華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

ロビー·ロバートソン自伝「Testimony」読書ノート #21

#17〜20 Testimony#22

  • 自分が壊した何台目かのクルマの前で、ゴールドディスクをかざしてポーズをとるリチャード

ドミニクさんとの結婚式の数日後、ロビーが母親をトロントに送って帰ってニューヨークに戻ってみると、なぜかみんなの雰囲気がピリピリしている。何が起こったのか聞いてみると

リヴォンの昔の彼女が来たのでみんなでビッグピンクに行こうという話になりリチャードはドミニクさんにロビーのクルマを運転しても構わないかと尋ねドミニクさんは別に構わないけどと答えてそしたらリチャードはものすごいスピードでクルマを走らせ始め辺りも暗くなってきてるし大丈夫なのかとドミニクさんが聞いたら俺の眼はヤマネコなみだとリチャードが答えちょうどその瞬間カーブを曲がりきれなくなってクルマは引っくり返りドミニクさんは車外に投げ出され警察が来たけどリチャードは免許証を携帯しておらずドミニクさんの免許は失効していてドミニクさんが慣れない英語であれこれ言ってるところにリチャードと競争する気満々だったリヴォンのクルマが突っ込んできて一人目の警官はうまくかわしたのだけど二人目を轢きそうになってしまって激昂した警官はリヴォンをクルマから引きずり出してみんなが州裁判所に連行されてアルバート·グロスマンが手を回して何とか出てくることができたのだけどその日はまさに(ウソや冗談を言っても構わないとされている)4月1日だった

というのだった。そしてこの事件から3日後の1968年4月3日にはマーティン·ルーサー·キング牧師が暗殺され、さらに2ヶ月後にはロバート·ケネディが暗殺されるという、ショッキングな出来事が相次いで起こる。「This was turning out to be a life-changing period of time (それは人生の曲がり角にあたる時期だったのだということが、だんだんと明らかになりつつあった」とロビーは綴っている。不気味な伏線である。もっとも、リヴォンの自伝における同じ時期の回想が下のような感じであることは、確認しておいてもムダにはならないだろう。

リチャード・マニュエルとぼくは、ビッグ・ピンクの隣にある広くて平坦な草原をレンタ・カーで走るのが好きだった。そこで車の性能を試して楽しんだ。まず初めに8の字を描いたり、速いスピードで車にダンスを踊らせたりする。つぎにぼくが草原の片方の端に行き、リチヤードが反対側の端に行き、そして相手にむかって疾走する。相手の車がすぐそばに来たら、ブレーキを踏んでアクセルをちょっとだけふかすと、ふたつの車が急停止し、そしておじぎをしあう。スクエア・ダンスのはじまりのように!

…そしてこの文章に続いて上記の事件のエピソードが綴られているのだけれど、どちらかと言えば「警官と大立ち回りを演じた痛快な出来事」として記録されており、反省している感じは微塵もない。ロビーの自伝にはリヴォンがそのとき警官に何発入れたかといったようなことは全く書かれていないのだけど、一方でリヴォンの自伝にはこの時ドミニクさんは死にかけたのだという「大事なこと」が全く書かれていない。葉踏舎のマリノさんではないけれど、ザ·バンドの中で「サテュロス」でなかったのはロビーだけだったのだろうな、とつくづく思う。そして「スレ違いの芽」はこの頃から既に生まれていたのだろうなと、改めて感じる。



「ミュージック·フロム·ビッグ·ピンク」はとりわけミュージシャン仲間の間で興奮をもって受け入れられ、ロビーは鼻高々である。ジョージ·ハリスンに絶賛されたこと、エリック·クラプトンがわざわざ会いに来たこと、余すところなく綴られている。キャピトル·レコードはロサンゼルスの会社なものだから、カネと化石燃料を湯水のように使って東海岸と西海岸を行ったり来たりするセレブな生活が開始される。今は亡くなってしまった枝雀師匠の下の噺でも聞いて少しは頭を冷やしたらどうかと言いたくなってくるぐらいである。


桂枝雀 いたりきたり

ドミニクさんが妊娠し、ロビーはもっと大きな家に引っ越さねばならなくなる。また他のメンバーたちも、「ビッグ·ピンク」がレコードジャケットになって有名になってしまった以上、プライバシーを守りたければどこか他所に引っ越すことを余儀なくされる。当たり前である。アルバム名を決める時点で考えなかったのだろうか。て言っか、売る気、なかったのだろうか。

引っ越した先では野良猫と野良アライグマと野良コウモリとの格闘が日常となり、その描写にほとんど丸々1ページが費やされている。まあ、こういうのは、嫌いではない。リヴォンの自伝で一番面白かった、交通事故に遭ったシカを肉にして持ち帰るためにリックがみんなに電話をかけてきたエピソードもここに綴られている。まだまだこの頃は、「幸せな時代」だったのだろうなと感じる。

だがしかし、アブク銭を手にしてしまった「ロビーとガース以外」のメンバーの悪ノリは悪い方へ悪い方へとエスカレートし、レコードデビューの直後には、リックがクラシック·カーで大木に突っ込んで首と背骨を損傷する大ケガを負う。「ビッグ·ピンク」発売に伴うツアーの計画はこれで全てキャンセルとなった。この事故のことを公表したくなかったロビーは、「ビッグ·ピンク」に関するメディアのインタビューを一切受け付けないことを決め、そのことで「ザ·バンド」に対する世間のイメージは一層ミステリアスなものとなる。この頃からして既に「綱渡り」だったのだなと思う。

幸いリックは順調に回復し、付きっきりで看病してくれた彼女のグレイスさんとの結婚も決まる。次のアルバムに向けた曲作りも始まるのだが、その中でロビーがリチャードと共作した曲として最初に名前が挙がっていたのが「When You Awake」だったことは、私にとって印象的だった。

この時期、アルバート·グロスマンから「楽曲の著作権料の配分をどうするか」という話があったことも言及されており、ロビーはそれに対してメンバー全員で等分したいと答えたとか、世話になったディランにも当然権利があると答えたとか、いろいろ美しいことが書かれているのだけれど、どうだったのだろう。読みながら私の脳裏には、「銀河英雄伝説」に出てくる悪い政治家のトリューニヒトさんだとか、「ハンターハンター」に出てくる悪い政治家のパリストンさんだとか、そういう人物の顔がチラついて仕方なかった。ロビーという人の人物像には、絶対そういうのと重なる感じが、言っちゃあ何だけど、ある気がする。



一方、ドミニクさんという結婚相手にロビーがどんなにメロメロだったかという点については、誇張はあってもウソはないと思う。フランス語の歌の歌詞の作りの素晴らしさを口移しで教えてもらったり、出産に備えて一緒にラマーズ法を勉強したり、こういうノロケ話を基本的に私は嫌いではない。いいノロケ話にはいいラブソングと同じくらいに、人を幸せにする力があるものだ。ただし「タチの悪いノロケ話」ほど人の心をささくれ立たせるものもないと思うわけで、そういうのは大抵「相手ではなく自分のことが好きなのだということしか伝わってこないノロケ話」である。ノロケ話が好きな人は、参考にされたい。

自分の言葉(フランス語)が通じない世界で子どもなんて産めるわけがないというドミニクさんの主張で、2人はケベック州モントリオールの彼女の実家に移る手筈を整える。「The Night They Drove Old Dixie Down」の曲想がロビーの中に湧きあがったのは、何もかもが「母体最優先」で進められるそうした一番デリケートな時期の出来事だったのだという。この下りばかりは私にとって一番特別な曲なので、原文をそのまま転載しておきたい。

Around this time, there was a chord progression and melody rumbling through my head, but I didn't know yet what the song was about. I played it on the piano one day for Levon. He liked the way it stopped and started, free of tempo. I flashed back to when he first took me to meet his parents in Marvell, Arkansas, and his daddy said, "Don't worry, Robin-the South is going to rise again." I told Levon I wanted to write lyrics about the Civil War from a southern family's point of view. "Don't mention Abraham Lincoln in the lyrics" was his only advice. "That won't go down too well."' I asked him to drive me to the Woodstock library so I could do a little research on the Confederacy They didn't teach that stuff in Canadian schools.
ちょうどこの頃、頭の中でぐるぐるしているコード進行とメロディがあったのだけど、それが何についての歌なのか、私にはまだ分からなかった。私はある日、それをピアノでリヴォンに弾いてみせた。自由なテンポで止まったり始まったりするその感じを、彼は気に入ってくれた。リヴォンが初めて自分をアーカンソー州マーヴェルに連れて行ってくれて、彼の両親に会わせてくれた時、リヴォンの父親の言った言葉が私の脳裏に閃いた。「心配することはないぜ。ロビン。南部の時代はまたやってくる」…。私はリヴォンに、南部の家族の視点から見た南北戦争の歌詞を書きたいと言ってみた。「歌詞の中でアブラハム·リンカーンのことには触れない方がいい」というのが彼の唯一のアドバイスだった。「きっと、よく思われないからな」。私はリヴォンに、南部連合のことについて調べものをするため、ウッドストックの図書館に連れて行ってくれるよう頼んだ。カナダの学校では、そのあたりのことは何も教えてくれなかったのだ。

When I conjured up a story about Virgil Caine and his kin against this historical backdrop, the song came to life for me. Though I did stop and wonder, Can I get away with this? You call this rock 'n' roll?
その歴史的背景に立ち向かうヴァージル·ケインとその一族の物語が私の中に呼び起こされた時、歌は生命をもって私の前に立ち現れた。しかしながら私は、立ち止まって自問せずにはいられなかった。こんなの、許されるんだろうか?これってロックンロールなんだろうか?多分おそらく、そうなんだ!

…「リンカーンの名前には触れない方がいい」というリヴォンのアドバイスが、「南部ではリンカーンは嫌われているからよく思われない(won't go down too well)」なのか、「リンカーンを敵に回すような歌詞を書いたらアメリカ社会では一般的に受け入れられない」という意味なのかは、文脈的には私にはハッキリ判断できない。また「Can I get away with this?」と自問するロビーの「get away with」の中身にも、

~を持ち逃げする、~でその場を切り抜ける[うまく逃れる・やり過ごす]、~を見つからずにやってのける、〔悪いことをしたのに〕何の罰も受けないで済む、罰を逃れる、~にうまく成功する、いんちきが通用する、許される、逃げきる、まかり通る

等々といったかなり多様な幅がある。しかし上記の引用が、「Old Dixie Down」という曲についてその原作者の手で書かれた最も重要なコメントであるということは、言をまたないと思う。

1968年12月、モントリオールのドミニクさんの実家に移って間もなく、ロビーは強烈な腹痛に襲われる。医者に行くと「脾臓が肥大化しており、刺激を与えると破裂するかもしれない。出産に立ち会うことは薦められない」と怖いことを言われる。家に帰ってドミニクさんに打ち明けると、何言ってるのか分からないという感じで、「誰が爆発するにしたって、この子が早く生まれてくれないと爆発するのは私よ」と、キツいことを言われる。悪いけど、傍目で見ている分には本当に面白いコメディである。

12月26日、ドミニクさんが破水し、ロビーも彼女の両親も慌てふためいて彼女を連れ出し、雪と氷に閉ざされた道を病院に向かう。人生で一番興奮する瞬間であるにも関わらず脾臓のことを忘れられないロビーは、どうしたかというと、

I was trying to project my best Zen attitude
私は自分にとって最高の禅的ふるまいを発現させていた

のだという。何かもう、声を出して笑ってしまった。意味が分からなくて。

病院の人が喋る言葉はみんなフランス語で訳が分からず、自分の手を握りしめて離さないドミニクさんは「Holy fucking hell, I can't! I can't! It's killing me!」等々とドミニクさんと思えないぐらいエグい言葉遣いで叫びまくり、自分の脾臓もいつ破裂するか分からないという極限的な混乱の中で、2人の長女のアレクサンドラちゃんは無事に産み落とされた。三人になったロバートソンファミリーは、モントリオールの寒さから抜け出して健康を回復させるため、そそくさとハワイに向かったのだという。この辺になると、もう、勝手にしてほしいと思う。なお、「Unfaithful Servant」は、そのハワイ滞在中に書かれた曲だったとのことである。



ビッグ·ピンクという「隠れ家」を失ったかれらのため、ロード·マネージャーのジョン·タプリンはハリウッドの一角にサミー·デイヴィス·ジュニアが所有するプールつきの家を見つけだし、そこをザ·バンドの新たな録音スタジオに改造する新たなプロジェクトが急ピッチで進行していた。またしてもカネと化石燃料を湯水のように使い、ニューヨークから西海岸に機材が運ばれてくる。ガースとリヴォンは早急にそこに移り、リックとリチャードも彼女を連れて移り住み、さらに孫の面倒を見るためにママ·コッシュまでやってきたところで、子連れのロビーがハワイから合流し、セカンドアルバム「The Band」のレコーディング作業が開始される。さらにそこにヴァン·モリソンが遊びに来たり、デニス·ホッパーとピーター·フォンダが映画「イージー·ライダー」で「The Weight」を使わせてほしいと訪ねてきたり、本当にいろんなことが起こるのだが、もはやとても追いかけていられない。

そしてビル·グラハムが主催するサンフランシスコはウインターランドでの初ライブを目前にして、ロビーはついにぶっ倒れる。空気が抜けた風船のようになってしまい、食事も喉を通らない。ライブのことを考えると死にそうになる。これが「ステージフライト」ってやつなのか?アルバート·グロスマンはライブをキャンセルできないかと提案するが、ビル·グラハムは「Show must go on」とニベもない。ラストワルツをプロデュースしたのもこの人なのだけど、そういう人だったのだな。

やつれてゆくロビーの前に、2人はフランスの高名な催眠術師であるピエール·クレメントという人物を連れてくる。その人が額に手を当ててくれると、不思議なものでスープが飲めるようになった。これなら行けそうだということで何とかステージに立つのだが、当時流行していたアメーバみたいなやつがグニャグニャする様子をスクリーンに投影するサイケデリックな舞台装置を見て、また気分が悪くなる。私も「ドアーズ」の映画で見たことがあるけど、あれは、気持ち悪くなると思う。そして何とか40分だけやり終えて逃げるようにステージを降りたところで、この章は終わっている。これからこの人たちはどうなってしまうのだろうか。大体知ってるわけだけど。ではまたいずれ。