華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Battle Hymn of Republic もしくはリパブリック讃歌 (1861. American Folk Song)



「冷戦」の時代が終わりを告げた1990年代の初頭に、「東側世界」と「西側世界」の出会いを象徴するコンサートとしてフィンランドのヘルシンキで開催されたトータル·バラライカ·ショー、そのグランドフィナーレを飾ったのは、世界で最もアメリカ的な歌(…?)とも言うべきこの曲だった。南北戦争期に北軍の行軍歌として作詞された、「共和国の戦闘讃歌」である。

小学生向けにアレンジされた「ともだち讃歌」という邦題や、「ごんべさんの赤ちゃんがカゼひいた」「おたまじゃくしはカエルの子」等々の替歌、さらに「カメラとビデオはエキサイト」のCM曲等々を通して(…関西人である私としてはここにヨドバシカメラなる店名を持ってくるような恥知らずな真似は意地でもしたくない)日本でも知らない人がいないくらい有名なこの歌をめぐっては、調べ出したらキリがないぐらいの逸話が存在している。実際この歌の翻訳にあたっては、相当な準備作業が必要だった。ジュリア·ウォード·ハウという詩人によって作詞されたという原詞の言葉がまず、おそろしく古めかしい美文調の英語で書かれているもので、それを読みこなすだけでも一苦労だったのだ。冒頭の「mine」からして、それが「my」の古語表現だったということなど、いちいち辞書を引かねば到底わかるものではない。さらに歌詞中に出てくる「grapes of wrath (怒りの葡萄)」という言葉が意味するところを知るために新約聖書の「ヨハネ黙示録」を通読することまで本当に私はやったし、またこの歌の元歌になっていたという「ジョン·ブラウンの屍」という歌についての詳細を知るために図書館で分厚い本を借り込んで来ることもした。けれども最終的に、それらのいちいちについてこのブログで詳しく触れることは、あんまり意味のないことであるように思う。詳しく知りたい方は、他の追随を許さないぐらいに詳しく調べてくださっているサイトが日本語世界に既に存在しているので、そちらを参照されたい。
www.worldfolksong.com
私がそんな風にこの歌の記事を書くにあたって重ねてきた準備作業を投げ出してしまったのは、そもそも「軍歌」であり宗教的な歌であり自分自身が共感できる内容がほとんど見つからなかったということに加え、12月以降の私は「朗読」の面白さに本格的に目覚めてしまい、ブログに回す時間をほとんど見つけられずにいるうちに、年の瀬を迎えてしまったということによっている。「トータル·バラライカショー」の特集は何としても年内に終わらせると宣言していた以上、終わらせなければ私としてもカッコがつかないし、終わらせることができなければいつまで経っても次の課題に取りかかれない。そんなわけで忸怩たる思いは残っているのだけれど、この歌に関しては試訳を掲載するだけの形でお茶を濁すことにさせてもらおうと思う。代わりと言っては何だけど、朗読の分野においては一世一代と言ってもいいぐらいにスゴいやつを録音することができたので、2019年の締めくくりにはぜひともそれを聞いてみていただければ幸いです。


朗読 「駆け込み訴え」 feat.JCS.

そのことの上で、「Glory! Glory! Hallelujah!」という最も有名なサビのコーラスの訳し方について、「ケセン語訳新約聖書」を編纂された山浦玄嗣という人の以下の文章から多くの示唆を受けていることは、付記しておきたい。

たとえば、「神に感謝!」という祈りがあります。神さまに心からお礼申し上げるためのことばです。これはラテン語のDeo gratias!を直訳したものすが、ちょっと変ではありませんか?第一、神さまに直接申し上げるのに「神」と呼び捨てにするというのはおかしなものです。また「ありがとう」といわずに「感謝!」というのも、とても普通の日本語とは思われません。能谷さんから特に親切にしていただいた遠藤さんは「熊谷さん、ありがとうございます!」というのではないでしょうか。「熊谷に感謝!」などといったら本当に失礼です。どうして「神さま、ありがとうございます!」といわないのでしょうか。このお祈りをケセン語になおそうとしたら、「神に感謝!」ではどうにもなりません。

わたしは医者ですから、毎日たくさんの患者さんを診ます。長い臨床医としての経験からわたしには面白い「診断基準」があります。たとえば、腹が痛いといって来た方がいるとしましょう。寝台に横になっていただいて、静かに腹を触診しましょう。「その辺に痛みがあるのです」という方には慌てる必要がありません。「ほほう、どれどれ」とゆっくり落ちついて拝見します。こういう言い方をする人の場合には、今すぐ差し迫った危険がないのが普通です。もちろん、胃癌のようなものが潜んでいるかもしれませんが、救急車を呼ぶような緊急性はまずない。「その辺が痛むんです」という方には、ちょっと緊張します。今は痛くないかもしれませんが、発作的な痛みが来る、胆石症のようなものかもしれません。かなりの胃炎があるかもしれません。緊急性も十分予想されます。腹を触っただけで「痛い!」という方にはこちらもドキッとします。虫垂炎で今すぐに手術が必要かもしれません。

同じことをいうのにも、日本語では「痛み」「痛む」「痛い」ではその気持ちがまるで違うのです。つまり、形容詞で「痛い」というときには最もせっば詰まった場合です。これはもう本当に痛いのです。動詞で「痛む」というときには、かなりの痛みですが、形容詞ほどの緊急性がありません。緊急性から最も遠いのは名詞で「痛みがある」などというときです。

ところが、ヨーロッパのことばではこの順序が逆になります。英語を御存知の方は多いと思いますが、英語では一番肝心なことは名詞でいう癖があります。スペイン語でもフランス語でも同様です。その次に大切なことは動詞、そして形容詞です。

Deo gratias!「神に感謝!」がどうしてわれわれにはピンと来ないのか。それは感謝の気持ちを名詞でいっているからです。それも漢語でいっているからです。日本人の言語感覚では、最も現実感のない、感情のこもらない、漢語の名詞でいっているからです。だからこの表現には、「神さま、ありがとうございます!」という形容詞による表現の持つ、心からの切実さ、真剣さ、温かさが感じられないのです。神さまに対する祈りは、わたしたちの心からの叫びでなければならないのに、よそよそしく冷淡な名詞的表現ではふさわしくないとわたしは思います。

同じようなことはいくつもあります。Glorias tibi Domine!「主に栄光!」これも何だかわかったようでわからないことばです。「栄光」とは何のことでしょうか。こんなことばは日本人の日常生活ではまず聞くことがありません。野球大会の開会式で選手代表が片手を挙げて「われわれは母校の名誉とスポーツの栄光のために正々堂々と戦うことを誓います!」などと叫ぶのを聞くぐらいしか、わたしには思い出すことができません。国語辞典には「栄光=困難を克服して大事業を成し遂げたときの、金では買えない喜び、誇らしさや、高揚した心の状態」のことだとありますが、全能の神さまに困難なことなどあるわけがないので、「主に栄光!」は果たして正しい訳といえるのでしょうか。「神さまは、たいしたもんだ!」と叫んだほうが、よほどこの祈りの心を表すのではないかと思います。

「主を讃美しよう」とか「神を賛えよう」などとも祈ります。でも「讃美しよう」というのは、その時点ではまだ讃美していないのであり、これから讃美しようということです。どうして、今、讃美しないのか。今、賛えないのか。不思議です。ケセン語なら、こんなときは、胸を震わせ、手を合わせ「あっ尊ァ、神さま!」と叫ぶのです。

…この、日本語においては「名詞→動詞→形容詞」の順で「切実さ」が高まり、英語やラテン語においてはそれが逆になるという指摘には、これからの翻訳においても繰り返し立ち返るべき重要なヒントがいくつも含まれているように思う。とまれそんなわけで私による「Glory! Glory! Hallelujah!」の訳し方は、通例よく見受けられる「栄光あれ!栄光あれ!」ではなく、「尊きかな!尊きかな!」に落ち着いた次第である。

そんなわけで読者の皆さま、旧年中はお世話になりました。2020年もよろしくお願いします。ではまたいずれ。佳いお年を。


Battle Hymn of Republic (Red Army Choir)

Battle Hymn of Republic

英語原詞はこちら

 
Mine eyes have seen the glory of the coming of the Lord;
He is trampling out the vintage where the grapes of wrath are stored;
He hath loosed the fateful lightning of His terrible swift sword;
His truth is marching on.

我が両眼は見たり
主の来臨の栄光を
怒りの葡萄の貯えられたる酒船を
主は踏みしだかれつつあり
主はその迅速なる電光の刃を
抜き放たれたり
主の真理は近づけり


Glory! Glory! Hallelujah!
Glory! Glory! Hallelujah!
Glory! Glory! Hallelujah!
His truth is marching on.

尊きかな!尊きかな!主を讃えよ!
尊きかな!尊きかな!主を讃えよ!
尊きかな!尊きかな!主を讃えよ!
主の真理は近づけり


I have seen Him in the watchfires of a hundred circling camps
They have builded Him an altar in the evening dews and damps;
I can read His righteous sentence by the dim and flaring lamps;
His day is marching on.

百もの天幕を囲む篝火の炎に
我は主の姿を見たり
夜露と夜霧のうちに
かれらは主の祭壇を築きあげたり
か細く揺れる灯火のうちにも
我は主の真実の言葉を読むを得たり
主の日は近づけり


Glory! Glory! Hallelujah!
Glory! Glory! Hallelujah!
Glory! Glory! Hallelujah!
His truth is marching on.

I have read a fiery gospel writ in burnished rows of steel:
”As ye deal with My contemners, so with you My grace shall deal”:
Let the Hero born of woman crush the serpent with His heel,
Since God is marching on.

磨き上げられたる刃の列の上に
我は燃えたつごとき福音を読めり
「我が名を辱めるものと汝らが戦う限り
我が恩寵は爾らが上にあらん」
女の腹より生まれし英雄の踵をして
蛇を踏みしだかしめよ
神が来臨しつつあればなり


Glory! Glory! Hallelujah!
Glory! Glory! Hallelujah!
Glory! Glory! Hallelujah!
His truth is marching on.

He has sounded forth the trumpet that shall never call retreat;
He is sifting out the hearts of men before His judgement seat;
Oh, be swift, my soul, to answer Him; be jubilant, my feet;
Our God is marching on.

主は箛を吹き鳴らされたり
其が退転を告ぐることはよもあらじ
審判の席に着くに先立ち
主は我等人間の心を揺り動かされつつあり
嗚呼我が魂よ急ぎ主に応えよ
嗚呼我が足よ歓喜せよ
我等が主の来臨は近づけり


Glory! Glory! Hallelujah!
Glory! Glory! Hallelujah!
Glory! Glory! Hallelujah!
His truth is marching on.


In the beauty of the lilies Christ was born across the sea,
With a glory in His bosom that transfigures you and me;
As He died to make men holy, let us die to make men free;
While God is marching on.

海のかなた美しき百合に囲まれ
救世主は生まれたり
我等を生まれ変わらしむる
栄光その胸にあり
主が人間を聖なるものとすべくして
死せるごとく
我等も人間を自由となすべく死なん
神の来臨と共に


Glory! Glory! Hallelujah!
Glory! Glory! Hallelujah!
Glory! Glory! Hallelujah!
His truth is marching on.