華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

ロビー·ロバートソン自伝「Testimony」読書ノート #13 〜16

#8 〜12 Testimony#17

  • 1965年8月28日、1万5千人を収容するニューヨークのテニス場、フォレスト·ヒルズ·スタジアムでのサウンドチェック風景。この時が、ロビーとリヴォンがディランのバックを務めた最初のステージだった。

後にザ·バンドとなるホークスとディランの出会いの経緯について、この本でロビー·ロバートソンが語っている内容は、私が今まで読んできた他の本に書かれている事実経過とは、かなり異なっている。このロビーの自伝が発表される以前に日本語に訳されていたザ·バンドを知るための二大資料といえば、このブログでも何度も引用させてもらってきたリヴォン·ヘルムの自伝「This Wheels' On Fire (邦題『ザ·バンド-軌跡-』)」ならびにバーニー·ホスキンズの「Across The Great Divide (邦題『流れ者のブルース ザ·バンド』)」の二冊なのだけど、この両者の証言は

  • バックバンドを務めてほしいというディランからのオファーは、ホークスのメンバーの全員にとって「寝耳に水」だった。ディランの歌は、みんなラジオを通じてしか聞いたことがなかった。
  • 最初に電話を受けたのはリヴォンで、彼はそれをメンバー全員に報告したのだが、その時点ではロビーもディランからのオファーに「懐疑的」だった。
  • ディランからの最初のオファーは「ギターとドラムを探している」とのことであり、それでリヴォンとロビーが二人でディランに会いに行った。

という内容で一致している。ところがロビーの自伝に書かれている事実経過は

  • ロビーが友人のジョン·ハモンド·ジュニアの誘いでニューヨークに行った際、たまたま「ライク·ア·ローリングストーン」の録音を終えたばかりのディランのスタジオを訪問する機会があり、そこでディランと知り合った。
  • それから間もなく、ディランのマネージャーのアルバート·グロスマンのオフィスから、「ボブに会ってほしい」とロビーに直接連絡が入る。ロビーは「何の話だろう」と思いながら会いに行く。(一人で)。
  • ロビーの前に現れたディランは、しばらく一緒にギターを弾いた上で、「数週間後に迫ったコンサートのために、リードギターを弾ける人間が必要なので、やってくれないか」と持ちかけてくる。(個人的に)。
  • ロビーは「自分には大事なバンドがある。ドラムでリヴォンを一緒に雇ってくれるなら引き受ける」と条件つきで承諾し、(自伝の記述を信じるならば)戻ってメンバーにそのことを報告する。
  • 幸いにもグロスマンのオフィスから「リヴォンも一緒に来てほしい」という連絡が入り、それで改めて、ロビーとリヴォンが二人でディランに会いに行く。

…という流れになっている。明らかに、矛盾しているのである。リヴォンの方に「自伝にウソを書く利害」があったとは思えない。またバーニー·ホスキンズの本は、リヴォン以外のいろいろな人にも取材した上で書かれている。ことによるとロビーは、自分が事前にディランと接触していた事実を、この彼の自伝が出るまで他のメンバーに対しても「隠し続けて」いたのではないかというのが、私の印象だった。

なぜ、そんなことをしたのだろう。ここから先は完全に憶測の世界なのだけど、ひょっとしてロビーは他のメンバーが何も知らない段階から密かに自分(たち)のことをディランの陣営に「売り込んで」いたのではないだろうか。そしてディランの側とも口裏を合わせ、「ロビーとリヴォンの二人に来てほしい」という話が来た時点で初めて「ビックリしたような顔をして」リヴォンと一緒にディランの事務所に向かった。そういう流れだったとでも解釈しなければ話の辻褄が合わない。

つまり、ロビーは「自分が」ディランと一緒にやりたいという利害のために、他のメンバーを無理やり「巻き込んだ」のではないかと、私は感じる。そういう目で見れば、「ラスト·ワルツ」の時と完全に「同じやり口」なのである。だとすれば、リヴォンが生きている間にロビーがこの自伝を発表できなかったのは、当然のことだと思う。ロビーがこの自伝の中に何か「自分に都合のいいウソ」を書いているとして、それをウソだと指摘できる人間は、今、生きている中では、ディランとガース·ハドソンの二人しかいない。そしてその二人からは何も言われないだろうという何らかの確信があって、初めて「ここまでは」事実を明らかにすることに踏み込んだのだろうと思われる。ディランからの「個人的オファー」を受けたロビーがすぐにそれを他のメンバーに報告したという取ってつけたような記述は、どう考えてもウソだとしか思えないし、それを考えるならロビー個人とディランがどんな風にして出会いどんな言葉や音を交わしたかという記述にも、ウソやあるいは「隠されていること」が山ほど存在しているに違いないのだ。実際、この本における「ディランの第一印象」をめぐる記述は、他のメンバーとの出会いの描写に比べると妙にそっけない。おそらくディランとロビー·ロバートソンの間には、お互いにとって明らかにすることのできない何らかの秘密の関係が、今でも秘密のまま生き続けているのではないだろうか。そんな印象を受ける。

私は何も、ロビーが「ウソをついている」という証拠を掴み出して彼のことをなじろうとしているわけではない。彼がウソつきであることなど、ずっと前から知っている。そのことの上で、ザ·バンドと彼の音楽を聞き続けている。それとこれとは別問題なのである。

私が何よりも残念に思うのは、ロビーがどうしてそこまでして「ディランと一緒にやりたい」と思ったのか、彼との最初の出会いにどれほど強烈な印象を受けたのか、その出会いがロビー自身をどんな風に変えたのかといったような「こちらの本当に知りたいこと」が、そこでウソをつかれてしまうと一切「語られないまま」終わってしまう他にないということだ。

「作られたストーリー」によるならば、ホークスにバックバンドを務めてほしいというディランからのオファーは飽くまで一方的なものであり、ロビーも含めてそれに「つきあわされた」だけという形になっている。この自伝でも、事実経過はそういう形でしか書かれていない。けれども、ただ単に「ビッグになるためのチャンス」というだけの話にとどまらず、ロビーの側から「どうしても自分(たち)にやらせてほしい」と情熱的にディランに訴えた経過が、必ずあったのではないかという気が私はする。(「自分に」だったのか「自分たちに」だったのか、そこだけは私にも何とも言えない)。間違いなく言えるのは、フォークからロックへの「転向」というディランの歴史的な冒険に文字通り「つきあわされる」形で参加したリヴォンの場合、行く先々で浴びせられるブーイングに耐えきれず途中で脱落してアーカンソーに帰ってしまっているにも関わらず、ロビーの場合は一貫してディランに負けないぐらいの情熱をもってそのツアーに同行し、かつそれを楽しみ、最後には自分たちこそが「勝利した」という確信を持ってアメリカ(-カナダ)に戻ってきているということである。ここにおいて、当時のディランにとってもロビーは唯一の「同志」と呼びうる存在だったに違いないと私は感じるし、ロビーの側にもディランと共有することのできる「何か」があったからこそ、最後まで行動を共にすることができたのではないかと感じずにはいられない。

その「何か」が「何」であったのか、具体的な言葉が綴られているわけではない。けれども全米各地を皮切りにハワイ、オーストラリア、ヨーロッパと世界を一周する形で繰り広げられた1966年のツアーが、20代前半だったロビーにとってどんなに「夢のような日々」であり、興奮に満ちた体験だったかということは、この自伝の第13章から16章までを埋める情熱的な筆致の行間から、余すところなく伝わってくる。まるでブーイングを受けることそれ自体を目的にツアーをしているように見えるディランが、実際には何を考えていたのか。当時の人々には誰も理解できなかったと言われているし、後の時代になってから書かれたものを読む限り、今でも本当に「理解」できている人がいるとは思えない。もちろん私にだって、分からない。そしてディラン自身は語らない。けれどもディランと共にそのツアーをやりきった当事者の口から、それが(「難解だった」とか「革新的だった」とかではなく)どんなに「楽しく」て「充実した」日々だったかということが語られている記録を読んだのは、少なくとも私にとって、初めての経験だった。その意味で、このロビーの自伝が発表されたことに一番喜んでいるのは、ディランのファンの人たちなのではないかと思う。他人事みたいな言い方で申し訳ないけど、まあ、私にとって他人事は他人事でしかないのでね。

印象的だった箇所を抜粋したい気持ちもあったのだけど、ここに関してはやっぱり、原書であれ訳書であれ、本を買って直接ロビーの言葉に触れてもらうのが一番いいのではないかと思う。以下は後から読み返す時のための自分のためのメモ用として、各章ごとにあらすじだけを記載します。

第13章

  • ディランからの出演オファー
  • ニューヨークでの最初の共演。(ホークスからロビーとリヴォンが参加)。いきなりブーイングに迎え撃たれる。
  • 息付く間もなくロサンゼルスのハリウッド·ボウルでの共演。反応はいくらかマシだった。ロビーはここで、ディランのバックバンドへのブーイングは「お約束」みたいなものだと看破し、それからは気にならなくなったと書いている。
  • ロサンゼルスでの公演後、「ホークスを丸ごとバックバンドに雇ってほしい。さもなくば今後は共演できない」とロビーの方からディランに申し出る。ディラン、トロントまでホークスの演奏を見に来て、その場で「一緒にツアーをしよう」という話がまとまる。翌日、ミネソタから出てきたディランの母親と、ディランの恋人のサラさんを含め、みんなで昼食をとる。ディランにこの時お気に入りのトロントの仕立て屋を紹介してやったことを、ロビーはかなり後まで自慢している。
  • マリファナ密輸の嫌疑でメンバー全員が逮捕された前章の事件に関し、マリファナを直接所持していたリックに執行猶予判決、残りのメンバーに無罪判決が降りる。これで「晴れて」ディランとのツアーに出られるとなったところで、次章に続く。

第14章

  • 貸し切りジェットでのツアーが始まる。面子はディラン、ホークス、アルバート·グロスマン、ボビー·ニューワース。最初のツアー先はテキサス州のオースティン市営体育館。ホークスにとっては大スタジアムでの初舞台となる。
  • 翌日はダラス。この街でJFKが暗殺されてからまだ2年しか経っておらず、緊張したと書かれている。
  • 数日おいて今度はニューヨークのカーネギーホール。経験したこともないような大会場で経験したこともないような大ブーイングを受け、強烈な印象を残す。
  • マイク·ブルームフィールドからマリファナをちょろまかしたアフターケアのエピソード。
  • それから1965年の暮れにかけて、2ヶ月間にわたるツアーの日々。地元のトロントでもブーイングを受け、「三流バンド」などと雑誌に書かれ、ヘコむ。
  • ロビー、ディランやアルバート·グロスマン、ボビー·ニューワースとの個人的な親交を深めてゆくが、リヴォンはそれに溶け込まず、関係がギクシャクし始める。他のメンバーは新しく始まった毎日をけっこう楽しんでいたように書かれている。まあ、そうだったのだと思う。
  • ロビー、ディランとサラさんとの結婚の媒酌人をつとめる。
  • 1965年の11月の終わり、ニューヨークで、リヴォンがロビーにだけツアーを抜けると言い残し、長距離バスに乗ってアーカンソーに帰ってゆく。その後ろ姿を見送るロビーの心の中では「This train don't stop here no more, this train. This train is bound for groly, this train」というフレーズが踊っていたとある。調べてみたところ古いゴスペルソングの一節らしいが、明らかにブルーハーツの「Train-Train」の「元歌」である。

第15章

  • 翌朝、他のメンバーにリヴォンが旅立ったことを伝えるが、みんな大してショックを受けてない感じだったのでビックリした。と書かれているのだが、こういう書き方で自分が人一倍ナイーブな感受性の持ち主であることをことさらにアピールしようとするこの人のやり口が、そろそろ私は鼻につきだしている。
  • 代わりのドラマーにボビー·グレッグを迎え、ツアーはシアトルからサンフランシスコへ。アレン·ギンズバーグをはじめとしたディランの仲間のビート詩人たちに出会う。
  • ハリウッドではバーズのデイヴィッド·クロスビーが訪ねてきて、ビートルズの話ばかりして帰る。ここではフィル·スペクターからも接触があったらしい。
  • アルバート·グロスマンとロス市警とのやりとり。当時の西海岸の文化をめぐる興味深い記述(←完全に私のためのメモ)
  • 1965年のクリスマスの直前にニューヨークに戻り、年越し。65年は映画の当たり年だったとのことで、ロビーは休み中に映画を見まくったと書いてある。
  • 新ドラマーにサンディ·コニコフを迎え、2月から新たなツアーが始まる。この頃、ロビーはリチャードを相手に「自分の夢の話」をするのが大好きだったと書かれていたのが印象的だった。いつも「聞き役」だったリチャードは、どんなことを考えていたのだろう。
  • ニューヨーク滞在中に知り合った女性を通じて、ヴェルヴェット·アンダーグラウンド&ニコのステージを見に行ったエピソードが出てくる。何か、もう、当時の有名人は誰でも出てくる。
  • ツアーの合間を縫って、ディランはナッシュビルでアルバム「Blonde On Blonde」を録音する。ホークスからはこの時ロビーだけが同行しており、録音やジャケット写真の選定をめぐっていろんなエピソードが書かれている。「Obviously Five Bilievers」という曲名に「Obviously」が入ったキッカケは、ロビーが作ったらしい。
  • 何度目かのロサンゼルス。バーズのジム·マッギンが「霧の8マイル」を聞かせにきた話。空港で、ベトナムから送還されてきた無数の兵士たちの死体の詰まったコンテナを目撃してしまった話。
  • ドラマーがさらにミッキー·ジョーンズに交替。
  • いなくなったリヴォンが初めて訪ねてきて、世間話をする。
  • マーロン·ブランドと会食した話。
  • 北米ツアーが終了。

第16章

  • ワールドツアーが開始。最初に着いたのはホノルル。ガースはしょっぱなから観光に夢中で、空港に着くなり「誰か一緒にパール·ハーバーに行きたい人?」と言ったらしいが、誰もそのノリにはついて行けなかったらしい。
  • ハワイからオーストラリアへは14時間。シドニーではマスコミに悪く書かれたり、麻薬の捜査官に踏み込まれてスタッフの一人が帰国を余儀なくされたり、いろんなことが起こる。
  • オーストラリア西海岸のパースから、次のツアー先のスウェーデンのストックホルムに直行。超長距離のフライトにメンバーは疲れきる。
  • ツアーはデンマークからアイルランドへ。ベルファストでの公演あたりから、ロビーにはディランの体調が気になり出す。この頃になるとディランは食事も喉を通らず、クスリだけの力で体を動かしている状態だったらしい。何とかしてボブを護らなければという使命感のようなものが生まれたと書いてある。
  • ツアーがウェールズからイングランドに入ると、イギリスの観客はアメリカの影響をもろに受けているもので、ブーイングも物凄くなってくる。リバプールでのステージでは、ギターをいつでも持ち替えて「武器」にすることができるように、テレキャスターのストラップを調整していたとある。しかしブーイングが高まれば高まるほどに、演奏は素晴らしくなっていったとも書かれている。この辺になると、読んでいる方も熱に浮かされたようになってくる。
  • マンチェスターのフリー·トレード·ホールでの公演。後に「ロイヤル·アルバート·ホール」という間違った会場名で海賊版が出回ってしまうのだが、観客席から「ユダ!」という声が上がり、ディランが「お前の言うことなんて信じない」と返したという有名なステージである。その様子も克明に、誇らしく、再現されている。
  • ロンドン滞在中にはブライアン·ジョーンズとキース·リチャーズが訪ねてくる。
  • さらにツアーはパリへ。ここでロビーは後の結婚相手のドミニクさんと出会う。彼女はフランスの音楽シーンを取材しにきたカナダのジャーナリストで、「カナダから来たの?僕も!」とロビーは有頂天になるのだが、彼女の方はフランス語を話す地域のカナダ人だったもので、特段ロビーに「なつかしさ」は感じなかったらしい。ともあれこの出会いのエピソード以降、ドミニクさんが出てくるあらゆる場面でのロビーのノロケっぷりは、私のごとく一回も結婚した経験を持たない人間まで幸せな気持ちにさせてしまうぐらいである。
  • ツアーは再びロンドンに戻り、今度はここでビートルズと会う。アルバム「リボルバー」が出たばかりの頃で、そこに使われている音の作り方についてロビーはメンバーの一人一人とかなり突っ込んだ話を交わしている。吹かしも入ってるのだろうが、やっぱり、うらやましい。
  • ヨーロッパ公演の最終日、ロンドンのロイヤル·アルバート·ホールでの公演は、それまでで最大のブーイングに迎え撃たれることになる。ここに書かれているエピソードは、そのいちいちがカッコいい。「バンドを引っ込めてアコースティックをやれ」と野次られたディランは、「That was then, This is now」と言い返し、マイクに向かって思い切りシャウトする。最後の「Like A Rolling Stone」を歌う彼の姿は、15ラウンドの激しい打ち合いを経てなおも倒れずに立ち続けるプロボクサーのようだったという。
  • ショーが終わり、全員が車に飛び乗ってホテルに戻る。「ブーイングなんて問題じゃない。問題は音楽だ」というビートルズからのメッセージが届けられ、ディランはそれに対してゆっくりとうなずいたとある。もう、何か、力石を見るようである。
  • ロビーとリックが部屋に戻ると、ディランのマネージャーのアルバート·グロスマンから「すぐに来てくれ」と電話が入る。行ってみるとディランが完全に意識を失ってベッドの上に倒れている。服のカラーをゆるめ、「You okay? You okay, man?」と呼びかけるも、返事がない。とにかく、何とかして風呂に入れてやろうということになり、二人でバスタブに運んで行くのだが、ディランはムニャムニャ言いながら沈んでしまう。そこへビートルズが友達を連れてノン気に遊びに来たり、ルームサービスがやって来たり、もう、めちゃめちゃなことになる。沈んでブクブクしているディランを引きずり出し、ビートルズにはお引き取り願い、ディランの体をタオルでくるんでベッドに横たえたところで、ロビーは彼の顔に微笑を見る。

This was rock'n'roll, after all, and show must go on...

…今回ばかりは、ウソつきのロビーとディランに感動させられてしまった。むかつく話である。なお、帰国の際、メンバーの中でガースだけは古式ゆかしい船旅を選んだらしい。いかにもな話である。

それにつけても、話はまだザ·バンドのデビューにさえ至っていないのに、本の続きはあと半分を残すだけになってしまった。これは、ラストワルツ以降の話は、多分ほとんど書かれてないな。というわけでまたいずれ。