華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Making Love Out Of Nothing At All もしくは渚の誓い (1983. Air Supply)



最近知り合った人からエア·サプライが好きだと聞かされたもので、普段だとまずこのブログに出てくる機会が訪れないようなこんな曲についても、ふと取りあげてみたい気持ちになった。

ああ、別に、最近知り合った人と言っても、異性ではない。付け加えて言うなら私は今のところ、異性でない人に恋した経験は持っていない。

…誰に向かって何の言い訳をしているのだ私は。

その人が聞かせてくれたのが「知ってる曲」だったもので、「あー、この曲を歌ってた人たちだったのか」と私も納得し、自分でも探して聞いてみたのだったが、それまでは曲名もエア·サプライという人たちのことも、何一つ知らなかった。聞けばこの歌には「渚の誓い」という邦題がついていたのだという。しかしながら曲名を直訳すれば「何もないところから愛を作り出すということ」みたいな感じだし、歌詞の中にも海的要素は皆無だし、何がどうなって「渚の誓い」になったのか、私にはさっぱり分からない。

画像検索して出てきた日本盤のレコードジャケットには

ペパーミント·カラーの風がコバルトの海と空をかけぬけた時、僕達の恋は歌になったーー

などとゆう、わじわじするようなコピーだかアオリ文だかがくっつけられている。

…1980年代という時代に世の中に送り出されたものというのは、何から何までがウソくさい。

しかしながらその1980年代にワンス&オンリーの子ども時代を過ごした私たちの世代にとっては、そのウソくささが時としてたまらなく「なつかしく」思えてしまうと言うか、場合によっては「世界はもともとこういうものなはずだったのに、それがどうして間違った方向に向かってしまったのだろう」みたいな感慨にまで陥ってしまいがちな傾向があるので、つくづく危険なことだと思う。

左上のカドには

TBS/MBS系水曜連続ドラマ
「さよならを教えて」テーマ·ソング

とここでも恥ずかしいナカテンつきで誇らしげに書き添えられているのだが、その「さよならを教えて」というドラマのことを私は知らない。あるいは、見てみたら思い出したりとか、するのだろうか。何しろ1983年といえば、私が小学校に入った年だ。

Wikipediaにはそのドラマの「概要·内容」が、以下のように記載されていた。

婦人雑誌の大手で老舗の「主婦倶楽部」社は新たな雑誌「せらび」を立ち上げ、他社との新雑誌争いに加わることになった。「せらび」編集長にはインタビュアーとして注目を集めていた若杉玲以子が常務の矢沢によって抜擢された。しかしベテラン編集者の吉村徹は、これに不可解な態度を見せたが、かつて交際していた玲以子と徹はこれがきっかけで10年ぶりに再会する。徹に恋心を抱き、玲以子にライバル心を持つ編集部員・菅野麻里らも絡み、新雑誌編集部を舞台に展開する愛情ドラマ。

…「しかしベテラン編集者の吉村徹は、これに不可解な態度を見せたが、かつて交際していた玲以子と徹はこれがきっかけで10年ぶりに再会する」。こんな文章から、何をどう分かれというのだろう。思うにこの文章を書いた人は、一つのセンテンスの中にいろんなことを「つめこもうとしすぎ」なのである。「しかし」「見せたが」と逆接が二回も続いてしまうと、どこで話が逆転するのかも分からなくなってしまう。ここはひとまず落ち着いて「しかしベテラン編集者の吉村徹は、これに不可解な態度を見せる」「とはいえかつて交際していた玲以子と徹は、これがきっかけで10年ぶりに再会することになった」みたいな感じで文章を二つに分けてもらえれば、読む方としても多少は読みやすくなるのだがしかし、どんな話なのかは依然として見えてこない。矢沢がどんな風に立ち居振舞うのかということについて、できればもう一言ほしい。あと、「愛情ドラマ」という言い方は、初めて聞くな。「恋愛ドラマ」ならよく聞くのだけれど、それをあえて「愛情ドラマ」と呼ぶことには何か積極的な意味合いが込められているのだろうか。「恋とは違った愛情の形」みたいなものが、描かれていたりとか、するのだろうか。

…て言っか何の話をしていたのだ私は。

エア·サプライの話である。

エア·サプライ。空気の供給。
イオン·サプライ。ポカリスエット。
いなか·ざむらい。川中美幸。
天理·桜井。を結ぶ国道169号線は私にとって思い出深い道で奈良県が誇る二大ラーメン店であるところの「彩華」「天スタ」の本店はいずれもこの道路沿いに存在しているのだが両者において主要な具材に白菜が使用されていることは私に言わせるなら決して偶然ではなくなぜなら同県内においては80年代後半ぐらいから他の地方ではあんまり見かけないオレンジ白菜というやつがもうやめようどうしてこんな話になってしまうのだ。

エア·サプライはオーストラリアのグループなのだそうである。

知らなかった。

けれどもこの曲を作ったのはエア·サプライの人たちではなく、ジム·スタインマンというアメリカのソングライターの人だったのだという。

知らなかった。というのはそのジム·スタインマンという人のことを知らなかったということで、その人のことを知らなければ当然この曲をその人が作ったことも知るわけがないのだが、その人のことは知っていてもこの曲を作ったのがこの人だったということを知らなかったという場合は「知らなかった」だけでは情報を正確に伝えることができないので注意が必要である。注意することにしよう。

エア·サプライは1975年にメルボルンで結成されて80年代に一世を風靡したソフトロック·デュオで、二人のハイトーンボイスはデビューから45年になんなんとしている現在に至ってもなおご健在なのだとのことである。さしずめ、オーストラリアのオフコースといったところだろうか。

…機嫌が悪いのか私は。

悪いのだ。


Making Love Out Of Nothing At All

Making Love Out Of Nothing At All

英語原詞はこちら


I know just how to whisper
And I know just how to cry
I know just where to find the answers
And I know just how to lie

ささやき方なら知ってる。
泣き方だって知ってる。
答えがどこにあるかも分かっているし
上手な嘘のつき方だって知っている。


I know just how to fake it
And I know just how to scheme
I know just when to face the truth
And then I know just when to dream

見せかけのつくろい方も知ってるし
悪巧みの仕方だって知っている。
真実と向き合うべき時がいつで
いつまでなら夢にひたっていても
かまわないのかということだって
ぼくには分かっている。


And I know just where to touch you
And I know just what to prove
I know when to pull you closer
And I know when to let you loose

そして
きみのどこにタッチすればいいのかを
ぼくは知っている。
自分が何を証明してみせるべきなのかを
ぼくは分かっている。
どの時点できみのことを引き寄せて
どのタイミングで力を緩めればいいのか
ぼくには分かっている。


And I know the night is fading
And I know the time's gonna fly
And I'm never gonna tell you everything I've gotta tell you
But I know I've gotta give it a try

そして夜が終わろうとしていることを
ぼくは知っている。
時間というのは飛ぶように
過ぎていくものだということが
ぼくには分かっている。
そしてぼくがきみに
言わなくちゃいけないことのすべてを
話すことはありえない。
それなのに
一回やってみずにはいられない。
そのことがぼくには分かっている。


And I know the roads to riches
And I know the ways to fame
I know all the rules and then I know how to break 'em
And I always know the name of the game

そしてぼくは
金持ちになる方法だって知っているし
有名になれる道だって知っている。
あらゆるルールをぼくは知っているし
それをどうすれば打ち破ることが
できるかということだって知っている。
それが何と呼ばれているゲームなのかを
ぼくはいつだって心得ている。


But I don't know how to leave you
And I'll never let you fall
And I don't know how you do it
Making love out of nothing at all
Out of nothing at all, out of nothing at all
Out of nothing at all, out of nothing at all
Out of nothing at all
Making love out of nothing at all

それなのにぼくはどうやってきみから
離れたらいいのかわからない。
きみのことを突き放すようなことは
もちろんしたくない。
そしてぼくには分からないんだ。
どうしてきみには何もないところから
何もないところから
何もないところから
愛を作り出せるのかということが。


Everytime I see you all the rays of the sun are
Streaming through the waves in your hair
And every star in the sky is taking aim at
Your eyes like a spotlight
The beating of my heart is a drum, and it's lost
And it's looking for a rhythm like you
You can take the darkness at the pit of the night
And turn into a beacon burning endlessly bright
I've gotta follow it 'cause everything I know
Well, it's nothing 'til I give it to you

波打つようなきみの髪をかきわけて
太陽の光がほとばしるのを見るたびに
そして空中の星が
きみの瞳に狙いをつけて
スポットライトを投げかけるのを
目にするたびに
ぼくの心臓のビートは
ドラムみたいに鳴り響いて
そして消えて
またきみと同じリズムを
求め始めてしまう。
夜の中に開いた落とし穴に
闇を転がし込んでしまうことだって
きみにはできる。
そしてきみは永遠の灯火を
明るく燃やし続ける
灯台へと姿を変える。
ぼくはそれに
ついて行かずにはいられない。
だってぼくに分かっているすべての事は
きみに捧げることができなければ
ゼロになるしかないことなんだから。


I can make the runner stumble
I can make the final block
I can make every tackle at the sound of the whistle
I can make all the stadiums rock
I can make tonight forever
Or I can make it disappear by the dawn
I can make you every promise that has ever been made
And I can make all your demons be gone

ボールを抱えたランナーを
つまづかせることだって
ぼくにはできるし
ゴール前のブロックを決めることも
ぼくにならできる。
ホイッスルの音が鳴り響くたびに
ぼくはタックルを決めることができるし
スタジアムを丸ごと
グラグラさせることだって
ぼくにはできる。
ぼくにはこの夜を
永遠の夜に変えることができる。
そうしなければすべては
夜明けの光の中に
失われてしまうことだろう。
この世でなされたどんな誓いだって
きみとならぼくは交わしてみせる。
そして君に取りついたすべての悪霊を
ぼくは追い払ってみせる。


But I'm never gonna make it without you
Do you really want to see me crawl
And I'm never gonna make it like you do
Making love out of nothing at all
Out of nothing at all, out of nothing at all
Out of nothing at all, out of nothing at all
Out of nothing at all, out of nothing at all
Out of nothing at all, out of nothing at all
Out of nothing at all, out of nothing at all
Out of nothing at all, out of nothing at all
Out of nothing at all, out of nothing at all
Out of nothing at all
Out of nothing at all, out of nothing at all
Out of nothing at all, out of nothing at all

でもきみがいてくれなければ
ぼくにはどうすることもできないんだ。
ぼくが地べたに這いつくばる姿を
きみは本当に見たいと思うのかい。
ぼくにはきみみたいなことは
絶対にできないんだ。
何もないところから
愛を作り出すようなことは。
何もないところから
何もないところから
何もないところから…

=翻訳をめぐって=

…どうして春日くんと鮎川さんおよび檜山さんの画像が出てくることになるのかといえば、上に貼りつけたPVの冒頭における「二人のわざとらしい出会い方」から「きまぐれオレンジロード」を思い出して何となく読み返し始めてみたところ止まらなくなり、引いてはそれが今回この曲を取りあげたこと及び80年代という時代について改めて思いを巡らせ始めることになったことの遠因を成していたりするからなわけなのだが、それにつけてもマンガやアニメの男主人公の類型というのはこの時代から今に至るまで全く変わっていないように思われるにも関わらず、鮎川さんみたいなヒロイン像を最近とんと見かけることがなくなってしまった気がするのは、世の中からそういう女性がいなくなってしまったということなのだろうか。それとも今でもいるけどそういう人は「ヒロインになりにくい時代」を迎えてしまっているということなのだろうか。いずれにしてもリアルタイムで作品と向き合っていた頃には全く気づかなかった「世の中の不公平さ」というものに、今頃になっていろんな側面から気づかされてしまい、それについてもいずれしっかり「決着をつける」ような文章を書かねばならないということをつらつら考えている秋の夜長なのである。けれどもその考えがいまだまとまっていないので、今回の記事の文章は何だかやたらとまとまりのないことになっているのである。その辺の事情をお含みいただければ幸いに思う。

さてこの歌についてなのだけれど、海外サイトを見渡してみると「歌詞の意味がわからない」と言っている人が非常に多い。我々がわからないのは「英語がわからない」からなわけだけど、その英語圏の人たちにも「わからない」というのは、「言葉の意味はわかるが情景を思い描くことができない」ということなのだと思う。実際、自分で翻訳したものを読み返してみても、「話の流れ」が妙にチグハグになっているような印象を受ける。ことに主人公の姿が、歌の前半と後半ではまるで別人になってしまっているような感じがするのである。

とりあえず主人公は、男性であると考えて差し支えないのだと思う。歌の後半で自分のことをスポーツ選手になぞらえているところでは、おそらくアメリカでもオーストラリアでも一番人気のスポーツだというフットボールがイメージされているのだろう。主人公が女性であると考えるとそれはそれで「別の味わい」が生まれてくるような感じもするし、実際にこの歌はウェールズの女性歌手であるボニー·タイラーという人にもカバーされているのだが、彼女のバージョンをチェックしてみたところフットボール関連の歌詞は削除されていたから、少なくとも歌が書かれた時点では、主人公の設定は男性ということになっていたはずなのである。ややくどい話になるがオーストラリアでフットボールの「女子リーグ」が創設されたのは2016年だったとのことなので、それまでの時代において「スタジアムを沸かせる」ことは「男性だけに与えられた特権」だったわけなのだ。

それでもってこの男性なのだけど、歌の前半部分ではどう見ても相手の彼女のことを「愛していない」ように思われるのである。「ウソのつき方を知っている」とか「何を証明してみせるべきなのかを知っている」とかいうのは、要するに「相手のことを愛していないくせに愛しているように見せかけるコツを心得ている」ということで、重要なのは「本当に愛してはいない」という点なのだ。悪いやつなのである。いいかげんなやつなのである。

それが後半部分になるとまるで人が変わったように、キミの髪の毛の間からこぼれる陽光の一筋一筋がどうのこうのとか、キミは闇世を照らす灯台の光であるのないのとか、およそ「恋する男」の口からしか出てき得ないような言葉を連発している。そして最後には「ボクが地べたに這いつくばる姿をキミは見たいとyouのかい」とまで絶叫している。この態度の変化は、どこから生まれているのだろう。

I'm never gonna tell you everything I've gotta tell you
But I know I've gotta give it a try

というフレーズが、おそらくはその「転換点」になっているのだと思われる。そしてこの部分の訳し方が、けっこう私には難しかった。

「give it a try」というのは「試しに一回やってみる」という意味だと辞書にはあった。「have gotta=have got to」は「〜しなければならない」という意味である。「試しにやってみなければならない」って、主人公は誰からそんなことを強制されているのだろうか。そうではなくて主人公自身が「試しにやってみずにはいられない」気持ちの状態にあるのだと解釈しなければ、ここはどうしても意味が通らない。

しかしその前の部分では「I'm never gonna tell you everything I've gotta tell you=私があなたに言わなければならないことの全てをあなたに言うことはありえない」と言っているのである。つまりこの主人公には「相手の女性に恋しちゃいけない理由」が明確に「ある」のである。何なのかは、知らないよ。でも主人公は狡猾にもその内容については「言わない」と宣言した上で、「試しにやってみたい気持ち」は抑えられないのだと、自分に都合のいいことを言っている。そして歌詞の言葉を文法通りに解釈するならば、「試しにやってみた」その後にも彼氏が「言わなきゃいけないこと」を明かすことは「ありえない(never)」わけなのである。

ダメだよ。絶対。この男。こんな調子のいいことを言い散らしているようでは、後半部分の「愛の言葉」の数々だって、口から出まかせを並べているだけにしか到底思えない。聞くところによるとこの曲はそのドラマチックな曲調から結婚式のBGMとして使われることもままあるらしいのだが、そんな場所ではまかり間違っても流されてはならない歌なのではないかと私は感じる。

ちなみに前半部分だけを読んだ限りでは、この歌は主人公がそんな自分のいいかげんさを恥じて改心しようとしている歌なのではないか、と解釈できる余地もないではない。「人を愛しているように見せかけるテクニック」だけは知っていても、その実「本当に人を愛する気持ち」というものを彼氏は知らずに生きてきた。ところがそんな彼氏に対し、彼女は「本物の愛」を捧げてくれた。その「愛」は「無償の愛」であり、文字通り「何もないところから生み出された愛」であって、打算や別の利害から「誰かのことを愛しているポーズ」をとってみせることしか知らずに生きてきた自分には今まで想像することもできなかったような「愛」だった。そういう感動が歌われた歌なのだと解釈する分には、この歌は別段「悪い歌」ではないと思う。

けれども前半部分から後半部分への「ひっくり返り方」を考えるなら、上記のような「善意の解釈」にはやっぱり「ムリ」が生じてくる。そして彼女にできて彼氏にできないという「何もないところから愛を作り出すということ」のその「愛」とは、「彼女から彼氏に向けられた愛」ではなくどうやら「彼氏から彼女に向けられた愛」のことを指しているらしいのである。

つまりこの男は、オレはこんなに能力があってデキる人間なのに、キミの心にオレへの愛を作り出すことが出来ない。それなのにキミは何も持ってないくせに、オレの心にキミへの愛を作り出すことができる。なぜなんだ。ということを、自己陶酔的なハイトーンで絶唱してるようにしか思えないわけなのだ。これって、言われる女性には気を悪くする権利があるのではないかと私は思う。

…何だか、どうしようもない歌だったな。

けれども私には、冒頭で触れたエア·サプライが大好きだというその人に調子を合わせてこの歌を口ずさみ続ける毎日が、これからしばらく続くことになるのだと思う。

というのはその人というのが私の職場の工場に外国から派遣されてきた「技能実習生」で、今のところ「音楽」を通じてしかコミュニケーションのとりようがないからなのである。

しかしながらそういう「いいかげんで調子のいい態度」が、果たして本当に「コミュニケーション」の名に値するものだと言いうるのだろうか。

このブログを始めてもう2年半になるわけだけど、そういう「一番大切なこと」にはいまだに何も「決着」がつけられていないのだということを、最近の私は痛感させられている。


うしろ指さされ組 渚の「・・・」

「渚」という言葉には「80年代を象徴する何か」があったのかもしれないし、90年代になってから作られたスピッツの「渚」という曲にはそんな「80年代的な何か」との訣別が歌われていたのではないかといったようなことがこの記事を書いている間ずっと頭の中をグルグルしていたのだが、それについて書くことがあるとすればもうちょっと考えがまとまってからにしたいと思います。ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1983.7.
Key: G