華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

ロビー·ロバートソン自伝「Testimony」読書ノート #0.



最近始めたSNSを通じて、ザ·バンドのギタリストだったロビー·ロバートソンが2016年に「Testimony」というタイトルの自伝を出していたこと、そしてこの秋にはいよいよその日本語訳が発売されるという話だが、何かの事情でそれが繰り返し延期されているらしいということを初めて知り、世の中はそんなことになっていたのかと驚いた。

検索を通じて初めて訪れて下さった方もいるかもしれないから改めて自己紹介しておくなら、このブログは私が青春時代に意味も分からず夢中になって聞いていたザ·バンドとドアーズとクラッシュという3つのバンドの楽曲を中心に、自分の出会ってきた様々な外国の歌が「本当はどういうことを歌っていたのか」ということをできるだけ詳しく検証し、一知半解で分かったつもりになっていた自分自身の青春に決着をつけることを目的として開設したものである。おかげさまで翻訳曲の数は2018年8月現在450曲になんなんとしており、「華氏65度の冬を知らない洋楽ファンはモグリ」であるという有難い評価も、各方面から頂戴しつつある。(どの方面からの評価であるかは、伏せる)。けれどもそのザ·バンドのほとんどの楽曲を作詞したロビー·ロバートソンが自分自身を語った特級の一次資料を発表していたにも関わらず、今の今までその存在さえ知らなかったという体たらくでは、私自身が「モグリ」だったことがバレてしまう。て言っか、既にバレている。
nagi1995.hatenablog.com
↑ちなみにこちらが一番最初に書いた記事です

「モグリだと思われたくない」とかそういう邪悪な理由からでは断じてなく、14の時からザ·バンドを聞き続けてきた極東の一ファンとして、私はそのロビーの自伝を読んでみたいいや読まなければならないと切実に思った。そういうのが出ていることを知ってしまった以上は、日本語版が出るまで待ってなんていられない。それに直截なことを言わしてもらうなら、アマゾンで予約が開始されている日本語版は、苦労して翻訳して下さった訳者の人に対して非常に切り出しにくい話ではあるのだけれど、高い。4104円もする。この際、思い切って原書を直接取り寄せてしまおうか。それなら、1500円ぐらいで手に入るらしい。

ロビー・ロバートソン自伝

ロビー・ロバートソン自伝

Testimony

Testimony

ちなみに私が今までに手に取って最後まで読み通すことのできた英語の原書というのは、3冊しかない。ハリー·ポッター·シリーズの最初の2冊と、リヴォン·ヘルムの自伝「This Wheels On Fire (邦題は「ザ·バンド-軌跡-」)」である。しかもこの3冊の場合はいずれも事前に日本語訳を読んだ上で原文も確認しておきたくなったというだけに過ぎないから、厳密には「読んだ」とはいえない。英語圏の人が英語で書いた本にイチから挑戦するのは、これが初めての経験になる。果たして読み通せるものなのだろうか。だが私には、英語圏の人たちと比べても決して引けを取らないと自負しているところの、ザ·バンドというバンドに対する「愛」があるはずなのだ。あったはずなのだ。そのザ·バンドについてメンバー自身が書いた本さえ途中で投げ出してしまうような体たらくでは、他の英語の本だって一生読めはしないだろう。そして私という人間の「愛」の中身さえ、その程度のものだったという結果を突きつけられてしまう他にないだろう。だったら、まずは読んでみるしかないではないか。
ザ・バンド 軌跡

ザ・バンド 軌跡

This Wheel's on Fire: Levon Helm and the Story of the Band

This Wheel's on Fire: Levon Helm and the Story of the Band

「Testimony」は何と、注文した翌日に配達されてきた。世の中の進歩の速さには茫然とさせられるばかりである。以前にアマゾンでリヴォンの自伝を注文した時には、洋書だからと2週間以上も待たされた上で、アメリカからようやく送られてきたのは別の本だった。こちらが頼んだのは「The Band」の本だったのに、届いたのは鳥の図鑑である。「The Bird」の本だったのである。しかも、カロライナ地方限定の。笑かしてくれるではないか。




とはいえ、まあ、アメリカの本屋さんも謝ってくれて鳥の本はプレゼントしてもらえたし、「Daniel And The Sacred Harp」という曲に出てくる「ホイップアーウィルヨタカ」というのがどういう鳥かというのも大体わかったしで、悪いことばかりでもなかったのだが、それでもやはりリヴォンの本が送り直されてくるまでには2週間ぐらいかかったので、結果として私は1冊の本を手に入れるそれだけのために、1ヶ月以上も待たされなければならなかったことになる。洋書を買うというのはそういうことだというイメージがこの時の体験から体にしみついてしまっていたものだから、ロビーの自伝が1日で送られてきた時には本当にビックリした。日本の書店に在庫があったからといえばそれまでなのかもしれないが、リヴォンの自伝と比べて余りに扱いが違うではないかという感じがする。

自伝のタイトルになっている「Testimony」という言葉には、「宣誓証書」「供述書」「証拠」「証明」といった意味があるのだという。書名の時点で辞書を引いているようでは先が思いやられてならないが、どの訳語を採択するかによってイメージはかなり違ってくる。ロビロバ氏がどんな気持ちを込めてこの単語を自伝のタイトルに選んだのかということについては、最後まで読んでみないことには判断できないところだろう。なお、「The testimony」という風に「the」をつけて使う場合、この言葉は旧約聖書に出てくる「十戒」が刻まれた石版や、それが納められた「契約の箱(聖櫃)」をさす固有名詞としても機能するとのことである。そういう風にさりげなく宗教的なイメージを配置しているあたりが、これまたロビロバ氏らしいといえばロビロバ氏らしい。

表紙のロビロバ氏の写真の右肩のところには、「You can feel the music in every word」というマーティン·スコセッシの推薦文が書き込まれている。「あなたはすべての言葉の中に、音楽を感じることができることでしょう」。本当だろうね。

全体をバラバラバラっとめくってみる。アメリカの紙の匂いがする。アメリカの紙って言うか木の匂いにはウンチ臭いイメージがあって私はそれが苦手だったのだけど、この本の紙はそれほどツンツン来る感じではない。これなら安心してつきあえそうだ。若い頃の私がホーナー社のブルースハープの音色に憧れつつも結局トンボの国産ハーモニカしか使うことができなかったのは、あの本体部分に使われている木のウンチ臭い匂いに耐えられなかったからなのである。おかげでそれ以来、ブルースハープの音色を聞くたびにそのウンチ臭い匂いまで心の中によみがえってきてしまうのを、どうすることもできずにいる。口にくわえるものがあんなにウンチ臭い匂いをしていていいものなのだろうかと私は今でも思うのだが、21世紀になってもあの匂いは、変わっていないのだろうか。そして向こうの人たちは、あの匂いが気にならないものなのだろうか。

各章には「ONE」「TWO」といった数字が振られており、全部で27章あった。1日1章ずつ読むことができれば、1ヶ月以内に読了できる計算になる。読めればの話だけど。「旅立ち」とか「初恋」とか「リヴォンに反論する」とかいった章題が付けられているわけではないので、各章にどんなことが書かれているのかは、現時点では類推のしようがない。地道に読み進めてゆく他になさそうだ。

そしていよいよ本文を開いてみた。これがその序文である。





私は若かった頃、シックス·ネイションのインディアン居留地で、厳粛な物語の作法というものに触れてきた。口承で語られる歴史、伝説、寓話、それに生きることにまつわる偉大で神聖な諸々の謎について。モホークとカユーガの血を引く私の母親はそこで生まれ、育てられた。伝統的な音楽であれ、あるいはレフティ·フリゼルの「ロング·ブラック·ベイル」のようなストーリーソングであれ、あるいは私たちが年長者から聞かされた聖なる神話の数々であれ、私が居留地で耳にしたすべてのことは、強烈な衝撃を私に残した。9歳の時、私は母親に向かって、「大きくなったらお話をする人(storyteller)になりたい」と言ったことがあった。母親は微笑んで、言った。「あんただったら、そうなりそうだね」。

そんなわけでこれから始まるのが、私の物語である。私の声であり、私の歌である。
そして私が覚えていることのすべてである。

…言っとくけど、いくら翻訳ブログを看板に掲げているからって、全部を翻訳するつもりは、さすがに私にも、ないのですからね。翻訳したいのは山々だけど、せっかく日本語版を用意してくれている書店の人たちや、訳者の奥田祐士さんを敵に回したいとは思わない。あくまでこれは著作権法と無関係な範囲での「引用」にすぎません。そして私はこの記事を目にした全ての人が、そろそろ発売されるという噂の日本語版を買うために書店に走ってくれることを心から祈念しています。いわばこれは私の個人的な宣伝活動なのです。いえお金は一銭も頂きませんです。私は好きなミュージシャンのことを書きたいように書く。それを読んだ人が本を買って出版社は潤う。そういうWin-Winな関係を構築してゆければ私としては幸いに存じます。ヰン·ヰンです。こっころからの本音です。

…という感じで自分で自分に予防線を張っておかないと本当に全訳してみたい衝動を抑えられなくなるぐらい、この序文には、引き込まれてしまった。ロビー·ロバートソンという人が、カナダの先住民の母親とユダヤ系カナダ人の父親との間に生まれた少年だったというプロフィールについては、さまざまな本やCDのライナーノートに書かれた情報を通じて、私も「知って」はいたのである。けれどもロビーという人自身が自らの先住民としてのアイデンティティについて語った言葉に触れたことは一度もなかったし、ザ·バンドの楽曲の中にもそれを直接想起させるような歌はひとつもない。だから私も、あえてそれ以上のことを知りたいとは今まで思わずにきたのである。

けれどもロビロバ氏は21世紀になってから書かれたこの序文を通じ、「ストーリーテリング」の技法をはじめとした自分の作品のルーツのすべては、「インディアン居留地」で過ごした少年時代に見聞きしたことの中に存在しているということを、事実上、宣言している。ザ·バンドというバンドの音楽のルーツの部分に「アメリカ先住民の感性」が存在しているということは、私の知る限り今までどんな評論家の口からも語られたことがなかったにも関わらずである。ことによるとこの本には、私が今までザ·バンドの音楽について「知っていた」と思っていたことの全てが、根本的に覆されるような「Testimony」が綴られているのかもしれない。

ロビーの文章に出てくる「Six Nations」という言葉を私は知らなかったので、調べてみたところ、現在のアメリカ合州国北東部からカナダ南東部にまたがる地域で16世紀に形成され、日本の教科書では「イロコイ連邦」と翻訳されている先住民の「confederacy (同盟/連合国)」の呼び名であるということを初めて知った。日本語版Wikipediaによる「解説」は、「インディアン」という呼称や「部族」という用語を無批判に使っているあたり、引っかかる部分がいろいろあるのだが、とりあえずリンクを貼っておきたい。
Wikipedia/イロコイ連邦

この「連邦国家」は現在でもアメリカ合州国(およびカナダ)に対して確固たる独立性を保持しており、その領内にはFBIといえども勝手に足を踏み入れることはできないらしい。上のWikipediaの記事の中でも以下の部分は、とりわけ私にとって興味深く感じられた。

イロコイ連邦は、首長制を強制するBIAの監視・管理下にある「部族会議」に相当する組織を最初から持たず、アメリカ合衆国=BIAの干渉を一切拒否し、「調停者」の合議制による自治独立を実現している稀有なインディアン部族である。これはアメリカ合衆国政府が条約で保証している、保留地(Reservation)の本来の姿である。

イロコイ連邦の連邦制度自体、アメリカ合衆国の連邦制度の元になっており、13植民地がアメリカ合衆国として独立する際に、イロコイ連邦が協力して大統領制を始めとする合衆国憲法の制定にも影響を与えたとする研究者もいる。この場合、イロコイはフランクリンや、ジェファーソンに影響を与えたのみならず、独立から憲法の制定にいたる過程で具体的な示唆を与えていた。

このイロコイ連邦(六部族連邦)のシステムは、植民地の政治家や思想家の心をとらえ、そのなかの何人か(フランクリンやトマス・ペイン)は、ロングハウスでの同盟部族会議に参加し、外交についての授業を受けている。イロコイ連邦の長老は、何度も彼らの連邦のスタイルを白人たちの13植民地のモデルとして彼らに提示している。

合衆国のハクトウワシの国章はイロコイ連邦のシンボルを元にしたものであり、合衆国憲法そのものも、言論の自由や信教の自由、選挙や弾劾、「安全保障条約」、独立州の連邦としての「連邦制」などがイロコイ連邦からアメリカ合衆国へと引き継がれたものである。また、イロコイは事実上、最も初期に女性の選挙権を認めた集団である。

イロコイ連邦の六部族国家のひとつ、オノンダーガ国は自治権の強さで知られ、海外への旅行の際にもアメリカ政府のパスポートを必要としない。1973年に「ウーンデッド・ニー占拠」の代表団の一人で、連邦から訴追されたデニス・バンクスが、1983年、FBIから逃れるためにオノンダーガ国に亡命して話題となった。FBIはオノンダーガ国内に侵入できず、バンクスに手が出せなかった。イロコイ国家はこの「ウーンデッド・ニー占拠」では代表団を送り、オグララ・スー族の独立国家宣言に対し、真っ先にこの独立を承認した。

...そうやって現在に引き継がれている先住民の人々の自治社会の中で、ロビーという人は育ってきたのだ。つくづく私は今まで何も知らずに、この人の音楽を聞いてきたのだなと思う。最初からこんな感じなのだから、読み進めてゆくとさらにいっぱい知らない話が出てくるに違いない。丁寧に読んでゆかねばならないと思う。

なお、今までにも何度か触れてきた通り、私自身はアメリカ先住民に対する「インディアン」という呼称を不当で差別的なものだと考えているし、このブログでは基本的に使っていない。けれども「Testimony」という自伝の中で、ロビー·ロバートソンは自らのことを「インディアン」と名乗っている。「誇りを込めた自称」である。それはその通りに、受け止めなければならないと思う。なので、以下の読書ノートでもロビーが自ら語っている言葉の引用部分に限っては、特に注釈なしに「インディアン」という言葉を使ってゆくことにしたい。

そして現時点で私はこの「Testimony」を三章目ぐらいまで読み進め、ニヤけたりシンミリしたり衝撃を受けたり早くもロビロバ氏の思う壷に陥ってしまいつつあるのだが、かなり文字数も増えてきた。全部をひとつの記事で書こうとしても仕方ないと思う。そんなわけで今回を「読書ノート」のパイロット版にして、次回以降は通常の翻訳記事と並行させながら、要約や感想を1章ずつに区切ってお送りしてゆく形を取ることにしたい。これは取りも直さず、私自身が途中で投げ出してしまわないための工夫である。

ザ·バンドのことを好きで好きで仕方ない多くの皆さんに、一緒に付き合って頂ければ幸いです。

ではまたいずれ。次回に続く