華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Send In the Clowns もしくは とんだピエロは地べたの私 (1973. Frank Sinatra)



映画「Joker」から、重要な場面で流れる曲をもうひとつ。「Send In the Clowns=ピエロを送り込め」というのは、客がしらけてきた時にはとにかくピエロを舞台に出せばまた盛り上がる、みたいなことを意味する、ショービジネスの世界に伝わる格言なのだという。ということはつまり、「ピエロを出せ」というのは「しらけてるぞ」「何とかしろ」「見ちゃいられない」「今のはなかったことにしてくれ」等々、いろんな含みを持たせた言い方なのだということになる。そういうことまで頭に入れて読まないと、この歌の歌詞は相当に難解である。事実英語圏でも、この歌は「よく分からないけど雰囲気だけで聞く歌」の定番のひとつになっているらしい。私が翻訳すると、下のような感じになった。


Send In the Clowns

Send In the Clowns

英語原詞はこちら


Isn't it rich?
Are we a pair?
Me here at last on the ground,
You in mid-air,
Where are the clowns?

リッチな話だと思わないのか。
私たちは似合いの二人じゃ
ないというのか。
私がようやく
地面に足を降ろしたと思ったら
きみは宙空に浮かんでいる。
ピエロは何をやってるんだ。


Isn't it bliss?
Don't you approve?
One who keeps tearing around,
One who can't move,
Where are the clowns?
There ought to be clowns?

至福だとは思わないのか。
きみは受け入れてくれないというのか。
片方は大騒ぎしていて
片方は身動きもできない。
ピエロは何をやってるんだ。
ピエロが出てくる場面じゃないのか。


Just when I'd stopped opening doors,
Finally knowing the one that I wanted was yours
Making my entrance again with my usual flair
Sure of my lines
No one is there

立ち止まっていくつものドアを
開けようとしたその時
私が求めていたたったひとりの人は
きみだったのだということに
やっと気づいた。
いつものように決めて
颯爽と登場してみたその時
私の前には
誰も列を作っていなかった。


Don't you love farce?
My fault, I fear
I thought that you'd want what I want
Sorry, my dear!
But where are the clowns
Send in the clowns
Don't bother, they're here

道化芝居は
好みじゃないのかな。
間違っていたのは
私なのだろうな。
と思う。
私と同じものを
きみもきっと求めているのだろうと
そう思っていたのだ。
申し訳ない愛しい人よ!
でも
ピエロはいったい何をしているんだ?
舞台にピエロを上げてくれ
…いや気にしないでくれ。
ピエロはここにいたんだ。


Isn't it rich?
Isn't it queer?
Losing my timing this late in my career
But where are the clowns?
There ought to be clowns
Well, maybe next year

リッチな話だと思わないか。
おかしな話だと思わないか。
これだけ生きてきて肝心な時に
タイミングを外してしまったなんて。
しかしピエロは何をやってるんだ。
ピエロが出てくる場面じゃないのか。
ああできることなら
来年のチャンスを待ちたい。


チューリップ サボテンの花

=翻訳をめぐって=

「トシちゃん、タローちゃん、演技終わったよ。ぶらぼう、ぶらぼうって出てきてよ。出てきてくれなきゃ、演技じゃなくなっちゃうよ。本当のことになっちゃうよ…」という第三舞台の戯曲「天使に瞳を閉じて」のワンシーンを思い出してしまった人は私だけではあるまいが、さりとてそれほどたくさんの人に分かる話だとも思えないので、ここでは「そういう話もありますよ」と言及するだけにとどめておく。ちなみに「天使は瞳を閉じて」のそのシーンで流れていたのがチューリップの「サボテンの花」で、こうやって並べてみると、どことなくこの歌と世界がつながっていることを感じないでもない。


Send In the Clowns

この曲「Send In The Clown」は1973年にアメリカで上演されたミュージカル「A Little Night Music」のために作られた曲だったのだそうで、舞台の上では「女性が歌う歌」になっている。その後ジュディ·コリンズが歌って大ヒットしたりもしているので、「本来」であれば「日本語」に翻訳する際には「女性の言葉」に「直して」翻訳することが「必要」なのかもしれないが(カギカッコをいっぱいつけたのは、しかしながら私自身はそういう「日本の文化」というものを少しも「必要」だとも「当然」だとも考えていないからです)、「Joker」に使われていたのは飽くまでもフランク·シナトラのバージョンだったので、上の試訳ではとりあえず「それっぽい文体」を採用している。とはいえもしも「女性の言葉」で翻訳してみたならば、同じ内容でも相当に違った聞こえ方がすることになるだろうと思われる。

「A Little Night Music」というミュージカルがどういうお話なのかというと、ヒロインのディジリーという女性がフレデリックという弁護士と「遊びの恋」に落ちるのだけど、本気になったフレデリックから結婚を申し込まれるとスゲなく断ってしまう。しかしながら何年も経つうちに自分が本当に愛していたのはフレデリックだったのだということに気づき、今度は彼女の方から結婚を申し込むのだが、その時にはフレデリックにはもう彼氏自身が夢中になっている許嫁ができていて、スゲなく断られてしまう。といった感じの筋書きになっているのだそうで、その男女の役割を逆転させてみれば完全に上のシナトラバージョンの試訳の内容と重なっている。特に他の説明は不要だと思う。

冒頭の「Are we a pair?」は別に「否定疑問文」にはなっていないので、直訳するなら「私たちは似合いの二人なのですか」と翻訳すべきところなのだろうが、日本語話者の感覚からするなら好きな相手に向かってこういう「質問の仕方」をする人はいないだろう。するなら「私たちはお似合いじゃないってわけ?」と必ず「詰問調」になると思う。なので上の試訳では、英語の試験ならバツがつけられることになるのだろうけれど、「否定疑問文 (Are'nt we a pair?)」としての翻訳の仕方をあえて選択している。そんな風に文法的な制約を無視した「意訳」になっている部分が、今回はいつも以上に沢山あるが、大きく内容を外しているところはないと思うので、細かい注釈は省略させてもらいたい。

Send in the clowns
Don't bother, they're here

という部分に関して言うなら、「ピエロは何をやってるんだと言っていた自分自身がピエロだった」という自嘲的なことが歌われているという理解で間違いはないと思うけど、「they're here」と言っている以上、「自分もピエロだけどキミだってピエロだ」と歌の主人公はこの期に及んで相手のことをナジっているのだと思われる。往生際の悪いことである。あんまり好きな歌だとは思わないな。私は。


ハートのイヤリング 松田聖子

maybe next year (ひょっとしたら来年は…)」という最後の歌詞から私の脳裏に蘇ったのは、「ハートのイヤリング」だった。「春になる頃あなたを忘れる」と松田聖子が歌うのは「強がり」だけど、この歌の主人公の「ひょっとしたら来年には…」はひたすらに「未練」である。恋の終わりはいつもいつも立ち去る者だけが美しい。いずれにしてもこういう立場に置かれてしまった人には、どうあがいたって「カッコよく振る舞うこと」などできはしないわけで、辛いことだと思う。それしか言葉が出てこないや。

映画「Joker」の中で主要に使われていた挿入歌の三曲についてはこれで全て翻訳し終えたことになるので、読んだ上で改めて鑑賞して頂ければ新しい発見もあるのではないかと思います。私自身、いろいろ気づかされるところがありました。というわけで、思わぬ脱線となりましたが、次回以降はアラバマに飛んだりレゲエに飛んだりの何やかやで半年にわたり中断されたままになっていた「トータルバラライカショー」の特集を再開してゆくことにしたいので、改めてお付き合い願えれば幸いです。ではまたいずれ。
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トラキーヨ(2)

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