しいこと」だし「そこからしか始まらないこと」でもあるのだけれど、デモの主催者みたいな人物の口からそういう言葉が出てくる時には警戒した方がいい、みたいな感覚も一方で私にはある。「参加者は自分の意見など持たず黙って主催者に従え」ということしか言っていないようなケースが、「現場」では極めて多く見受けられるからである。というのは日本の話。

All you need is faith,
to hear the diesels hummin'

「faith」とは「信仰/信条/信念/信用/信頼」等々と訳せる言葉なのだけど、このフレーズ全体を「ディーゼルの響きを聞き取るために必要なのはfaithだけ」と訳すのと「必要なのはディーゼルの響きに耳を傾けようとするfaithだけ」と訳すのとではどちらが文法的に「正確」なのか、私の英語力ではいまいち心もとない。そのことの上でエンジンの音さえ「信じる心」がなければ聞こえない、と言っている以上、この「列車」は「目には見えない列車」であるわけである。言わば人々の「心の中」にだけ存在する「列車」だということで、「連帯すること」そのものの比喩表現になっていると読むことが可能だと思う。

So people get ready,
for the train to Jordan

ヨルダン川を渡る」ということが聖書的には「神に約束された地に入る」=「戦いに勝利する」ということを意味する比喩表現であることは今までにもこのブログでたびたび見てきたところなのだけど、この歌詞に出てくるのは「ヨルダン川(The Jordan)」ではなく「単なるヨルダン(Jordan)」である。この違いは「意味のあること」なのだろうか、それとも単なる文字数合わせの問題なのだろうか。

海外サイトでは、現在のヨルダン·ハシミテ王国は旧約聖書のダニエル書で「神から与えられる地」として約束されている「アモンの地」にあたるのでやはりこれは「約束の地」という意味なのだ、みたいな解釈が展開されていたが、興味深い視点として、この歌が作られた1965年は、イスラエルのシオニストによって故郷を追われたパレスチナの人々がヨルダンのアンマンを拠点にPLO(パレスチナ解放機構)を結成した翌年にあたっている、ということを指摘しているサイトがあった。この歌詞ではそのパレスチナの戦いとの「連帯」が意識されているのではないか、というのである。

カーティス·メイフィールドが実際にそういうことを意識してこの歌詞を書いたのかどうかということは「わからない」としか言いようのないことだが、もしも当時のパレスチナの人々がアメリカにおける人種差別との戦いの中から生まれたこの歌の中に「自分たちのことが歌われている」と感じ、勇気づけられる気持ちを味わったようなことが実際にあったのだとしたら、それは疑いなく「いい話」だし、「感動的な話」である。そして「歌」というものはそんな風に実にしばしば「作った人間の意図」をも越えて、思いもよらない人の胸に思いもよらないメッセージを届けることのできる「力」を、実際にそなえている。

けれども例えば一方では、大国の利害のために行われる戦争を誰よりも憎んでいたはずの人によって作られたクラッシュの「ロック·ザ·カスパ」という歌が、こともあろうにイラクに爆弾を落としに行く兵士たちの戦意高揚のために「使われて」しまった、といったような事例も世の中には存在している。結局大切なのは、どんな歌であれそれと向き合う一人一人が「自分はそれをどう受け止めるか」という問題なのではないかと思う。歌というのは「使って」いいものではないと私は思うし、そのことはこの世界には「支配されていい人間」などどこにもいないはずだという問題に直結している話だと言えるだろう。何だか最初の話から大きくズレてしまった気がしないでもないけれど、何しろここはそんな風に「ヨルダン」という単語ひとつとっても「いろんな聞き方ができる」ということで、いいのではないかと思う。

There's hope for all,
among those loved the most

キリスト教的な文化の中で育たなかった人間にとっては文法的にも内容的にも分かりにくいフレーズなのだが、直訳するなら「最も愛されたその人たちすべての中には、希望があります」となる。この「最も愛された人たち(those loved the most)」という言葉にはおそらく、新約聖書に出てくるイエス·キリストのいわゆる「山上の垂訓」のくだりの内容が反映されているのだと思われる。

イエス群衆を見て、山にのぼり、座し給へば、弟子たち御許にきたる。 2 イエス口をひらき、教へて言ひたまふ、 3 『幸福なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり。 4 幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん。 5 幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん。 6 幸福なるかな、義に飢ゑ渇く者。その人は飽くことを得ん。 7 幸福なるかな、憐憫ある者。その人は憐憫を得ん。 8 幸福なるかな、心の清き者。その人は神を見ん。 9 幸福なるかな、平和ならしむる者。その人は神の子と稱へられん。 10 幸福なるかな、義のために責められたる者。天國はその人のものなり。
(マタイによる福音書第5章)

そんな風に「虐げられた人間」こそ「神の愛」を最も多く受けることのできる「幸せな存在」なのだという教えを説いた人は、イエス以前にはどこにもいなかった。アメリカにおける人種差別との戦いに「キリスト教の力」が大きな位置を持ってきたことは、それなりに理由のあることだったのだと思う。もっともあの国においてはそれと真逆のことも「キリスト教」の名において正当化されてしまう「伝統」が存在しているわけなのだが。

There ain't no room
for the hopeless sinner
Whom would hurt all mankind,
just to save his own, believe me now
Have pity on those
whose chances grow thinner
For there is no hiding place,
against the kingdom's throne

このくだりについては前回のボブマーリーの「One Love」の記事で詳述したので、ここでは繰り返さない。キリスト教における「神の王国」という概念に関しても、まじめな取りあげ方と言えるかどうかはさておき、下記の記事で考察したことがあったので、読んでみたい方は読んで頂きたい。
nagi1995.hatenablog.com

People Get Ready ハナレグミ

日本語によるカバーでは、やはりこの人のが一番好きだ。まるでこの曲と「夢で逢いましょう」とを歌うために、この世に生まれて来はったような声だと思う。というわけでまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1965.2.
Key: D♭