華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Sailing もしくは白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ (1975. Rod Stewart)


Sailing

Sailing

英語原詞はこちら


I am sailing
I am sailing
Home again
'Cross the sea
I am sailing,
Stormy waters
To be near you,
To be free


わたしは海を進む
わたしは海を進む
ふるさとに帰るため
波を越えて
わたしは海を進む
荒れる波の上を
あなたのそばに向かって
自由になるべくして


I am flying,
I am flying
Like a bird
'Cross the sky
I am flying,
Passing high clouds
To be with you,
To be free


わたしは空を行く
わたしは空を行く
鳥のように
風を横切って
わたしは空を行く
高い雲を突き抜けて
あなたのもとに向かって
自由になるべくして


Can you hear me, can you hear me
Through the dark night, far away
I am dying, forever crying
To be with you, who can say


聞こえるでしょうか
わたしの声が聞こえるでしょうか
闇夜のかなたから
遠く遠く離れて
わたしは死にそうです
永遠に声を枯らし続けて
あなたのもとへということ
それは言葉にすることができない


Can you hear me, can you hear me
Through the dark night far away
I am dying, forever crying
To be with you, who can say


聞こえるでしょうか
わたしの声が聞こえるでしょうか
闇夜のかなたから
遠く遠く離れて
わたしは死にそうです
永遠に叫び続けて
あなたのもとへと
行くことになるのかどうかは
誰にもわからない


We are sailing, we are sailing
Home again
'Cross the sea
We are sailing
Stormy waters
To be near you,
To be free


わたしたちは海を進む
わたしたちは海を進む
ふるさとに帰るため
波を越えて
わたしたちは海を進む
荒れる波の上を
あなたのそばに向かって
自由になるべくして


Oh Lord, to be near you, to be free
Oh Lord, to be near you, to be free
Oh Lord, to be near you, to be free
Oh Lord


ああ主よ
あなたのそばへ行くために
自由になるために

=翻訳をめぐって=

こんなにシンプルな曲ならすぐに翻訳できるし解釈をめぐるコメントも不要だろう、とタカをくくっていたのだが、甘かった。今までに取りあげてきたいろんな曲の中でも一二を争うくらい、難しかった。

冒頭にまず明らかにしておきたいが、今回の試訳にあたっては下記のサイトの方の書かれた文章から、多くを参考にさせてもらっている。「Sailing」について書かれた日本語のネット記事の中では最も詳細で、かつ歌詞との向き合い方が誠実な文章であると思う。そう思うなら「この曲については下記のサイトを読んで下さい」とだけ書いて自分であれこれ言うことは放棄する、というのもこちらからの「誠実さ」の示し方としてはアリなのかもしれないとも思ったが、一応、自分の手で訳してみたいという気持ちも抑えきれなかったので、そこでの言葉の選び方についてはコメントを残しておきたい気持ちになった。けれども、このサイトの方が最初に書かれたことを前にするなら、私が以下に書くことは全部蛇足である。
waya-q.blog.jp
上のサイトにも書かれているように、この歌が「どういう歌」であるのかということについては、

  • 1. 嵐の中で命を失おうとしている一人の船乗りの物語
  • 2. 人生を航海に例えた、我々自身の歌
  • 3. 20世紀後半に生まれた、新しい賛美歌

…という、少なくとも3通りくらいの解釈が可能な内容の歌詞になっている。(他にもきっとあるだろう)。そしてどの視点に立って解釈するかで、ひとつひとつの歌詞の言葉の持つ意味は全く変わってくる。すなわちこの歌が「希望の歌」なのか「絶望の歌」なのか、「帰還の歌」なのか「旅立ちの歌」なのか、「生きるための歌」なのか「死ぬための歌(←変な言い方だが)」なのか、「戦うための歌」なのか「敗北を受け入れるための歌」なのかはそれこそ「聞く人によって違うだろう」としか言いようがない、そんな歌詞なのである。「どちらでもないような言葉」でかつ「どちらでもあるような言葉」でそれを「自然な日本語」に移すことは、極めて難しい。

一番難しいのは、

Can you hear me, can you hear me
Through the dark night far away
I am dying, forever crying
To be with you, who can say

という下りである。ちなみにこの歌はもともと1972年に「サザーランド·ブラザーズ」というスコットランド出身の兄弟デュオが作った曲で、ロッド·ステュアートのカバーによって有名になったのはその三年後のことなのだけど、兄弟の作った「元歌」の歌詞ではこの部分が

I am dying, forever trying.
Will I see you? who can say?

…という、「よりわかりやすく、かつ他の意味で解釈できる余地の少ない言葉」で書かれている。「私は死につつある。永遠にあがき続けている。私はあなたに会うことになるのだろうか。そんなことは誰にもわからない」。すなわち、原型としてのこの歌の歌詞は明らかに「沈んでゆく船の船乗り視点」で書かれているのである。「Will I see you (私はあなたに会うことになるのだろうか)」の「あなた」を「神」と解釈するなら主人公は「死ぬ」のだということだし、「家族や恋人」と解釈するなら「助かる」ということになる。読み方の「幅」はそれくらいである。そして私自身初めて聞いたサザーランド·ブラザーズのバージョンの「Sailing」は、冒頭から水底に引きずり込まれるような感じの低音のドラムがドコドコ響いている、とっても「救いのない印象の曲」だった。


Sailing (Sutherland Brothers)

けれどもおそらくロッド·ステュアートは、自分でこの曲をカバーするにあたり、歌詞の中に色濃く立ち込めている「死のイメージ」を「払拭」することはできないにしても、何とかして「やわらげたい」と思ったのだと思う。そして「希望の歌」としてこの歌を解釈できる余地を、作り出したかったのだと思う。それで

I am dying,
forever crying
To be with you,
who can say

という「コマ切れのフレーズ」が四つ並んだ、それだけ聞かされたのではどう解釈していいのか何とも言いかねるようなアンニュイな言葉遣いを、あえて選択したのだと思われる。

心憎いのは、直訳すると「私は死につつある」となる「I am dying」が読みようによっては「私は死ぬほど~したい」という生きるバイタリティに溢れた言葉に「変わる」ことである。「I am dying」が「情熱をもてあまして死にそうだ!」という「叫び」として聞こえたなら、この歌からは「死のイメージ」や「嵐のイメージ」、さらに「主人公が海の上にいるというイメージ」さえも、きれいさっぱり消え去ることになる。これなら例えば学校の卒業式で歌われたって、不自然ではない。

「To be with you」はそこだけ直訳するなら「あなたと一緒になる(いる)ということ」だ。「I am sailing to be with you」と言うと「私はあなたと一緒になるために航海している」という意味になるが、「I am sailing, to be with you」という風に真ん中に「区切り」を入れると「私は航海している。あなたと一緒になる」みたいな感じになる。そしてその「あなたと一緒になる」という「結果」が「主人公の意思」によってもたらされるのか、それとも「客観的な物事の成り行き」によってもたらされるのかは、情報としては明示されていないことになる。つまりここで「あなたと一緒になるために」という日本語を使うと「訳しすぎ」になってしまうのである。

このことは「to be free (自由になるということ)」についても言える。主人公は「自由になるために」セイリングしているようにも確かに読める歌詞なのだけど、そうではなく主人公の意に反して「自由になる」=「生きることから解放される」=「死につつある」ということが客観的に叙述されているだけという風にも「読める幅」を持った歌詞なのである。主人公が「生きようとしている」のか「死のうとしている」のかは、上述したように「you」と書かれているその相手のことを「神」と解釈するか「恋人」と解釈するかによって変わってくる話だし、「神」と解釈したその上でもやはり両方の解釈が可能だろう。

少し脱線して冒頭の「I am sailing」というフレーズに関しては、「私はこれから船出する」と訳されているパターンが非常に多いのだが、「元歌」を問題にする限りその解釈は「ありえない」と言える。これから海に沈んでゆこうとしている主人公が実はまだ港にいるなどということは「ありえない」し、遭難して沈没することを目的に「出港」するなんてことはなおさら「ありえない」からである。けれどもロッド·ステュアートのバージョンが問題にされるなら、そういう読み方も「ありうる」かとは思う。「じっとしていると死んでしまいそうな気持ち」で「人生の荒波」の中に漕ぎ出してゆく歌、という風にも解釈可能な言葉遣いになっているからである。とはいえ「船出」と翻訳すると他に解釈できる幅が全部消えてしまうので、私は採用していない。

「ありうる」か「ありえない」かで言えば「I am sailing (私は飛んでいる)」はそれこそ絶対に「ありえない」フレーズなわけである。「元歌」では「主人公が死んでその魂が天に召されつつある状態」の客観的叙述ということができるだろうし、ロッドのバージョンでは飽くまで「主人公の今の心の状態」が歌われているだけであって本当の主人公はアパートで伸びすぎた足の爪を切ってるところ、みたいな解釈の仕方も可能である。いずれにしてもこの二連目は全体が「比喩表現」になっているわけだけど、「元歌」とロッドのバージョンではその「位置づけ」が違っている、ということは言えると思う。

三連目の歌詞では「I am sailing」が「We are sailing」になり、主語が「複数」に変わっている。主人公と同じ船の乗組員たち、あるいは主人公と同じ夢を抱いて斃れていった先駆者たち、さらには地球の上に生きる私たちみんな、といった具合にどんな風にも解釈可能な歌詞だと思う。主人公とその恋人、とも解釈できるかと思ったが、それでは「To be with you」とは言わないと思うので、そうだとした場合この「you」はハッキリ「神」のことを指しているということになるだろう。

一番ややこしいのは、「who can say」というフレーズをどう解釈するかという問題である。「元歌」ではこの歌詞が「Will I see you? who can say? 」という「自問自答形式」になっているから、解釈にさほどの幅はない。けれどもロッドのバージョンでは「To be with you, who can say」という「時間差をおいた二つの独り言」みたいになっているから、それぞれをどう解釈するかによって全然その内容が変わってきてしまうのである。

「who can say」を直訳するなら「誰に言えるだろうか」で、その意味するところは「誰にも言えない」と「誰にも予見できない」の二通りに解釈しうる。「誰にも予見できない」を「より自然な日本語」にするなら「誰にもわからない」となるが、「わからない」と言うと「予見できない」以外のいろんな意味まで入ってきてしまうので、誤訳ではなくても誤読を誘発する訳し方になる。だからそのままでは使えない訳し方である。

「To be with you」なんて「誰にも言えない」という意味だと解釈するなら、その場合にも「you」が「誰」を指していると考えるかによって内容は変わってくる。「you」が「神」だとした場合、「To be with you=あなたのもとに行く」とは「神のみもとに行く」ということで、主人公はすなわち「死ぬ」ということになる。そんなセリフ、誰が言えるか!ということで、主人公は「生きる力」を奮い起こしているのである。

一方で「you」が「恋人」だとした場合、主人公は単に「一緒になりたい」というその一言が「言えない」のだということになる。告白できない気持ちの辛さが歌われているだけの、極めて平和な歌である。前段で「forever crying (永遠に叫び続けている)」というフレーズが出てくるけれど、その「叫び」は相手に自分の気持ちを伝えることのできる「意味を持った言葉」には、なりえていないわけだ。だからここでは「声を枯らし続けている」とだけ翻訳した。

「To be with you」になるのかどうかは「誰にもわからない」という意味だとした場合、「神のみもとに行く」=「死ぬ」という意味か「恋人や家族のもとに帰る」=「生きる」という意味かの「どちらか」で歌われているわけだが、どっちの意味にしたところでどういう結果になるかは「誰にもわからない」ということが歌われているわけだから、どの意味で聞いても「間違い」にはならないと思う。

最後の「Oh Lord, to be near you, to be free」に関しては明らかに「神を讃えるフレーズ」なので、ここでだけは「~ために」という訳し方を採用した。「神の意志」の内容がどのようなものであれ、主人公は「自分からそれを受け入れること」を表明しているからである。

…「あらゆる解釈の幅」を半ばムキになって追及してきたけれど、はてさてこの文章に最後まで付き合ってくれた読者の方って、どれくらいいるのだろうか。


Sailing (西城秀樹 81年香港)

すごいなー。西城秀樹がこの歌を香港で日本語で歌った時の10分以上にわたる動画が繁体字の字幕付きで公開されている。(「budokan」は動画を上げた恐らく香港の人の名前)。こういう風にいろんな歌がいろんな意味で「どこの歌かわからなくなってくる感じ」って、好きである。ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Originally Released by The Sutherland Brothers in 1972.6.
Released: 1975.8.15. (Rod Stewart Version)
Key: B