華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Arthur's theme もしくはニューヨークシティ·セレナーデもしくは藤山寛美3600秒 (1981. Christopher Cross)


Arthur's theme (best that you can do)

Arthur's theme (best that you can do)

英語原詞はこちら


Once in your life you find her
Someone that turns your heart around
And next thing you know you're closing down the town
Wake up and it's still with you
Even though you left her way across town
Wondering to yourself, "Hey, what've I found?"

人生で一度だけ
きみは彼女と出会う
きみのハートを
ひっくり返してしまうような
そんな誰かとの出会いだ
そしてきみがその次に気づくのは
夜霧のように
街にへばりついているだけの自分の姿
朝になって目を覚ましても
その人はきみの中から出ていかない
その人のことは街のずっと向こうに
置いてきたはずなのに
何てものと自分は
出会ってしまったんだろうと思いながら


When you get caught between the Moon and New York City
I know it's crazy, but it's true
If you get caught between the Moon and New York City
The best that you can do,
The best that you can do is fall in love

もしきみが
月とニューヨーク·シティの間に
つかまってしまうようなことがあったら
Crazyな話をしてるってことは
わかってるよ
だけど本当のことなんだ
もしきみが
月とニューヨーク·シティの間に
つかまってしまったならそんな時には
いちばんいいのは
いちばんいいのは
恋に落ちることだと思うよ


Arthur he does as he pleases
All of his life, his master's toys
Deep in his heart, he's just, he's just a boy
Living his life one day at a time
And showing himself a really good time
Laughing about the way they want him to be

アーサーは
自分のしたいようにする男
生まれてから死ぬまで
パパの与えてくれたおもちゃを
好きなように使い回して
その心の深いところでは彼氏はただの
ただの男の子にすぎない
自分の人生のその日その日を
気ままに暮らし
すばらしい時間だけを
自分の目に焼きつける
周りの人間が彼氏に求めることを
鼻先で笑い飛ばしながら


When you get caught between the Moon and New York City
I know it's crazy, but it's true
If you get caught between the Moon and New York City
The best that you can do,
The best that you can do is fall in love

もしきみが
月とニューヨーク·シティの間に
つかまってしまうようなことがあったら
Crazyな話をしてるってことは
わかってるよ
だけど本当のことなんだ
もしきみが
月とニューヨーク·シティの間に
つかまってしまったならそんな時には
いちばんいいのは
いちばんいいのは
恋に落ちることだと思うよ


When you get caught between the Moon and New York City
I know it's crazy, but it's true
If you get caught between the Moon and New York City
The best that you can do,
The best that you can do is fall in love

もしきみが
月とニューヨーク·シティの間に
つかまってしまうようなことがあったら
Crazyな話をしてるってことは
わかってるよ
だけど本当のことなんだ
もしきみが
月とニューヨーク·シティの間に
つかまってしまったならそんな時には
いちばんいいのは
いちばんいいのは
恋に落ちることだと思うよ



「crazy」という言葉は「精神病者」に対する差別表現です。ここでは原文をそのまま転載しました。

ニューヨークシティ·セレナーデ

自分が本当に「何ものでもない存在」だった時期というものが、私の人生には19歳の時、ほんの数ヶ月だけ存在した。一応、人並みに夢や目標というものを持って郷里を離れ、大学というところに入ってみたのだけど、それまで夢や目標だと思っていた世界の実体がいかにしょーもないものであったかということを一ヶ月も経たないうちに思い知らされ、それなら自分はこれからどこへ向かって生きていけばいいのかということが、完全に見えなくなってしまった数ヶ月間だった。

今だって「何ものでもない」といえば「何ものでもない」存在として私は人生を送っているわけだし、自分が「何ものかでありたい」と思う気持ち、あるいは「何ものかであること」に執着する気持ちと若い頃の時点で「訣別」することができたことに、今では満足しておりかつそのことを誇りにも感じている。けれどもその時の私には、自分が「何ものでもない存在」になってしまったという事実が、ひたすら受け入れがたいことだった。と言うより、地元で家族や友人に囲まれて暮らしていた時には自分はそれだけで「何ものか」と呼べる存在でありえていたのだということに、その時になって初めて気づかされたということが、私にとっては人生最大の衝撃だったのである。

それを私は自分から「捨てて」、地元の言葉も通じなければ自分のことを大切に扱ってくれる人もどこにもいないような世界に自分から出てきて、それで気がつけば「何ものでもない存在」になってしまっていたのだった。自分は何をやっているのだろうと思ったし、自分は何をやってきたのだろうと思った。

それまでの私にとって「価値のあったこと」は、全部「無価値なこと」に変わってしまっていた。郷里にいた頃に読んでどんなに感動し夢を掻き立てられたような本でも、その時になって読み返してみると「ダマされていた」「きれいごとしか書いてないじゃないか」としか思えなかったし、それは音楽に関しても同じことだった。そしてそれと正比例するように、自分という存在そのものからもボロボロと「価値」が失われてゆきつつあることを、私は感じていた。

自分でも「やばい」と思ったのは、大学に通うために移り住んだその土地で「自然が壊されている現場」に出くわしても全然「腹が立ってこない」ことに、気づかされた時だった。郷里にいた頃は、大阪への通勤圏のニュータウンとして開発が進んでいた自分の地元で山が削られたり川が護岸工事で固められたりといった光景を目にするたびごとに、めちゃめちゃに胸が痛んだものだったし、まるで自分の存在そのものが侵略にさらされているような怒りと口惜しさを感じずにはいられなかったものだった。けれども新しく「自分の地元」になったはずのその土地で「同じような光景」を目の当たりにしても、全然自分の感情は動かされない。それは自分の目の前にあるのが「自分と関係のない風景」であり、「自分にとって無価値な風景」だったからに他ならなかった。

そしてその風景の中に「価値」を見出すことのできない自分は、この土地にあってはそれと同じように「価値のない人間」であり「関係のない人間」であり「いてもいなくても同じな人間」なのだということに、気づかされずにはいられなかった。私は本気で「やばい」と思ったが、思ってもそれで腹が立ってくるものではなかったし、腹を立てて「みせる」ことができたとしてもそんなのは「ウソ」でしかないのだということは、自分自身が一番よく理解していた。

だったら何だろうか。自分が地元にいた頃に「本気で」笑ったり泣いたり怒ったりしていたいろんな思い出のすべてまで、今にして思えば「無価値なこと」であり「ウソ」だったことになってしまうのだろうか、と私は考えた。「ウソ」だったとは今でも思わないし、他の人にとって「無価値」なことでも自分にとって本当に「価値」のあることだったならそれでいいじゃないか、と今では思う。けれどもそれなら地元にさえ帰ってしまえば「昔と同じように」笑ったり泣いたり怒ったりできる毎日が戻ってくるのだろうかといえば、そんな日々はもう二度と戻ってこないのだということを、やはり私は思い知らされていた。決して自分の望んだような形でそうなったわけではなかったにしても、地元を離れることを通して私は「世界を知った」のだったし、それまでの自分にとって「世界のすべて」と等しい位置を持っていた地元という場所も、その「広い世界」の「一部」にしかすぎなかったのだということをまた同時に「知った」のだった。私は自分がもう「どこにも帰れない人間」になってしまったのだということを、自分自身で、知っていた。

出たところで何の発見も新鮮味も見出すことのできない授業に毎日顔を出し、全然言うことを聞く気になれないタイプの人間の言うことに毎日バイト先で従い、一緒にいても面白くも何ともない人間たちと毎日つるんで過ごす日常が続いていた。一緒にいても面白くも何ともない人間たちとの付き合いでも、どこにも居場所のない自分の部屋で一人で過ごす夜よりはマシだった。だから私は毎晩のように知り合った人間の下宿に上がり込んで、いろんな場所を泊まり歩いていた。拒まれることがほとんどなかったのは、かれらはかれらで「さびしかった」からなのだろうと思う。向こうの方だって、私みたいな人間に泊まりに来られても、面白くも何ともなかったはずなのだけれど。

「アーサー」という映画に出会ったのはそんな夜、名前も忘れてしまったとあるクラスメートの部屋でのことだった。

その部屋ではその時、わけのわからない酒盛りが繰り広げられていたのだったけど、酒を飲んでも気持ちよくなる前に気持ち悪くなってしまう私は初めからそれに参加せず、部屋の隅っこでつけっぱなしのテレビの画面だけを、見るともなく眺めていた。まあ、単なるイヤなやつだった。

日付が変わって酔っ払っていた連中も一人二人と静かになってくるような時間帯になると、テレビの中でもバラエティ番組の空騒ぎが一段落して、いつの間にか深夜映画が始まっていた。ニューヨークの大金持ちのドラ息子が、イタリア系移民の貧しくて正直な娘さんと恋に落ちる、そんな世界中の物語作家の頭の中に腐るほど転がっていそうなストーリーの映画であるらしかった。冒頭、夜の大都会でカネに物を言わせて派手に遊びまくる主人公の刹那的な描写に、それと全く不釣り合いな感じで重ねられてくるしっとりとした主題歌が、やけに印象に残った。字幕に出てきた「ニューヨークシティ·セレナーデ (クリストファー·クロス)」というクレジットを、私は心のメモ帳に書きとめた。

映画の中に面白おかしく描き出される大金持ちの日常は何から何まで「ありえない」もので、その「ありえなさ」を「ありえない」と感じている自分の感じ方に、私は新鮮な驚きを感じていた。実家にいた頃にだって映画はいくらでも見ていたが、その頃にはそんなことが「気になった」ことは、一度もなかったのである。まして映画に出てくる人間の暮らしと自分の暮らしを「比べる」ようなことは、考えたことさえなかった。それはそれまでの私が、それなりに「幸せな世界」で生きていたからなのだと思う。そして「映画の世界は映画の世界」「自分らの世界は自分らの世界」という風に簡単に「割り切って」しまうことができるぐらいに、確固とした「自分たちの世界」と呼べる世界が、自分の周りに広がっていたからだったのだと思う。

けれどもその時の私は「何ものでもなくなってしまった自分」の日常と、映画の中に描き出される大金持ちのきらびやかな日常とを「比べる」ことを通して、「ありえない」という感想を受け取っていた。そしてその一方で、映画の中のかれらだって服を脱いでしまえば「何ものでもない」一人一人の人間にすぎないわけなのに、その一人一人が「何ものか」であろうとして必死でいろんなことにカネをかけまくっていることの空疎さが、この上なく「リアル」に伝わってくるようにも感じられた。映画を見ながらそんなことを考えたことというのもまた、それまでに一度もなかったことだった。つまり私は自分の「感性」というものが実家を離れて僅か数ヶ月の間にそれだけ「変わって」しまっていたのだということに、その映画との偶然の出会いを通じて、初めて気づかされることになったわけなのである。

そのことを「さびしい」と感じる気持ちには、自分でも不思議だったけど、ならなかった。むしろ今までの自分は本当の世界との向き合い方というものを何一つ知らないまま「世界」と向き合ってきたのだなと思いながら、映画の中の世界と向き合っていた。そこに映し出されていたのはそれまでに見たこともなかったような世界では別になかったけれど、それまでとは違った「意味」をまとって私の前に立ち現れてきた「現実の世界」に他ならなかった。

ダドリー·ムーアが演じていたドラ息子のアーサーは、今でこそ親のスネをかじりまくって遊び倒しているわけではあるけれど、その父親の決めた相手と結婚しなければ遺産を受け取れず、「何ものでもない存在」になってしまうことを「運命」づけられている。その「何ものかでいられる世界」から「何ものでもなくなってしまう世界」への「転落」が迫ってくる緊張感というものは、そこだけ切り取ってみるならば当時の私にとっては極めて「リアル」に感じられるものだった。一方で個性的な顔立ちをした相手役のライザ·ミネリという人は、ここに書いても仕方のない話ではあるけれど、私の母親とどことなく顔の造りが似ていた。自分の親にもこんな時代があったのだろうかと想像することや、自分の親がこんな世界で生きている人だったなら自分の人生はどうなっていただろうかと想像したりすることも、親と一緒に暮らしていた間は、そういえば、一度もしたことのなかったことだった。

そして二人がいろんなことがあったけど結局めでたく結ばれるラストを迎えても、私は別に「よかった」とは思わなかったし、何らかの「カタルシス」を感じたわけでもなかった。やっぱりこんな話は「ありえない」だろうと思っただけだったし、陳腐なストーリーだとも感じた。けれども私はその映画を見る前の自分と見た後の自分とがハッキリと「違う人間」に変わっていることを、感じ取っていた。実際にはその「変化」はそれよりもうちょっと早い時点で、自分の中に起こっていたのだと思う。ただその時の私には「気がつくきっかけ」が必要だったということで、それが私にとってはあの映画だったということになるのだろう。それだけの話だった。

私はそっとテレビを消し、部屋の中に転がっている酔っ払いたちを誰も起こさないように気をつけながらドアを開け、夜明けが二時間後ぐらいに迫った街に出た。それ以来、と言えればカッコいいのだが実際にはもう一ヶ月ぐらい何やかやと引きずることになったのだけど、結局私は大学に戻ることはなかったし、地元に帰る道を選ぶこともなかった。その後のことについては書かないけれど、今にして思うなら自分が「何ものでもないことを受け入れた何ものか」に変わった転換点となったのが、あの夜だったということになるのだと思う。

「もしもきみが月とニューヨーク·シティの真ん中につかまってしまったなら」というこの歌のコーラスを聞くたびに、その歌詞通りに「宙ぶらりん」だったその頃の気持ちや、その夜のことを思い出す。「大した歌」だとは思わないし「大した映画」だったともやっぱり思わないのだけど、それでも自分の歴史の中ではやはり、特別な意味を持った出会いだったのである。

藤山寛美3600秒


松竹新喜劇 1973年

ところで、私がそんな風に故郷から遠く離れた場所でアーサーという「大金持ちのボンボン」の映画の主人公と出会ったその時、彼氏の姿と頭の中でしきりと重なって感じられたのは、自分が本当に小さかった頃にテレビで流れていた松竹新喜劇で藤山寛美が演じていた、「あほぼん」の姿だった。「あほ」というのはもとより「精神病者」に対してその人格を否定するために使われてきた差別語であり、その歴史と共に廃絶されるべき言葉だと私は思っているが、そのことの上で藤山寛美という人の「あほ役」に対する取り組み方というのは、本人の意識の中では相当に「真面目」なものだったらしいということを、最近になって知った。

図書館で読んだその著書によるならば、戦後約10年を経て「あほ役」で一挙に人気が火がついた当時、藤山寛美のお姉さんには脳に「障害」を持った子どもが、生まれていたのだという。そして「差別」という言葉は使われていなかったけど、そんな風に病気を持って生まれて苦しい思いをしながら生きている人たちのマネをして、舞台の上で「笑い物」にするようなことは、人間として許されることなのだろうか、と真剣に悩むことも、したのだという。けれども自分の演じる「あほ」は「あほ」であるからこそ、世間の人々が日頃心で思っていても口に出せない本音をいつでも真っ直ぐ語ることのできる「正義のヒーロー」なのだ。決して病気で苦しんでいる人たちのことを、さげすむようなことはしていない。そんな「葛藤」を抱えながらあの人は40年にわたって「あほ役」を演じ続けていたのだということが、その本には綴られていた。

そしてこの21世紀になって、本数は少ないけれどいくつか見られるようになってきた昔の松竹新喜劇の動画をYouTubeで見てみると、藤山寛美の演じていた「あほぼん」というのは、確かにめちゃめちゃカッコいい。そして「あほ役」がイジメやイビリの対象とされがちな吉本新喜劇の場合とは対象的に、この「あほぼん」は舞台の上の全員からひたすら「大切に」扱われている。「社長の息子」という役どころからしてそのことは当然といえば当然の話なのだが、同じ「あほ役」でも周りから大切にされている人の姿にはこんなにも「尊厳」が加わってくるものなのかということに、驚かされてしまうくらいである。

お父さん役の二代目渋谷天外という人は、私が物心つく前に故人になっていた人だが、この人の存在が実は、重要だったのだと思う。この人は若い頃に悪どいことをしてのし上がった会社の社長であり、周りからも恐れられている言わば「体制側の人間」の象徴と言うべき役どころなわけだが、そんな人間の内側にも「美しい心」は存在しているのだということが、「あほ役」の息子の「美しい心」の前ではまるで鏡の前に立ったように、あぶり出されてしまう。「汚い世間」で生きている中座の観衆が「自分自身」を投影するのは、むしろこの「お父さんの姿」に対してなのである。タテマエやシガラミの鎧の下から「美しい心」を引き出されて苦悩するお父さんの姿に触れることで、観衆は自分たちの心の中にもそれと同じ「美しさ」が存在していることを「発見」し、カタルシスを感じることができる。

だから松竹新喜劇では、「笑いのシーン」ではなく「泣きのシーン」で「拍手」が起こる。(昔は吉本新喜劇でもそうだったことを、私は覚えている)。こんなクサいストーリーがあるものかと思いながら眺めていたはずだったのに、気がつけば一緒に涙を流してしまっていた自分に気づいて、先日私は久しぶりにアセった。松竹新喜劇を見て自分が「泣く」などということは、若かった頃の私の感覚からしてみれば、絶対に「ありえないこと」だったからである。老いたのか私は、と少なからずショックだったが、一方で自分の親や祖父母の世代の人たちが「泣くために」ハンカチを持って芝居を観に行っていたのはこういう気持ちだったのかということが初めて「理解」できたような気がして、そのことはとても新鮮に感じられた。そしてそういう「文化」って今の日本にもまだ残っているのだろうかということが、ずっと素通りしてきた世界だっただけに、気になりだしたりもした。

でもなー、と地元を離れて何ものでもなくなってしまった今の私は、何ものでもなくなったその視点から自分の育った世界の「文化」を振り返ってみて、改めて思う。それというのは結局のところ、「世間のルール」を受け入れてそれに従って生きている人間たちのために「だけ」準備されている「カタルシス」であるにすぎないのである。「世間のルール」の中には、「あほ」というのは差別しても構わない人間なのだという「暗黙の了解」までが、「ルール」として含まれているわけだ。その「ルール」に手をかけることをしない限り、「あほ」を「ネタ」として「消費」の対象にするような「笑い」は、どこまで行っても「差別の笑い」にしかならないのではないだろうか。

藤山寛美に言い負かされてグウの音も出なくなる登場人物の情けない姿を見て観客が「笑う」のは、「アホにあないにボロクソに言われたら、むかつくやろなあ」という風に、その登場人物の気持ちを自分におきかえて「理解」することができるからなのであって、芝居の台本は初めからそのことを計算に入れた上で書かれているのである。だが、「正しいこと」ならそれは誰の口から出たって「正しいこと」であるはずだろう。それを「あほ」に言われたらどうして「むかつく」ことになるのか。「あほ」のことを見下して、差別しているからではないのか。その観客の差別意識に「訴える」形で芝居の内容が組み立てられている以上、そんな芝居は差別的な芝居であるとしか、やはり私には言いようがない。

さらに言うなら、舞台に出てくる登場人物の大多数は、藤山寛美の「あほぼん」のことを「立派な人間」だと思って尊敬しているわけではなく、単にその父親の「社長」の持っている「権力」が「怖い」から、黙ってその言うことに従っているにすぎない。私もその中に身を置いていた日本関西地方の「文化」においては、周りから「あほ」の烙印を押された人間が不正を見て黙っていられなくて抗議の声をあげるような挙に出たりした場合、賞賛されるどころか「ボコボコにされる」のがむしろ「普通」なのである。ボコボコにされなければ客が「不自然」だと感じるほどに強烈な差別が存在するから、「社長の息子」という「設定」が必要になるのであって、「あほぼん」だって親が「社長」でなければ、きっとボコボコにされるだろう。そのことを「当たり前」だと思っている観客たちは、たとえ舞台の上の「あほぼん」には拍手を送っても、家に帰ればやはり自分が「あほ」だと見なしている人間のことを平気で差別し、ボコボコにすることのできる人間であり続けているに違いない。それは演者たちにしたって、同じことなのだ。そういう人間たちの感性によって形作られた芝居の空間というのは、ボコボコにされる人間の立場からしてみるならばひたすらに「恐ろしい」ものでしかありえないと思う。動画だったからいろんなことを考えながら最後まで鑑賞することができたけど、もし実際に劇場に足を運んでみたならば、その空間に立ち込める「同調圧力」に耐えられなくなって、早々に飛び出してしまうのではないかという気が今の私はする。

「あほぼん」のカッコいいシーンに「スカッとする」観客だっているのだろうし、私も実際にそうした感覚を味わったわけなのだけど、よくよく考えてみるならばその「気持ちよさ」というのは、「あほぼんの真心の美しさ」にではなく「社長の持っている権力」に自分を重ねることを通して得られるタイプの「気持ちよさ」であるにすぎない。水戸黄門の印籠よろしくどんな相手でもひれ伏させてしまう「社長の権力」をバックにしているからこそ「あほぼん」は「言いたいことが言える」のであって、そのこと自体は「カッコいいこと」でも何でもない。こういう芝居に一番「気持ちよさ」を感じる観客は、恐らくは中小企業の社長みたいな人たちなのであり、脚本自体もそうした「客層」を意識して書かれたものになっているのだと思う。実際の世の中ではそういう立場にある人間たちこそが、セクハラやパワハラをはじめありとあらゆる差別と暴力を量産している最大の当事者に他ならないわけなのだが、そうした人間たちの「意識を変えること」など、この芝居においては全く意識されていない。ただひたすら「気持ちよくお帰りいただく」ことだけが、意識されているだけである。

こうした芝居に「世の中を変える姿勢」を求めること自体がそもそも無意味なことなのだろうとも思わないではないけれど、だったら「あほ」の立場はどうなるのだ、とはやっぱり思う。「あほ」は永遠に差別されたままでいろ、ということなのだろうか。大阪と松竹新喜劇の未来のために。

芝居の中では「あほぼん」と一緒に育ったという設定の社長秘書の男性が、「ぼん」への忠誠心のために自分の恋人に向かって「ぼんと結婚してやってくれ」と頼み込むシーンまで出てくるのだが、これにはさすがに引いた。そして自分が生まれた頃の大阪ではいまだにこんな話が「美談」として通用するような価値観が幅をきかせていたのかという事実に、ゾッとするのを覚えた。また私は直接見たことはないのだけれど、「あほぼん」以外の役での座長公演の際に藤山寛美に向かって最も大きな拍手が寄せられていたのは、いつも決まって「強気な女房の尻に敷かれている情けない主人公の亭主が、最後の最後になって家長としての自分の立場に目覚め、女房のことをしばき倒すシーン」だったのだという。「最悪」としか言いようがない。つまるところは「そういうのを喜ぶ客のための芝居」だったわけだ。今はどうなってるのか全然知らないけれど。松竹についても吉本についても。

「お父さん役」だった二代目渋谷天外が亡くなって以降の松竹新喜劇は、成り行きとしてなのかそれとも本人の意思もあってのことなのか、完全に藤山寛美の「独裁」のもとでしか体制を維持できなくなっていたらしいのだけど、その寛美が亡くなる直前に収録された桂米朝との対談の中で「最近はヒットラーに憧れる」「あの統率能力が、本当にうらやましいと思う」ということをフツーに語っていた言葉を読んで、大衆芸能の人たちって結局最後はみんなそんな風になってしまう他ないものなのだろうかとつくづく思った。世の中が今より「平和」で「安定」していた少年時代、吉本のことも松竹のことも多少「保守的」だと感じたことはあったにしても、それを「極右」だと思ったことなどは一度もなかったのだ。けれどもひとたび時代が煮詰まりだしたら、「普通の人々の代表」をもって任じていたその手の人間たちはほとんど一人の例外もなく、「ファシズムの最も情熱的な担い手」へと急速な変貌を遂げつつある。そうなる必然性を見抜けず、それと対決することができなかった昔の自分を、今となっては悔やむ他ない。ちなみに「あほぼん」のあの独特なヘアスタイルは、キャラクターが作られた当初から「ヒトラーの髪型」を意識してセットされていたものだったらしい。知りたくなかったことだった。

せめて米朝師匠には、「あんた、そら、言うてええことと悪いことがおまっしゃろ」ぐらいのことは、言ってほしかったのだけどな。「我々が落語で笑ってもらえるのは、戦争がなくなった時代のおかげや」とあれほど言うてはった人なのだから。

そういうことが頭でわかっているはずの人間でも、「あほぼん」の「ひたむきな演技」を見ていると涙が出てきてしまう、みたいなことは実際に起こってしまうわけで、そういう「力」を持っている点が、ファシズムというものの本当に恐ろしいところなのだと思う。私が「自分の青春に決着をつけるため」にこのブログを書いていると言う時、一番「決着」をつけなければならないし、またつけたいと感じているのは、その辺の感覚に対してなのである。「差別と戦争の時代」が今まさにもう一度繰り返されようとしているこの21世紀、私や私たちが本当に「守らなければならない」のは、「そんな思い出」なんかでは断じてありえない。世の中には「捨てる」ことを通してしか手に入らない未来というものが間違いなくあるのだし、世界とのつながりが断ち切られてしまったと感じたところからしか見えてこない世界というのも、確実にあるものなのだ。「ニューヨークシティ·セレナーデの夜」から私が学んだことは、そういうことだったはずだと今では捉え返している。

…話が2つあったものでまたしても長ったらしい文章を書くことになってしまったが、どちらも私にとってはいつかどこかの時点で、この歌にまつわる思い出と一緒に言葉にしておかなければならなかったことだった。単純に歌詞の意味だけが知りたくてこのページを訪れて下さった方は、何なのだこのブログはと思っておられることでしょうね。最近ではもう、説明するのも億劫になってしまったのですが、興味がおありでしたら最初の記事から順番に読んでやって頂ければ幸いです。


EXテレビ 1990年

=翻訳をめぐって=

Once in your life you will find her
Someone that turns your heart around
And next thing you know
You’re closing down the town

この歌はとても詩的な言葉で書かれている印象を受けるのだけど、それが英語話者の耳にどんな風に詩的に響いているのかということは、例によってネイティブではないので分からないとしか言いようがない。難しかったのは「You’re closing down the town」という部分だ。「close down」は「閉店する」で「close down the town」だと「街を閉店させる」。お前は夜の帝王か、と思ってしまうが、確かにアーサーはある意味夜の帝王的な人物ではあるわけだが、しかしそういう夜の帝王ではないと思う。どないやねん。

どうもしっくり来る訳語が見つからないので辞書を下の方まで眺めてみたら、「close down」には「(霧などが)立ちこめる」という意味もあることが分かった。だとしたらこのフレーズは、主人公が「霧的なもの」になって夜の街に「立ちこめて」いるさまの詩的な描写であると解釈できるのではないだろうか。少なくとも「close down」という「響き」にはそういう「語感」があるのだということを、辞書は私に教えてくれているわけである。そんな風に考えて作ってみたのが、上の試訳だった。

しかしながら後になって英語圏のYahoo知恵袋的なサイトを開いてみると、「close down the town」というフレーズは辞書にこそ載っていないものの、「街中が店じまいしてしまうまで当てもなくさまよい歩く」という意味で使われている言葉であるらしいことが分かった。私と同じようにこの歌の歌詞が分からなくて、質問している人がいたのである。だったら割と散文的な歌詞であるようにも思うが、「夜霧のように街にへばりつく」でも別に間違ったイメージにはなっていないと思うので、試訳はそのままにしておいた。参考にされたい。

Wake up and it's still with you
Even though you left her way across town
Wondering to yourself, "Hey, what've I found?"

「it」や「what」といったように、「人間」そのものを表現する言葉ではなく「もの」や「こと」をあらわす言葉で「彼女のこと」が表現されているのが印象的である。というのはただの感想。

Arthur he does as he pleases
All of his life, his master's toys

多くの英語話者には二行目の歌詞が「he’s mastered choice」と聞こえているらしく、これだと「彼氏は選択することをマスターしてきた」という意味になる。金持ちであるということはいつでも「選択の主人」でいられるということだから、この方が映画の内容にも合っているじゃないかと考えている人も、少なくないらしい。

けれども「公式」の歌詞はやっぱり「his master's toys」であるようで、直訳するなら「彼にとっての支配的な人物が所有する複数のオモチャ」である。「彼にとっての支配的な人物」は映画の内容的には「パパ」でいいと思う。そのパパが与えてくれるオモチャを「好きなように使っている (does as he pleases)」わけだ。

Living his life one day at a time

「live one day at a time」は新約聖書のマタイ福音書6章34節に出てくる言い回しで、「その日その日を好きなように暮らす」「明日のことを思い煩わない」という意味だとのこと。ことわざ的に使われているらしい。
note.mu
note.mu
note.mu
note.mu
さて、「月」といえば「ミチコオノ日記」の作者の人が一年以上にわたって描き続けておられるこの物語である。現在「月」は第4章、通算では第118夜に突入しており、話の内容はますます時空を超えて大変なことになっている。今回はあまりに詰め込みすぎな内容になってしまったので語るのは別の機会に回すけど、そろそろ久しぶりに気合を入れてあらすじなどを整理し直す試みを開始して行きたい。「ミチコオノ日記」の時以上に、ビックリするような発見がいろいろ出てくるに違いないと思う。今回初めてこの絵柄と出会った皆さんは、良かったら下のリンクから関連記事を回って帰って下さい。24時間ぐらいでは絶対戻って来れないことになると思います。ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1981.7.17.
Key: C→A