華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Red Hill Mining Town もしくはボタ山の見える街 (1987. U2)

遠賀川
橋の向こうにボタ山の
ふたつ並んで見えとらす
伸ちゃん 伸介しゃん
うちはあんたに会いとうて
カラス峠ば越えてきた

ー「織江の唄」山崎ハコ (1980年)-


Red Hill Mining Town

Red Hill Mining Town

英語原詞はこちら


From father to son
The blood runs thin
See faces frozen still
Against the wind

父から子へと
受け継がれるたびごとに
薄くなってゆく
その命の体液
凍りついたように
向かい風を見つめている
並んだその顔が
見えるだろうか


The seam is split
The coal face cracked
The lines are long
There's no going back

炭層は
縫い目は引き裂かれ
切羽は
黒光りするその表情は
打ち砕かれてしまった
坑道は
目の前に分かれたいくつもの道は
ひたすらに長く
戻ってゆける場所は
どこにもない


Through hands of steel
And heart of stone
Our labor day
Has come and gone

鋼鉄の腕と
石の心臓を経由して
葬り去られてしまった
わたしたちのメーデー


They leave me holding on
In Red Hill town
See lights go down,

赤い地肌が
むき出しになった街に
しがみついたまま
わたしは
見捨てられようとしている
明かりが消えてゆく
それがあなたには見えるだろうか


I'm hanging on
You're all that's left to hold on to
I'm still waiting
I'm hanging on
You're all that's left to hold on to

わたしは
がんばっています
あなたは
わたしに残されたすべてなのだから
わたしはずっと待っています
ここでがんばっています
あなたは
わたしに残されたすべてなのだから


The glass is cut
The bottle run dry
Our love runs cold
In the caverns of the night
We're wounded by fear
Injured in doubt
I can lose myself
You I can't live without

グラスの中身は薄められ
瓶の中身は消えてゆく
いくつもの夜の洞穴の中で
わたしたちの愛が
冷たくなってゆく
おそれによって傷つき
疑いの中で
血まみれになっているわたしたち
わたしは自分を失いそうだ
生きてゆけないのだ
あなたとでなければ


Yeah you keep me holding on
In Red Hill town
See the lights go down on
I'm hanging on
You're all that's left to hold on to
I'm still waiting
Hanging on
You're all that's left to hold on to, on to

赤い地肌が
むき出しになった街に
わたしがしがみつくのは
あなたがいるからです。
明かりが消えてゆきます
わたしは
がんばっています
あなたは
わたしに残されたすべてなのだから
わたしはずっと待っています
ここでがんばっています
あなたは
わたしに残されたすべてなのだから


We'll scorch the earth
Set fire to the sky
We stoop so low, to reach so high
A link is lost
The chain undone
We wait all day
For night to come
And it comes
Like a hunter (child)

我々は大地を焦がし
大空に火を放つ
いま低く体をかがめているのは
高くその手を伸ばすためだ
ひとつのつながりが失われれば
鎖はバラバラになってしまう
我々はひたすら待つ。
やがてやって来る夜を待つ
そしてそれはやって来る
狩人のように


I'm hanging on
You're all that's left to hold on to
I'm still waiting
I'm hanging on
You're all that's left to hold on to

わたしは
がんばっています
あなたは
わたしに残されたすべてなのだから
わたしはずっと待っています
ここでがんばっています
あなたは
わたしに残されたすべてなのだから


Love, slowly stripped away
Love, has seen its better day


ゆっくりと時間をかけて
はぎとられていった愛

そのいちばん良かった時代を
もうすでに見つくして
しまったのかもしれない愛


Hanging on
The lights go out on Red Hill
The lights go down on Red Hill
Lights go down on Red Hill town
The lights go down on Red Hill

赤茶けた丘に
灯った明かりが消えてゆく
赤茶けた丘に
灯った明かりが消えてゆく
赤い丘の街から
明かりがひとつずつ消えてゆく
赤茶けた丘に
灯った明かりが消えてゆく
がんばりつづけるということ

=おぼえがき=

nagi1995.hatenablog.com
この歌は、上の記事で取りあげたビリー·ブラッグの歌、またその中で紹介させてもらった「パレードにようこそ」という映画と同じく、1984年にイギリス全土を席巻した、サッチャー政権の首切り合理化政策に対抗する炭鉱労働者のゼネラルストライキ闘争を背景に、作られた作品であるのだという。

1980年代という時代は、「レーガン、サッチャー、中曽根」という3人の極右政治家の手によって、いわゆる「西側世界」に生きる全ての人々の、あらゆる生の現場の隅々に至るまで、弱肉強食の競争原理が徹底して押しつけられるようになっていった、その始まりの時代だったと位置付けることができると思う。

第二次世界大戦後、この地球における「支配する者」と「支配される者」との間の総体的な力関係には、国際的にもそれぞれの国家の内側においても、一種の政治的な「均衡状態」が成立していた。戦争において犠牲にされるのは貧しい民衆ばかりだったではないかという記憶は民衆自身の内側にいまだ生々しく、政治家が戦争のセの字でも口にしようものなら、強大に組織された労働組合が直ちに全国的なストライキに突入するのが当時にあっては「当たり前」だったし、それが分かっているからどんなタカ派の政治家であっても、改憲や再軍備をおいそれと口にすることはできなかった。というのは日本の場合であるけれど、かつて「列強」と呼ばれた諸国、アメリカやイギリスやフランス、西ドイツなどそれぞれの国の内側においても、状況は似通ったものだったと言える。

その均衡状態を「上から」突き崩すという右翼的な使命感に燃えて登場したのが「レーガン、サッチャー、中曽根」であり、かれらが戦略としたのは「国家」に対抗する「民衆自身の団結」を破壊しつくすことだった。近代的な労働組合から、伝統的な地域社会のあり方に至るまで、民衆の間に存在してきたありとあらゆる「横のつながり」を攻撃の対象としていた点において、かれらの政策は不気味なまでに一致していた。

「民衆」は、ひとりひとりが力を合わせて「ひとつの力」を形成することがない限りにおいては、「バラバラの個人」であるにすぎない。その民衆同士が助け合ったり支え合ったりすることのできるあらゆる回路を遮断し、ひとりひとりの人間を「バラバラの個人」へと分断した上で「国家」に直接依存させ、互いに競争し合わせるように仕向けたならば、「国家」に決して歯向かうことのない、支配者にとって理想的な「国民」を形成することができる。そうした思想の信奉者にとって、レーガン、サッチャー、中曽根は紛れもなく「偉人」であったろう。だが私のような人間にとっては、かれらみたいなのは「悪の権化」以外の何ものでもありえないし、それは80年代という時代をリアルタイムで生きていた多くの人々にとっても、同じことだった。

「ぼくたちをひとりぼっちにしてくれた全ての大人に感謝します」というメッセージと共にブルーハーツが登場したのは、その3人が世界の権力の頂点に君臨していた1985年のことだ。「いま何が起こっているのか」ということを、そのころ多感だった人たちはやっぱり分かっていたのだな。と一足遅く生まれてきた私は改めて思う。数え切れないぐらいの人々がそれに対し、人間としての感性の全てをかけて戦ってきたのである。けれどもそれらの戦いはことごとく押しつぶされ、踏みにじられ、敗北させられてきた。その結果が、今なのだ。政治家が「非国民」という言葉を公然と使って戦争に反対する人間を攻撃し、「過労死」するまで働かされてもゼイタクひとつすることのできなかった若者に「自己責任」という言葉が浴びせかけられ、競争原理の徹底が「障害者」の殺傷さえをも「正義」であると公言してみせる人間を生み出してしまったような、今の時代の言うなれば土台が、私たちの世代がまだ何も分からない子どもだったあの時代から既に、支配者たちの手によって着々と築き上げられつつあった、ということなのである。

アメリカではレーガンが、前々回の記事で触れたごとく中南米の人々への殺戮を強行し、また日本においては中曽根の手によって、国労組合員に対する組織的なイジメと暴力と迫害を通じ、何百人という人々が「自殺」という形で死に追いやられる中で国鉄の分割民営化が押し進められていたその同じ時、イギリスではサッチャーが打ち出した「採算に合わない全国20炭鉱」の閉鎖計画により、2万人を越える炭鉱労働者が、仕事や生活手段はもとより、自分たちがそこで生まれそこで育ち、人間としてのつながりの全てを育んできた街や環境を、根こそぎ奪い去られようとしていた。エネルギー政策の転換や、経営上の収支といったこと以上に、サッチャーはイギリスの炭鉱労働者が19世紀以来、自分たちの権利を守る砦として築きあげてきた産別労働組合の存在そのものを「国益に反する」として憎悪し、これを破壊するための「決戦」に打って出てきたのである。その攻撃性格は、国鉄労働者を槍玉にあげることを通し、日本の労働運動の最大の戦闘的拠点として存在していた「総評」をつぶすことを戦略的目的としていた中曽根のそれと、完全に軌を一にするものだった。

炭鉱労働者たちは直ちに無期限ストライキに突入し、職種を越えたイギリス全土の労働組合がこれを支援して、その生活と戦いを支えた。これに対しサッチャー政権は、ストの参加者を「内なる敵(the enemy within)」と規定して、職場の入り口にピケラインを張る労働者の隊列に、騎馬警官の暴力を差し向けた。全国、全世論、全地域社会を二分したこの戦いは、もはや事実上の「内戦」に他ならなかった。





ありとあらゆる卑劣な切り崩し、マスコミを総動員した誹謗中傷、そして国家暴力の集中を受け、1985年3月、1年間に渡ったストライキは、労働者側の敗北によって終結させられた。仲間を裏切った人間だけが新しい職場での仕事を保証され、仲間を守り抜こうとした人間は家族と共に路頭に放り出された。イギリスの労働者階級の間に存在した「誇りと絆」の全てがズタズタに引き裂かれ、永久に回復できない溝を互いの間に刻みつけられてしまったような、その人たちにとってのそれは、経験だった。社会にあった「横のつながり」は失われ、学校で子どもたちはそれまで以上に「ひとりぼっち」にされ、支配者にとって理想的な「21世紀の日本」と同じような時代がイギリスにおいても、その瞬間から開始されることになって行った。

けれどもその一年間のことを題材とした映画や音楽が、30年以上を経た今日においても次々と作られ続けているのは、その時代のイギリス社会を生きた多くの人々にとって、その戦いが「美しく感動的な思い出」として記憶されていることの証なのだと思う。「合理化」という資本主義の論理に立ち向かい、「人間らしく生きること」を掲げ、「人間らしく生きてきた自分たちの歴史」を守るために戦った人々の姿、あるいは自分たち自身の姿が、「美しい」と呼ぶに値する記憶として、誇るに値する記憶として、生き続けていることの証なのだと思う。そしてそのことは、一個の戦いとしての炭鉱ゼネストは敗北させられても、心までは負けてしまったわけではない多くの人々が、それぞれの生の現場においていまだに「戦い続けて」いること、そしてその「誇り」が新しい世代の人間たちの間にも確実に引き継がれつつあることを、何よりも雄弁に物語っている。階級間の戦いは、決して「終わって」などいないのだ。その事実は我々の生きる日本においても、変わらない。

時系列的に言うならば、U2がこの歌を発表したのは、イギリスの炭鉱ストライキが敗北させられた「後」のことである。しかしながらこの歌には、自分の生まれ育った炭鉱町でひたすら「Hanging on (がんばりつづける)」人(々)の姿が描き出されている。それがストライキ闘争中の姿なのか、あるいは20炭鉱の閉鎖という「既成事実」を受けてなお、という現在進行形の姿なのかということについては、聞く人の判断に委ねられていると言った方がいいような気がする。

さらに言うなら、歌詞それ自体の中においては、この歌の主人公は炭鉱労働者であるともその家族であるとも、決して明言されているわけではない。主人公が語っているのは、自分の生まれ育った街への思い、自分を人間として育てあげてくれた土地への思い、自分が共に生きてきた人々への思い、そしてこれからも共に生きようとしている人々への思い、それだけである。「それと同じ何か」を自分の中に持っている聞き手であれば誰でも、この歌を「炭鉱労働者の歌」であると同時に「自分自身の歌」でもあると感じることのできるような言葉で、歌詞の世界は組み立てられている。

私はこの歌を、感動的な歌だと思う。普段の記事であればかつてどんなに愛した歌に対してもひねくれた感想を書かずにいられない私であるわけなのだけど、この歌に関しては素直にそう感じる。

それはU2の面々が素晴らしいミュージシャンであるからとか、ボノという作詞者の才能が人より優れているからとか、そういうことに結びつく話ではない。当時のU2のメンバーのひとりひとりの目に映ったイギリスの炭鉱労働者の人々の生き様が「美しかった」からこそ、この歌はこんなにも「美しい歌」になった。それだけの話なのである。

ボノという人はこの歌を作る際に「自分の能力を超える高音でメロディーを作ってしまった」とかで、長年にわたり「Red Hill Mining Town」は、ステージで決して演奏されることのない「幻の名曲」であり続けてきたのだという。それが2017年に開始された「Joshua Tree」30周年ツアーにおいては、ボノ氏の中に「今のオレになら歌える」という自信が生じたとか何とかで、初めてセットリストに加えられたということが、いろんなところで大々的に報じられている。しかしながら私は、「真面目だった若い頃」と明らかに区別され、セレブなロックンローラーとしての生き方に居直ってしまっている現在のボノという人が、自慢の喉を張りあげてこの歌をステージで絶唱する姿を高い入場料を払って見に行きたいかといえば、別に大して見たくない。むしろちっとも見たくない。この歌はそもそも、U2というグループが自分の「私有財産」みたいにしてしまっては、いけない歌であるはずなのだ。この歌を「生み出した」人がいるとすれば、それは1984年のイギリス炭鉱ストライキに立ちあがった労働者やその家族の、一人ひとりに他ならなかったはずだからである。

けれどもこの歌が「美しい歌」であることに、変わりはない。そして世界中で「人間らしく生きる」ために格闘しているすべての人々に捧げられた讃歌として、応援歌として、また自分たち自身を奮い立たせるために歌われる戦いの歌として、歴史を越えて歌い継がれるに値する普遍性を備えた歌であるという事実にも、変わりはない。この歌を聞くたびに私は、例えば足尾銅山鉱毒事件によって先祖代々暮らしてきた土地を追われた人々が、明治政府からどんなに弾圧されても同じ土地に戻ってそこで生き続けようとしたという歴史、また現在で言うならば、福島や沖縄の人たちが故郷を奪われたり壊されたりする中でどんな思いをしながら「がんばって」いるかというその気持ち、そしてまたそれと同じ思いを抱きながら「戦って」いる人が今この瞬間にも世界の至る所には無数に存在しているのだという事実を自ずと思い起こさせられ、とてもげんしゅくな気持ちになる。そして差別や国境によって何重にも分断されたそれら無数の「孤独な戦い」が、いつの日かこの歌によって一つに結びあわせられるような未来が人間社会に訪れてくれたらいいのにな、と心から思う。

とはいえ、この歌を実際に「声に出して歌うことのできる能力」を有している人間が、どう考えてもボノという人の他にはどこにも存在しているように思えないという事実が、私にとっては、何ともけったくその悪いことなのである。

…長い前置きになってしまった。

=翻訳をめぐって=



この記事の冒頭、一番上に掲げさせてもらったのは、かつて日本最大の炭鉱地帯だった福岡県の筑豊地方に、今でも残っている「ボタ山」の写真である。石炭の採掘にあたっては、商品にならない「ただの石」も当然厖大に掘り出されることになるわけで、大規模な炭鉱においてはそうした「捨て石」の山が、場合によっては100メートルを越える高さになるまでいくつも積み上げられる。それが「ボタ山」で、上記の写真では歳月を経て木が生えたために緑色の外観をしているけれど、炭鉱が操業していた当時においては赤茶けた地肌がむき出しになっていたのだという。この歌のタイトルになっている「Red Hill Mining Town (赤い丘の採鉱町)」とは、そうした「ボタ山」がいくつもそびえ立つ炭鉱地帯の風景描写であるという理解で、まず間違いはないのだと思う。



ただし、石炭にも「いろんな掘り方」があるわけで、「Red Hill Mining Town」で画像検索して出てきた上の写真の場合、「赤い丘」は盛り上がっていると言うよりむしろ、エグれている。「露天掘り」というやつなのだと思う。この場合、「ボタ山」という言葉を使うと「ウソのイメージ操作」になってしまう可能性がないでもないので、試訳の中では「赤茶けた丘」と直訳しておくにとどめたが、いずれにしても何十年にもわたる採掘作業により、人間の手で形作られてきた独特の風景であることに変わりはない。

「Red Hill」という言葉は「荒野」という語感も併せ持っており、クリスチャンであるボノにはそこにパレスチナの岩山をさすらうイエスのイメージを重ねるような気持ちも、あるいはあったのかもしれない。この歌の主人公の人にとっては、その「赤茶けた風景」こそが自分を人間として育んでくれた、「最もなつかしく愛しい風景」に他ならないはずなのである。けれどもそこから「人間の営み」が失われた時、「赤い丘の炭鉱町」は文字通りの「荒野」へとその姿を変えてしまう。それでもそこに「しがみついて(hold on to)」生きることを決意している一人の(あるいは、ひとりひとりの)人間の姿が、この歌には描き出されている。

From father to son
The blood runs thin
See faces frozen still
Against the wind

父親から息子へと受け継がれる「blood (血液)」とは、ここでは「石炭」のメタファーでもある。石炭のとれる「鉱脈」のことを英語では「coal vein」と呼ぶが、「vein」はそもそも「血管」を意味する単語である。それが何世代にもわたる採掘作業を通して「薄く(thin)」なってゆき、ついには炭鉱労働者とその家族の生活を支える力を失おうとしている、という趣旨のことがここでは歌われているのだと考えられる。

同時に文字通りに読むならば、ここに歌われているのは「世代間の葛藤」というテーマでもあるだろう。炭鉱が好況だった時代に育った父親と、「そこにはもう未来がない」という現実を眼前に突きつけられている息子。その価値観にはおのずと「断絶」が生じるし、生まれ育った街に対する愛着にも「濃い薄いの違い」が出てくるはずだと思う。それでも二人は「家族」なのである。

その二人(とは限らない。もっと大人数かもしれない)が「冷たい向かい風」の中で、顔を同じ方向に向けて立っている。言葉が語られることはないけれど、「一緒に生きてゆくこと」をかれらが決意している姿の描写であると私には感じられる。

The seam is split
The coal face cracked
The lines are long
There's no going back

「seam」「coal face」「lines」は、それぞれ「炭層」「採炭切羽」「坑道」を意味する鉱山用語である。(「切羽」とはそこから直接石炭を採掘できる石炭層の露頭のこと)。しかしながら一般名詞として解釈するならば「縫い目」「煤だらけの顔」「細い道」となり、そういう読み方をしてもそれはそれで意味が成立するような作りの歌詞になっているので、これは、スゴいと思う。「縫い目が裂ける」とは労働者の団結や地域社会のつながりが国家権力によって引き裂かれるさまの表現そのものだし、「煤だらけの顔が砕かれる」というフレーズからは、警察の暴力で流血を強制された労働者の姿が生々しく浮かびあがってくる。そして目の前に伸びる道は複数形で何本にも枝分かれしていて、しかも長いのである。


「There's no going back (戻れる場所はどこにもない)」というフレーズは、自分たちが「後に引けない戦い」を戦っているという意味なのか、それともその戦いに敗れたことを通して「帰れる場所が失われた」という意味なのか。どちらにも読めるが、あえてどちらかに決めつけなければならない必要は、ないように思う。

Through hands of steel
And heart of stone
Our labor day
Has come and gone

「hands of steel (鋼の両手)」「heart of stone (石の心)」とは、明らかに当時「The Iron Lady (鉄の女)」と揶揄されていたマーガレット·サッチャーに向けられたフレーズである。「鉄の女」という呼び方それ自体は、女性蔑視をはらんでいると思うので私自身は積極的に使っていきたい気にはなれないが(「鉄の男」と言う場合、言う方も言われる方もそれを「悪口」だとは感じないはずである。それが「鉄の女」だと「悪口」になるのは、社会に女性差別が存在していることのあらわれに他ならない)、この人物が人間らしい「あたたかい手」や「あたたかい心」をカケラも持ち合わせない政治屋であったという点に関しては、全く異論がない。

「labor day」は「労働者の日」と訳せばいいのだが、同じ「レイバー·デイ」でもイギリスとアメリカでは意味も日付も違ってくる。さらに「労働者の日」と訳した場合にも、日本で言う「勤労感謝の日」みたいなのを連想されると大間違いになってしまう。なのであえて「メーデー」という「別の言葉」を使って翻訳した。

何がどう違うのか。

まずイギリスの場合、すなわちこの歌の場合には、「レイバー·デイ」とは5月1日のいわゆる「メーデー」のことを指している。この日が国際的に「労働者の日」となったのは、1886年5月にアメリカのシカゴで8時間労働制の実施を要求してストライキに突入した労働者の隊列に警官隊が発砲し、4人が虐殺された事件がきっかけだった。1889年にパリで結成された労働者の国際組織「第二インターナショナル」は、その創立大会において、アメリカの労働者の闘いに連帯し、当面の目標としての8時間労働制の実施をすべての国々で勝ちとることを掲げて、5月1日を「労働者の国際的な休日」とすることを決議した。文字通り労働者が労働者自身のため、労働者自身の手によって作り出した「祝祭日」がメーデーであるわけで、この日には国や会社が何を言おうと、労働者の方から「勝手に」休みをとって自分たちの権利のために集会を開いたりデモを行なったりするのが各国における「伝統」となっており、フランスのように労働運動の強い国では、この日を法的にも「国民の祝日」として認めさせているケースも存在する。(いわゆる「社会主義国」においてもメーデーは当然「祝日」となっているが、そこでは労働者を抑圧している当事者であるところの「国家」がメーデーを主催するという一種の逆転現象が生じており、それに対する批判は結構ややこしい話になるのでここではひとまず措く)。

一方、アメリカにおいても「レイバー·デイ」は「連邦の祝日」に定められているのだが、こちらは5月1日をあえて外して、「9月の第一月曜」に設定されている。それというのもそもそもアメリカの「レイバー·デイ」は、「メーデーをつぶすため」に制定されたものだったからである。

アメリカの支配階級にとっては、自分の国の労働者がシカゴで官憲に殺された仲間たちのことをいつまでも忘れず、毎年5月が来るたびに復讐を叫んで街頭に繰り出すようなことになる事態は、悪夢以外の何ものでもなかった。しかもその闘いに全世界の労働者が注目し、国際的な連帯闘争が繰り広げられるようになるに至っては、とても手をこまねいて見ていられない事態となった。だってそうだろう。そうした労働者階級の連帯が国境を超えて拡大してゆくことを「許した」場合、どこかひとつの国で労働者が何らかの新しい権利をかちとったならば、次には自分の国の労働者が必ず「同じこと」を要求し始めるようになるのである。それを防ぐためには最低限、「アメリカという国家は労働者の皆さんのことを真剣に大切に考えていますよ」という「ポーズ」を示してみせる必要があった。シカゴの虐殺から8年後にあたる1894年に当時の大統領クリーブランドが「レイバー·デイ」の制定を提唱し、それが全会一致で可決されたのは、そうした経緯にもとづいていた。

もとより、労働者が武装して立ちあがることでもしない限り、支配者の側はそうした「ポーズ」をとってみせる必要さえ感じずに済ませ続けていたに違いないわけで、その意味ではこの「レイバー·デイ」という祝日自体、労働者が自分たちの力で「かちとった」ものだという側面は、確かに存在する。しかしながらメーデーが「資本家階級との戦いに勝利するため」に労働者自身の手によって制定された記念日であることの一方で、「レイバー·デイ」は「労資協調の精神を育むため」という題目のもと、労働者ではない人間たちの手によって制定された「労働者の日」であるわけである。そこには初めから、ウソと欺瞞が内包されている。(ちなみに「レイバー·デイ」の制定と同時にアメリカ政府は8時間労働制の実施に踏み切ることでも実際にやってみせたかといえば、全然そんなことはしなかった)。さらにかれらがこの「労働者の日」を「労働者の国際的な休日」である5月1日とは何のつながりもない9月第一月曜に設定した真意には、アメリカの労働者を他国の労働者との間に結ばれた絆から引き剥がし、「自分の国のことしか考えない労働者」になるように仕向けるという邪悪としか言いようのない狙いが存在したわけで、ひらたく言うなら徹頭徹尾、労働者のことをダマくらかすために「祝われ」続けてきたのが、アメリカにおける「レイバー·デイ」の歴史だったわけである。

そうした自らの歴史を知ることもなく、この歌に歌われている「レイバー·デイ」は9月第一週の月曜日のことを言っているのだろうな、とカン違いしているリスナーが、アメリカにはやはり大勢いるらしい。シカゴで殺された人たちは死んでも死に切れないことだろうと私は思う。もとより、アメリカでも心ある人たちは、今でも決して「メーデー」を忘れていないということを聞き及んではいるのだけれど。

日本の「勤労感謝の日」に至っては、最低である。11月23日は明治政府のもとでは、天皇家の行事である「新嘗祭」に宛てられていた。民衆の労働によって1年がかりで育てられたコメを、天皇が誰よりも先に口にしてみせることで、自らがこの国の支配者であることを天下万民に知らしめるべく、歴史をかけて整えられてきた宗教儀礼である。「レイバー·デイ」と同様に「労働者でない人間が労働者に感謝するとされている日」であるわけで、モノは言いようだと思わないでもないけれど、そもそも「感謝」なんて、しているわけがない。あるとすれば自分が殺して奪った命に対して「ごちそうさま」と言えば「許される」と思っているあの感覚ぐらいのものだと思うのだが、奪われる方はそれを言われて「うれしい」と思うとでも、本気で考えているのだろうか。私はちっともうれしくない。「感謝する」と言うなら初めから奪うな。殺すな。相手が自分の思い通りにならない程度のことで暴力を振るうな。とりあえず脱線はここまでにしておこう。

それで結局この部分の歌詞がどういうことを歌っているのかといえば、そんな風に全ての労働者にとって、自分たちの歴史と誇りのありったけが詰まった特別な象徴であるところの「メーデー」という日が、サッチャー政権の冷酷な施策によって、極めて事務的に「片づけられて」いったということ。その過程が淡々と描写されている箇所であると受け止めれば、大きな間違いは生じないのではないかと思う。某所で「鋼鉄の腕」とは「炭鉱労働者の男らしさ」を描いた言葉であるといったような明らかに的外れな解釈を目にしてしまったもので、ここに関してはちょっとこだわらせてもらった。この歌がそんな風に「マッチョな歌」であるとは、少なくとも私は思わない。

They leave me holding on
In Red Hill town
See lights go down,

Theyがmeをholding-onの状態にleaveする、という構文である。「hold on」とは「その場に持ちこたえる/持続する/踏ん張る」といった意味の熟語なので、「me」は差し当たり、権力者によって抹殺の対象とされた炭鉱町に「踏みとどまって」いる労働者か、あるいはそれと立場を同じくする人であると考えて間違いない。「they」が「誰」であるのかという問題に関しては、二通りの解釈が考えられる。

ひとつは、この「they」が「採算に合わない20炭鉱」の閉鎖を決めたサッチャー政権や炭鉱会社、およびそれに連なる人間たちのことを指しているという解釈である。産業革命期には「国策」の名のもとに「人間狩り」みたいなことまで行なってそこに労働者を集住させたにも関わらず、その街が街としての歴史を刻み、多くの人にとってのかけがえのない故郷に変わった20世紀に至って今度は「要らないから」と使い捨てる、そうした一貫した「国家のやり口」が告発されているということが、ここではまず言えると思う。

そのことの上でこの「they」は、「切り崩しに屈服して自分から炭鉱町を去って行ったかつての仲間たち」のことを指しているとも考えられる。1960年に三井三池炭鉱が大合理化政策の対象となった際には、「去るも地獄、残るも地獄」という決死のスローガンを掲げた労働組合と資本との間に、史上最大の労働争議が戦われた歴史が日本にも存在している。同じ炭鉱で働く労働者とその家族たちは、文字通り「一個の生命」として、自分たちの生を再生産し続けてきた。ひとつになって生きてきたその生命が、バラバラにされて、光を失ってゆくのである。「街から明かりが消えてゆく」というフレーズは、そのことを描写した歌詞であるようにも思われる。

I'm hanging on
You're all that's left to hold on to
I'm still waiting
I'm hanging on
You're all that's left to hold on to

「hang on」と「hold on (to)」の訳語はどちらも「しがみつく」「がんばる」だが、語幹的には「hang」だと腕だけでぶら下がるような感じで「しがみつく」のに対し、「hold」だと体を覆いかぶせるようにして「しがみつく」感じ。になるのだと思う。ネイティブでないのでその辺はどうしても、想像でしか言えないことなのだけど。

「I」が炭鉱労働者であると解釈した場合、「you」は家族のことだとも考えられるし、または自分の生まれ育った炭鉱町そのものであるとも考えられる。また一方では、家族の側から炭鉱労働者に向けられた思いが歌われていると読むことも可能である。

さらに「I」は「歌い手自身」、「you」が炭鉱労働者やその家族であるという解釈も成立する。ひたむきに闘っている他者の姿が、直接には闘っていない人間にとっても「地上に残された最後の希望」であるように映ることは、起こりうる。そしてその人たちがいる限り、「自分もがんばろう」という気持ちになる。と言うか私自身、この歌を聞いているといつの間にかそういう気持ちになっている。そのあたり、「マジック」の成立している歌であると思う。

We'll scorch the earth
Set fire to the sky
We stoop so low, to reach so high
A link is lost
The chain undone
We wait all day
For night to come
And it comes
Like a hunter (child)

最後の「child」にカギカッコがついているのは、ライナーノートに書かれている通りの記載の仕方なのだと言う。確かに最後が「猟師の子ども」になったら、この部分は意味が通らない。と言うより猟師を子どもにする必然性を全然感じられない。ではこの「child」は何なのか。「愛しい人よ」という呼びかけであると解釈しているサイトもあったが、そこまで改まったことは言っていないように思う。なので「ね」と軽く翻訳するにとどめた。が、間違っているかもしれない。新約聖書のマタイ伝には

目を覺しをれ、汝らの主のきたるは、何れの日なるかを知らざればなり。
汝等これを知れ、家主もし盜人いづれの時きたるかを知らば、目をさまし居て、その家を穿たすまじ。
この故に汝らも備へをれ、人の子は思はぬ時に來ればなり。

という一節があり、「救い主はいつやって来るか分からないからボーッとしとったらあかひんぜ」ということを多分イエスは言っているのだけれど、ここの部分の歌詞はその影響を強く受けているような気配を感じる。「盗人」というのは盗人自身の立場になってみるならば、「獲物を持って帰ろうとしている狩人」そのものなのである。となると「child」という唐突な言葉は「人の子」=イエスを指していると考えるのが一番しっくり来るかもしれない。あ、つながった気がする。でもまあ一体そういうことには、あまりとらわれない方がいい。

ここに歌われていることは文字通りに読むならば「反乱と蜂起の呼びかけ」そのものであるように感じられる。「夜を待て」とまで言っているのだもの。そのあたり、ボノという人の普段の思想信条の中からは絶対出てこない歌詞であるように思うのだけど、炭鉱労働者の本物の戦いを前にしてはそのあたりを「ごまかす」わけにもいかなくなり、「自分もこう歌うしかない」という「判断」に至ったような経緯が感じとれる。

だから繰り返しになるけれど、この歌を本当に作った人たちがいるとすればそれはイギリスの炭鉱労働者の皆さんなのである。ボノという人はそれを自分の「私有財産」みたいに扱うのを、やめた方がいい。だって今の彼氏はとりわけこの部分では、明らかに「心にもないこと」を歌っているのだから。

Love, slowly stripped away
Love, has seen its better day

愛が「はがされて」行くというのは、地面の中の石炭層が長年をかけて「はぎとられて」いった経過と重ねられているのだろう。この部分は「がんばって」いる労働者の人たちをほっぽり出してボノが一人で感傷にひたっているような気配が感じられ、私はあんまり好きではない。「皆さんにとっての一番よかった時代は、もう終わってしまったのかもしれませんね」なんて、果たして本人たちを目の前にして言えることだろうか。

Hanging on
The lights go out on Red Hill
The lights go down on Red Hill
Lights go down on Red Hill town
The lights go down on Red Hill

最後の「Hanging on」には、主語がない。「がんばりつづけること」と翻訳した。


Nスペ「その時日本は」 三池争議

あなたが担架で運ばれたコンクリートの道の上には、労働者の赤い血が夕闇の中にどこまでもどこまでも続いておりました。久保さん、おくさんの肌のぬくもりを感じられましたか。そのぬくもりは、全国の働く仲間の体温です。この全国の怒りの声が、あなたに聞こえますか!みんなが胸をかきむしり泣いていました。かたきを討たせてくれと! (28:13〜)

1996年に放送されたNHKスペシャルの動画。二度と見れないかと思っていた。消されてしまわないことを祈りたい。ではまたいずれ。

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=楽曲データ=
Released: 1987.3.9.
Key: G