華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

ロビー·ロバートソン自伝「Testimony」読書ノート #1.

#0 Testimony#2


「トロントにて 両親と」というキャプションの入った写真 (自伝より)

Stared out that train window into darkness, till I near went stone blind.
列車の窓から暗闇を見つめていた
ほとんど何も見えなくなってしまうまで

「blind」という言葉は「視覚障害者」に対する差別語です。ここでは原文をそのまま転載しました。

ロビー·ロバートソンの自伝「Testimony」の冒頭は、歌の文句のようなこんなフレーズで始まっている。文字列を丸ごと検索してみたが一致する歌は見つからなかったので、あるいはロビーが即興で作った歌なのかもしれない。(ジョニー·キャッシュの「The Gambler」という歌に、ちょっとだけ似ているのだけど)

それに続いて書き綴られているのは、1960年の春、16歳のロビー少年が生まれて初めてカナダを離れ、アメリカ南部はアーカンソー州ファイエットビルに向かうべく、夜行列車に揺られている旅路の情景である。そこにはロニー·ホーキンスが待っているのだ。彼はカナダを離れる時、「いつでも南部に来な。見どころがあれば使ってやるぜ」という言葉をロビーに残してくれた。その言葉に全てを賭け、ホークスの「入団試験」を受けに行くための、一人旅なのである。

ロビーの子どもの頃の思い出が、少しだけ語られる。みぞれ混じりのひどい吹雪の日、学校から帰る途中で近道するために別の学校の敷地に入り込んだロビーは、そこで一人の男に出くわす。ひどい目にあわされるのではないかとおびえたが、近づいてきた彼氏がロビーに手渡したのは一枚のビラだった。

家に帰ったロビーのポケットからそのビラを引っ張り出したのは、母親だった。「音楽教室: アコーディオン、バイオリン、スパニッシュ/ハワイアンギター…あんた、音楽がやりたいの?」

音楽。好きだ。それに、こんな風にブリザードの中を歩かされなくて済む暮らしができるようになるキッカケになりそうなことなら、何だってかまわない。そう思ったことが、ロビーの「ターニングポイント」になったのだという。そこから、すべてが始まったのだな。

トロントを離れた列車はバッファローで国境を越え、ミズーリ州セントルイスでバスに乗り換えてさらに南を目指す。ロビー少年の胸に悲しみが突きあげる。この旅の費用を捻出するために、彼は何ヶ月も働いてようやく手に入れたオリジナル·クラシック·サンバーストボディの1958年型フェンダーストラトキャスターを、手放さなければならなかったのだ。

トロントで初めてロニー·ホーキンス&ホークスに出会った時の思い出が語られる。それは「revelation (啓示)」だったとロビーは言う。当時、彼氏は地元の友人たちと「Suades」というバンドを組んでいて、ある日、幸運にも、旅回りでやってきたホークスの公演の前座に抜擢された。ロビーたちは張り切りまくって、当時の彼らなりに最高の演奏を決めてみせるのだが、ロニー&ホークスの演奏はそれとはケタ違いだった。南部仕込みの本物のロックンロールを初めて見せつけられた時のロビーの衝撃が、この場面ではありありと語られている。

そしてこの時、ステージを見つめるロビーの視界の中には、ドラムを叩いているリヴォンの姿があった。二人の最初の出会いである。この場面ばかりは、原文をそのまま引用しておきたい。

In the center of it all was a young beam of light on drums. Teet gleaming, laughing, bleached hair glowing, whole body shaking, drumsticks twirling, pushing those red sparkle drums with a hawk painted on the bass drum like a white tornado. It was the first time I saw Levon Helm, and I'd never seen anything like it.
そのすべての中心にいたのは、ドラムスを照らすスポットライトの中の、一人の若者だった。白い歯が光っていた。笑っていた。ブリーチした髪が輝いていた。全身が躍動していた。ドラムスティックがクルクル回っていた。バスドラに鷹(ホーク)の絵の書かれた赤いピカピカのドラムセットを、白い竜巻のように乗りこなしていた。それがリヴォン·ヘルムとの出会いだった。そしてあんなのは、それからも二度と見たことがない。

…その後、ロビーはロニーの目に止まり、自分の作った曲を採用してもらったりニューヨークのティン·パン·アレイに連れて行ってもらったりといろんなエピソードが続くのだが、細かくは省略する。こんな調子で文章の全体をなぞっていたら、「あらすじ」がいつまで経っても終わらない。「あらすじ」は「あらすじ」らしく、以下はできるだけザックリと書いてゆくことにしたいと思う。

南部にたどりついたロビーは、ホークスのメンバーから基本的に暖かく迎えられ、しばらく一緒に暮らしながら腕を磨くといいという話になるのだが、中には気難しいメンバーもいたりして、彼氏に音楽のことを何も教えてくれなかったりする。それにもめげずにロビーは、ブルースやカントリー、ロックンロールといったすべての音楽の故郷にあたる南部の風土で見聞きすることのいちいちに感動し、あらゆるものを吸収してゆく。「soak up (吸い上げる)」というフレーズがこの章には何度も出てくる。

そんな中で、「恋」にまつわる最初のエピソードも登場する。もう16歳だし、カナダの地元では結構やんちゃもしていたみたいだし、「初恋」というわけでもないのだろうけれど、かなり印象的な一節だったので、転載しておきたい。

A couple of nights later Scott and I were waiting for a table at Nick's Café, the place everybody went for a late bite, when I noticed a striking girl grooving to the song playing on the jukebox. As I looked closer I could see that she might be an American Indian. I drew a breath, went over, and started gabbing about what a cool jukebox they had at Nick's.
…数日後の夜、(ホークスのメンバーの)スコットと私は、ニックのカフェのテーブルに座っていた。土地のみんなが遅い食事をとりに来る場所だ。そこで私は、ストライクゾーンど真ん中の女の子がジュークボックスの歌に合わせて身体を揺らしているのに気づいた。よく見ると彼女は、アメリカのインディアンらしかった。私は息をつき、そばに寄り、そこに置いてあるジュークボックスがいかにクールな代物であるかといったようなことについて、いろんなことをひけらかした。

She said her name was Emma, and she turned out to be from the Kiowa Nation. I told her my mother was Mohawk, from Six Nations. "Mohawk! You're Mohawk? How come you don't have one of those scary haircuts?"
彼女は自分のことをエンマと名乗った。話を聞くと彼女は、カイオワ·ネイションの出身であることが分かった。私は彼女に、自分の母親がシックス·ネイションのモホークであることを話した。「モホーク!あんた、モホークなの?じゃあどうして、例のおっかない髪形、してないの?」

We had an easy connection, and while the boys were sampling the chicken-fried steak, Emma and I sat by the river talking. She had the sweetest laugh. Miss Emma and me, we both felt the shimmer.
我々は簡単に打ち解けることができた。そして他の連中がチキンフライドステーキの味見をしている間に、エンマと私は川べりに座って話をしていた。彼女の笑顔は最高に素敵だった。ミス·エンマと私は、お互いにキラキラと輝くものを感じていた。

…何か、とても新鮮なものを読ませてもらった気がしたのだった。きっとロビーは南部の地で出会ったその女の子に、私が東京で関西弁を耳にした時どころでないくらいの「なつかしさ」を感じたのだと思う。エンマさんの方も、同じだったのだろうな。ちなみに彼女が言っている「one of those scary haircuts (例のおっかない髪形)」というのは、いわゆる「モヒカン刈り」のことらしい。他の地域の先住民の人々の間でも「それ」がモホークのステレオタイプなイメージになっているのだそうだが、たぶん当事者の人たちにとっては、現代の日本人にとっての「ちょんまげ」と変わらないくらいの距離感になっている文化なのだと思う。

そんなある日のこと。リヴォンが「おれの実家に遊びに来ないか」と声をかけてくれて、2人はロニー·ホーキンスの所有するド派手な59年型キャデラックに乗り込み、アーカンソー州マーヴェルに向かう。リヴォンはそのクルマで、家族の暮らす家の前に乗りつけるのが楽しみで仕方ないのである。

カーラジオからは、リヴォンの地元の伝説のミュージシャン、サニーボーイ·ウィリアムソン二世がパーソナリティを務める音楽番組が流れている。リヴォンはそのハーモニカの音を口真似しながら、にっこり笑ってロビーに言う。「こういうのを、メンフィス·ブルースって言うんだぜ」。16歳のロビーは、まるで夢の世界にやってきたような気持ちになる。(なお、年譜から計算すれば、この時リヴォンは19かハタチである)。

クルマのハンドルを握りながら、リヴォンはロビーにこれから会うことになる自分の家族のことを話す。

親父の名前はジャスパー·ダイアモンド。会えば分かるけど、ちょっとした個性派だ。おふくろの名前は、ネル。でもおれたちはみんな、おふくろのことをシャックって呼んでる。それに、姉ちゃんのモデナ、妹のリンダ…

…どうして「ネル」が「シャック」になるのだろう?とロビーは疑問を感じるのだけれど、質問するのもアレな感じなので、黙ってリヴォンの話を聞き続けている。このあたりの描写が、私は読んでいて妙におかしく感じられた。可笑しいって書いておかしいと読むそのおかしいである。じゃあ最初から漢字で書けよとも思うが、漢字の字面は何となく好きではないのである。

ロビーはリヴォンの家族に暖かくもてなされる。食卓に並ぶのは典型的な南部の家庭料理だ。本物のコーンブレッド、フライドチキン、ビスケットにグレイビーソース、冷たい紅茶、ピーカンパイ…good people, good food。リヴォンは自分を彼の世界に連れてきてくれたのだな、とロビーは思う。全てはロビーにとって新しく、素晴らしく感じられた。

と、次の場面で、ある出来事が起こる。私にとっては最も衝撃的な場面だったし、ロビーにとってもリヴォンにとっても、おそらく一生忘れられなかったはずの場面である。

We moved to the living room for an after-dinner smoke, everybody moaning about how full they were. As I sat down on the couch, Diamond passed wind like a foghorn. He looked back toward the kitchen and called out, "Hell, Robin, was that you? Sound like you stepped on a big ol' bullfrog."
我々は食後のタバコのためにリビングルームに移った。みんなが、おなかいっぱいでもう食べられないと苦しげな声をあげていた。私がカウチに座った時、ダイアモンド氏が霧笛のような音の屁を放った。彼は台所の方を振り向いて、大声で言った。「おいおいロビン、お前か?でっかいウシガエルを踏んづけたような音を出してくれるじゃないか」

"Diamond, you stop that," said Shuck. "You're embarrassing poor Robbie." But Diamond was grinning from ear to ear and knew he had me going. He jammed his cigarette out in the ashtray, coughed, and asked me, "Robin, tell me something. They got many niggers up there in Canada?"
「ダイアモンド、やめなさいよ」とシャックさんが言った。「かわいそうなロビーが困ってるじゃない」。けれどもダイアモンド氏は耳まで裂けたような笑顔で、してやったりという表情を浮かべていた。彼は自分のタバコを灰皿で揉み消し、咳をすると、私に向かって尋ねた。「ロビン、教えてほしいんだけどよ。カナダの方にも、ニガー(黒人に対する蔑称)は沢山いるのかい?」

I was stunned for a moment. "No," I told him, "we got mostly 'ofays' up there." Levon laughed out loud.
私は一瞬、凍りついてしまった。「いいえ」と私は答えた。「ぼくらのところは『オウファイ』ばかりです」。リヴォンが大声で笑った。

"Well, we got eight colored to one white round here," Diamond explained, lighting another cigarette, thumbnail on match. "I ain't saying anything bad about niggers. I know some hardworking, good folks, but we got some bad ones too. When I was sheriff here, I'd be throwing one too many of those drunk old boys in the pokey every Saturday night."
「ふふん。ここでは8人あたりの『色つき』に、白人が1人だけだ」新しいタバコに火をつけながらダイアモンド氏が言った。親指の爪がマッチに食いこんでいた。「ニガーの連中のことを悪く言うつもりはないんだぜ。よく働く、いいやつらだっているさ。でも、悪いやつらもいるんだ。おれがここで保安官をやってた頃には、土曜日の夜が来るたびに、そういう酔っ払ったちょっとばかりの余計な連中を刑務所に叩き込んでやってたもんだ…」

"Daddy, you better quit that," Linda chimed in. "You're 'bout to scare young Robbie all the way back to Canada." She reached for a mandolin and handed it to Diamond. "Here," she said, laughing,"stop talking and sing something."
「お父さん、やめてよ」とリンダが割って入った。「ロビーさんを怖がらせてカナダに追い返すつもりなの?」彼女はマンドリンに手を伸ばし、ダイアモンド氏に渡した。「ほら」とリンダは笑って言った。「お喋りはやめて、何か歌いましょうよ」。

Diamond looked around the room and smiled like he had pulled rabbit out of his hat. He hit a couple chords on the mandolin and arted singing an old-time story song. The timbre of his voice was gentle and deep-rooted. Levon passed me a guitar and motioned for me to play along. I did, and it made everybody sit back, just right. Levon had told me on the drive out, "My mama and daddy worked so hard all their lives, growing cotton. One of these days I'd like to give them some comfort and easy living. They deserve it." I saw what he meant.
ダイアモンド氏はぐるっと部屋を見回すと、帽子からウサギを引っ張り出したような顔で笑った。彼はマンドリンでコードをいくつか鳴らすと、昔のストーリーソングを歌い出した。その声の響きは、やさしく深いものだった。リヴォンが私にギターを手渡し、やってやれとジェスチャーした。私は、やった。みんなが静かになった。それでよかったのだ。帰り道、リヴォンは私に言った。「おふくろとおやじは、働きづくめで生きてきたんだ。綿花を育ててさ。おれはいつか、二人に楽をさせてやりたいと思ってる。あの二人には、そうしていい権利があるんだよ」。私にはリヴォンの言わんとしたことが、分かった気がした。

…リヴォンの父親の口から「nigger」という、明からさまに黒人を差別する言葉が出てきた時、「stunnedした (凍りついた)」というロビーの気持ちが、簡単に「わかる」とは言えないかもしれないけれど、私には極めてリアルに想像できるような気がする。自分が直接差別の対象とされたような経験を私は持たないが、それまで何も悪印象を持っていなかった相手から「この人は『自分と違う人間』のことをこんな風に差別してみせる人間なのか」ということを面と向かって突きつけられた経験というのは、数えきれないほどある。そしてそういう人間に対しては、二度と「心を開く」ことができなくなる。

「nigger」という言葉が直接攻撃の対象にしているのは、アフリカ系の人々である。けれどもそれは、我々アジア系の人間の心をも、凍りつかさずにはおかない言葉だと思う。その言葉が出た瞬間、それまで自分とにこやかに談笑していた目の前のアメリカ白人は、「彼と違う人間」のことを「そういう目で見ている人間」だったのだということに、我々は気づかされてしまうのである。かれらとは明らかに違った身体的特徴を具えている我々自身も、「同じ目」で見られていないわけがないと考えるのが普通だろう。そしてこの時のロビーはまさに、リヴォンたちアメリカ南部の白人とはハッキリ異なった特徴を身体に刻んだ人間として。のみならずアフリカ系の人々と同様に、白人によって数えきれないぐらいの父祖を虐殺されてきた歴史を背負った人間として、リヴォンやその家族と向き合っていたのである。

カナダにいるのは「オウファイ」ばかりだという言葉を、ロビーは返したのだという。「ofay」という言葉を私は知らなかったので、調べてみたところ、西アフリカの言語にルーツを持つ言葉らしく原義は不明だが、黒人が白人を罵倒する時に使う「白人野郎」に相当するニュアンスを持った言葉だということが分かった。リヴォンの父親の差別発言に対し、ロビーは即座に「黒人の立場に立って」抗議し、なおかつ反撃を叩きつけていたのである。私は、鳥肌が立つ思いがした。スゴいと思った。「ofay」という言葉は使わないし使えないにしても、彼と同じような場面に立った時、同じようなことが果たして自分にもできるだろうかと思った。

…本当にその時のロビーにそれほど大胆なことがやれたのだろうかという疑念が、実を言うと私には少しだけある。ラストワルツというあの映画自体がそうであるごとく、ロビーという人には自分を大物に見せるために割と平気でウソをつくような側面が、ハッキリ言って、あるからである。けれども実際にそこまで言ったにしても言わなかったにしても、この記述から明らかに伝わってくるのは、ロビーという人がそういう相手に対してはそういう風に対応してやるのが「正しい」のだという、確固たる「思想性」をそなえた人物であるということだ。その事実に私は、彼の自伝のこのくだりを読む瞬間まで、気づくことができずにいた。そしてそのことを知ることができただけでも、この自伝を読み始めてよかったという気持ちにさせられた。

カナダには「オウファイ」ばかりだというロビーの返事に、リヴォンは「大声をあげて笑った」と原文にはある。その笑いは豪快さを装うための笑いであるとも言えるだろうが、本質的にはいろんなことを「ごまかすため」の笑いだと思う。そして「オウファイ」というロビーの言葉に「笑える」その感覚というものは、後にリヴォンが面白半分に「ホンキーズ」というバンド名を提案することのできたその感覚と通底しているように、私には感じられてならない。
nagi1995.hatenablog.com
ザ·バンドのファーストアルバムの冒頭を飾る「怒りの涙」という曲の翻訳記事を書いた時、「ザ·バンドの歌詞には人を差別する言葉がほとんど出てこない」という特徴について私は触れた。そしてそれと併せて、リヴォンの自伝に書かれていた彼の母方のおじいさんのエピソードを紹介した。自分の街に勧誘活動にやってきたKKK団の人間に銃を突きつけて追っ払ったという、あの話である。そのおじいさんのことを自分は心から誇りに思うとリヴォンは書いていたし、その言葉にウソはなかったと思う。私自身にとっても、リヴォンの自伝の中では一番好きなくだりである。

けれども自分の父親のことについては、リヴォンは自伝の中でほとんど触れていない。彼の父親の人となりを紹介する文章としては、以下のようなことが書かれているだけである。

親父のジャスパー·ダイヤモンド(J.D)·ヘルムは、1910年、アーカンソー州モンロー郡で生まれた。1919年、イレインで有名な人種暴動が起こったとき、ヘルム一家はイレイン近くで畑を耕作していた。作物の価格が下落したため、イレイン周辺の黒人小作人は窮乏し、借金を奴隷労働で返済しなければならない者が出るまでになった。そこで彼らは組合をつくり出荷調整をした。その組合集会に、へレナ周辺のクー·クラックス·クランの一団が車で乗りつけ、弾をぶちこんだ。そこから大騒ぎがはじまり、黒人白人の双方にかなりの犠牲者が出て、アーカンソー州リトル·ロックの連邦軍が出動してやっと騒ぎがおさまった。白人農民とその家族はみなごろしにされるという噂が流れた。J.Dは父親や兄弟たちといっしょに、ピストルやショットガンをそろえて農場の表のポーチで待機していたのをおぼえていた。ぼくの祖父、つまりJ.Dの父親は息子たちに「やつらがきても、わたしが撃てというまで撃つな。だが一度戦いはじめたら死ぬまでやれ」といった。しかし、その日、暴動はそちらの道にはやってこなかった。
(「ザ·バンド-軌跡」菅野彰子訳)

…おそらくこれは、子どもの頃のリヴォンが繰り返し父親から聞かされた思い出話なのだと思う。ジャスパー·ダイアモンドはおそらく、自分の父親がいかに「勇敢」な人間だったかを示すエピソードとして好んでこの話を持ち出したのだと思われるが、客観的に見てこの話から窺い知ることができるのは、リヴォンの父方の祖父は「白人にさからう黒人は殺せ」という思想の持ち主だったということ。それだけである。言い換えるならこのエピソードは、リヴォンの父親がどんな風にして人種差別主義者になったのかということしか「説明」していない。

リヴォンはそれを自覚していたのだと思う。だから父親のことについてはそれ以上語らず、代わりに次の行からはさきに紹介した「母方の祖父」のエピソードが2ページぐらいにわたって語られる。そして

(母方の祖父の)ウィーラー、そしてぼくのおふくろ、このふたりの人間に対する考えかたが、ぼくの人生にさいわいした。ふたりのおかげで、ほかの大勢の人のように人種差別主義という重荷を負わずにすんだのだ。おふくろは聖書を第一とする人間だった。そして、人種や皮膚の色や宗教で人を差別してはいけないと考えていた。人を自分より低く見るのはキリスト教徒のすることではない。おふくろはぼくたちにそう教えた。
(同上)

という文章で、そのくだりは結ばれている。ジャスパー·ダイアモンドは、その「ふたり」の中に含まれていないのだ。つまり彼の父親は人を差別する人間だったということ。そしてリヴォンはそれと対決することができなかったのだということを、彼の自伝のこの部分は言外に語っていたことになる。

私は今までリヴォンのことを、ザ·バンドというバンドの「主人公」であると感じてきた。1992年にザ·バンドを初めて見た時にその中心でマンドリンを弾いていたのはリヴォンだったし、「オールド·ディキシー·ダウン」を歌っていたのも「クリプル·クリーク」を歌っていたのもみんなリヴォンだった。私にとって今でもリヴォンは一番思い入れのあるメンバーだし、一番好きなメンバーであることにも、変わりはない。

けれどもロビーの自伝のこのエピソードを読んで、「リヴォンの言葉だけ聞いていたのではやっぱりいけない」ということが、初めて私にも分かった気がする。それだけではやはり「本当のこと」というものは、何も分からない。そしてザ·バンドの楽曲のほとんどはまぎれもなく、この時リヴォンの父親が差別的な人間であることを決して見逃さなかったロビーという人の手によって、書かれたものなのだ。

上に引用したロビーの文章は、「私にはリヴォンの言わんとしたことが、分かった気がした」という言葉で結ばれている。それ以上のことは書かれていないが、リヴォンはこのとき明らかに「父親をかばった」のである。もっとも「かばう」という言い方をするとこの場合、ウソになるだろう。言うなればこの時リヴォンは、社会的に「弱者」の立場にあるロビーに対し、「強者の側につくことを宣言した」のである。差別の存在する社会において差別者を擁護するということは、常にそれと同義の意味を持っている。

この時の出来事はロビーとリヴォンの双方の心に、「わだかまり」を残さずにはおかなかったはずだと思う。そしてそれ以降の人生において、ロビーがリヴォンの目から見て決して許すことのできない振る舞いを何度繰り返すことになったにせよ、この件に関してだけは、「謝らなければならなかった」のはリヴォンの側だったはずだと私は感じている。

…ロニー·ホーキンスに実力を認められ、いよいよロビーのホークスへの加入が決まったところで、第1章は締めくくられている。給料はどれくらいもらえるのかとロビーが訊ねたのに対し、ロニーが返したという答えが、「ラストワルツ」にも出てくる以下の有名なフレーズである。

"You won't make much money but you'll get more pussy than Sinatra."
「カネは大して儲からないが、シナトラより沢山のプッシーが味わえるぜ」

…ではまたいずれ。次は第2章。一回一回こんな調子で書いていて、果たしてこの企画は終わるのだろうか。何しか、がんばります。