華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

ロビー·ロバートソン自伝「Testimony」読書ノート #7.

#6 Testimony#8

  • ロニー·ホーキンスに煽られながら演奏するロビー。右肘が完全に、後年のスタイルだ。

Many southern rockabilly bands had a fondness for uppers-bennies dexies, black beauties, take your pick. "Diet pills" they called them, because they suppressed your appetite. They made you talk a lot, set your heart pounding, and could make sex ifty for men. If you were a smoker on these "pep pills," you hated to put one out. They were also known as truck driver pills, for overnight long hauls. As a road band, constantly on the move, we found them handy for getting to the next job.
多くの南部のロカビリーバンドは、「アッパー系」の薬物に対する好みを持っていた。べニー、ディキシー、ブラック·ビューティ…お好きなものをどうぞ、といった感じだ。それらは食欲を抑制する効果があることから、「ダイエット·ピル」と呼ばれていた。やるとお喋りになり、心臓がドキドキし、男だと時々セックスがうまく行かなくなる。この手の「元気薬」にタバコと一緒に火をつけると、消すのが辛くなる。こうした薬は、徹夜で長距離輸送に携わっているトラックドライバーのための薬としても知られている。旅回りのバンドとしていつも動き回っていた我々は、そうした薬がそれぞれの場所で仕事に取りかかるにあたり、とても重宝なものであることを知った。

The sixties had rolled in and with them the counterculture quest for expanded consciousness. Like most musicians, we were ready our curiosity in tow. Some of the rounders who frequented the clubs had pot connections, and of course the jazz cats always knew where to find a hookup. Levon couldn't wait to try marijuana and went on the hunt. You had to be careful whom you confided in, though; back then the authorities considered pot no different from hard drugs. The consequences of getting busted could be disastrous, especially for bands sequ like ours that had to repeatedly cross the border.
60年代に入ると同時に、カウンターカルチャーによる「意識の領域の拡大」への探求も、堰を切ったように開始された。他のミュージシャンたちと同じように、我々も「tow (麻くず)」に興味を持つことにやぶさかではなかった。クラブの常連の酔っ払いたちの中には「ポット·コネクション(マリファナを手に入れるためのコネ)」を持っている連中が何人かいたし、また言うまでもなくジャズ·キャッツ(ジャズ好き)たちは、どこにいけば売人を見つけることができるかをいつでも知っていた。リヴォンはマリファナを試すチャンスが回ってくるのを待ちきれなくて、こちらから探しに出かけた。とはいえ、誰を信用していいかということについては、充分に気をつけなければならない。当時、公権力はマリファナをハード·ドラッグと何も変わらないものだと見なしていた。もしも捕まったら結果は大変なことになる。とりわけ、我々のように国境をしょっちゅう行ったり来たりしなければならない立場のバンドの人間にとってはだ。

…第7章はのっけからこんな文章で始まるのだが、あかんあかん。あかんよ。こんな話。冷静かつ客観的な筆致で書いてあればいいというものではない。しかも肝心な部分で「リヴォンは…」と死んだ人の名前を主語にするなんて、この人はどれだけ、あかんことをやってくれているのだろう。

あかん話は止まらない。ほどなくロビーとリヴォンはトロントのコンコルド·タバーンというクラブでコニー·Bというニックネームの年上女性と知り合い、この人を通じてマリファナを初体験する。それからというもの、この3人は毎晩演奏が終わるたびにツルんで煙を吹かしてヘラヘラしているような体たらくになる。酒もタバコもやらないロニー·ホーキンスがこれを見とがめると、「あんた、これを試さないなんて、絶対人生を損してる」とリヴォンが逆襲する。乗せられてフラフラになって寝室に引っ込んだロニーは、翌朝になると大興奮している。

「テクニカラー(総天然色)の夢を見た!止まらなかった!朝までずっと、生まれてから一度も見たことがないようなものを見てた!」

…何という、あかん人たちなのだろう。て言っかこの頃の人たちって、夢までモノクロ映像で見るのが普通だったのだろうか。

Late one night, Levon and I decided to turn Rick and Richard on, up in their rooms on the third floor of Mama Kosh's. After we passed around a joint and Levon ate the cocktail, the usual giggling and cackling ensued. Pretty soon my mother called up the stairs from the second floor, "Stop all that noise up there, or I'm gonna come up there with a broom!"
ある晩遅く、リヴォンと私は、ママ·コッシュのアパートの上の階のリックとリチャードも仲間に加えることに決めた。ジョイントを回し、リヴォンはカクテル(大麻入りのタバコ?)をやって、しばらくするといつものクスクス笑いとハジけた気分が襲ってきた。と、ちょうどその時、私の母親が下の2階から叫んだ。「ゴソゴソするのやめなさい!さもないと、ホウキ持ってそっちに上がってくよ!」

That just made it worse. We were falling apart, crying with laughter, burying our faces into pillows and blankets to muffle the sound. Richard laughed so hard he nearly peed himself. Finally we all managed to bring it back to a whisper. "Okay, Ma," I called back. "We were telling a joke. We're gonna step out for a snack anyway. Sorry for the racket."
これがいけなかった。我々は完全に、壊れてしまった。泣きながら笑っていた。音を立てないように、枕と毛布に必死で顔を埋めていた。リチャードはあまりに笑いすぎて、小便を漏らしそうになっていた。しばらくしてようやく我々は、ひそひそ話ができるくらいに立ち直った。「わかったよ、母さん」と私が答えた。「ちょっと、ジョークを言い合ってたんだ。とりあえず、これからちょっと出かけて何か食べてくることにするよ。ラケット(大騒ぎ)やらかしてごめん」。

"It's not racket time," Levon whispered, and we all buried our faces in the pillows again. The four of us slipped as quietly as we could down the stairs and out the front door, headed for the closest all-night doughnut shop. Rick and Richard were the perfect stoner brothers. They laughed harder and more often than anybody around. "Business Bill," our road manager, would go up to that doughnut shop counter too and say, "I would like to order six creamy maple," then fall to his knees laughing and have to turn his back until he pulled it together.
「ラケット·タイム、なしよ」とリヴォンがささやいた。それで我々はまた枕に顔を埋めてしまった。我々4人はできるだけ音を立てないように階段を降り、一番近くにあった24時間営業のドーナツ屋に向かった。リックとリチャードは完璧なラリリ兄弟だった。二人はほとんどの場合、周りの誰よりもでかい声で笑っていた。我々のロードマネージャーの「ビジネス·ビル」も同じドーナツ屋にやって来て、「クリーミーメープルを6つお願いします」と言うが早いか、笑いながらその場に膝をついてしまい、立ち直るまでずっと、後ろを向いていなければならなかった。

…なげかわしい。なげかわシーサイドホテル本日開業である。どれだけ、あかんやつらなのだ。ホークスではステージでロニーが「It's showtime!」と言う代わりに「It's racket time!」と言うのが名物的な決め台詞になっていたらしく、それがリヴォンの「It's not racket time」という発言につながっているのだと思われるのだが、こんなもん、何が面白いかなんて誰にも説明できるわけないじゃないか。

Garth and Jerry were older, and their jazz backgrounds had given them a measure of cool we still lacked; they just blurted out random, strange, poetic lines that no one understood.
ガースとジェリー(ホーンセクションの新メンバー)は年長で、そのジャズ的なバックグラウンドが、我々に欠けていた一定のクールさを2人に与えていた。彼らは(トリップ時には)他人に理解できない不思議で詩的な言葉を、少しばかり口走る程度だった。

Garth was in many ways an enigma. He had narcolepsy and could fall asleep at any time, and maybe because of that he lived a unique lifestyle. Some of his habits were unusual, to say the least. He claimed he didn't sweat, no matter how hot it got. He would buy orange juice but wait for two days to drink it until all the pulp had sunk to the bottom. He would eat around the seeds of a tomato. Ronnie found it all downright strange, but he could tolerate it because Garth was such an incredible musician. He could've been playing with the Toronto Symphony Orchestra or with Miles Davis, but he was with us, and we were lucky to have him. Levon had tremendous respect for Garth as a musician, so when it came to any weirdness, he just looked the other way .
ガースという人は多くの面で、謎だった。彼にはナルコレプシーの気味があり、どんな時でも眠ることができて、恐らくそのことが、彼のライフスタイルをユニークなものにしていた。彼が習慣にしていたいくつかのことも、控えめに言って、普通ではなかった。彼はどれだけ暑くても、汗をかかないのだと言っていた。彼はよくオレンジジュースを買っていたが、2日間待ってオレンジのカスが全部沈殿してしまうまで、飲まなかった。トマトを食べる時には種の周りしか食べなかった。ロニーはそれを完璧に奇妙だと思っていたが、ガマンしていた。ガースというのは本当に信じられないようなミュージシャンだったからだ。彼はトロント·シンフォニー・オーケストラやマイルス·デイヴィスと一緒に演奏することだってできたにも関わらず、我々と一緒にいた。我々はラッキーだったのだ。リヴォンはミュージシャンとして、ガースにとてつもない敬意を払っていた。だから風変わりさの話になると、そこは見て見ぬふりをしていた。

…さすがにガースになると一味ちがう、とか思ってしまうが、それでも、やることはやってたわけである。あかんあかん。ごまかされとったらあきませんよ。

時は1961年。世界史的にはアメリカによるベトナムへの軍事介入が本格化しつつあり、アメリカ人であるリヴォンには徴兵の危機が迫っていた。しかしながら「really really (本当に本当に)」戦争に行きたくなかったリヴォンは、いざとなった時にはロビーを介添人にコニー·Bさんと偽装結婚式をあげ、カナダ国籍をとって徴兵逃れをやる計画を立てる。いいぞ。がんばれリヴォン。

そんな折も折、ホークスはニューヨークのルーレット·レコードのヘンリー·グローヴァーというプロデューサーのもとで、新しいレコードを録音することになる。ヘンリーはそれまで、ジェームズ·ブラウンやレイ·チャールズのレコーディングを手がけてきた人物だ。ロビーは大興奮である。レコーディングはいい感じで進み、またリヴォンからヘンリーに自分を「こいつ、歌を書くんです」と紹介されたりして、かなり舞い上がる。「考えてみれば」とロビーは綴っている。「私はそれまでギターを弾きながら歌うことにばかり夢中で、歌を書くことについてはほとんど考えていなかった」。

しかしガースのおかげで聞く音楽の幅も広がり…的な感じで文章は続いているのだが、私が興味深く感じたのは「I couldn't help being a song person (私は歌うのに夢中だった)」という言葉がここでロビー自身の口から出てきた点である。周知のようにザ·バンドの活動期間のほとんどを通じて、ロビーという人はほとんど「歌って」いない。けれどもラストワルツを初めいろんなライブ映像を見てみると、この人ほど「歌うのが好きそうな人」もほとんどいない。歌のうまいリヴォンの自伝には「ロビーのマイクはいつもボリュームを落としてあった」などと悪意のあることを書かれていたけれど、やっぱりこの人は「歌うことが大好きな人」だったのだ。それを確認できただけでも、何だかうれしい気持ちになった。

約2週間のニューヨーク滞在中には、いろんなことが起こる。当時、シャープな新しいスーツを着ていたロビーにはその外見から「デューク(公爵)」というアダ名がついていたらしいのだが(と、自分で言っている)、その彼とリヴォンがある夜、ホテルでソングライターのドック·ポーマスと出くわす。「ラストダンスは私に」を作った人だ。「よおロビー、いかした布切れ着てるじゃないか」と声をかけてきたポーマスに、「だからこいつ、デュークって言うんすよ」とリヴォンが代わって答え、「ところで、この辺だとどこで葉っぱが手に入るか、教えてもらえません?」と質問する。あかんやつらである。

「それなら」とポーマスはフツーに教えてくれる。709号室にドリスという女性がいる。葉っぱ、クスリ、何でも売ってる。部屋に電話をかけて、二人行くからって伝えといてやろう。「By the way」と彼氏は付け加える。「その子、レイ·チャールズの彼女なんだ」。

…それでそのドリスさんと会って、なぜか気に入られたロビーはレイ·チャールズのレコーディング現場に連れて行ってもらったりするのだが、この辺、あまりにも話が目まぐるしく、かつシュールなので、要約して紹介することにあんまり意味があるとは思えない。詳しいエピソードを知りたい方はぜひ原書を参照されたい。

またある夜には、伝説のジャズクラブ、バードランドで、ジョン·コルトレーンと同じ日に演奏する幸運に巡り会う。ロビーもリヴォンも大興奮だ。(←今回3度目の大興奮。何か、私、疲れてきてるらしい)。そのコルトレーンのステージの印象を綴った文章は、原文を引用する価値充分だと思う。

When Coltrane and his band took the stand, they kicked into some of the most angry, powerful, strident jazz I'd ever heard. The stage lighting made Elvin Jones, the drummer, look like a demonic octopus, and he wailed with Trane like they were speaking a secret language. Coltrane didn't address the audience. Half the time he played facing his band. You could feel his rage all over the wall. I had never wit- nessed a more antishowbiz stage performance. It felt like they had an ultracool, long-distance connection, and I swam in it.
コルトレーンとそのバンドは、ステージに立つやいなや、私がそれまでに聞いた中で最も怒りに満ちた、力強くけたたましいジャズを演奏し始めた。ステージライトはドラマーのエルヴィン·ジョーンズを悪魔的な蛸のように浮かび上がらせ、そして彼は秘密の言語で会話をするかのように、トレーンに合わせて泣き叫ぶような音を出していた。コルトレーンは、観客の方を見なかった。演奏の半分の時間、彼はバンドの方を向いて演奏していた。その「壁(←心理的な?)」に、誰もが彼の怒りを感じたことだろう。私は未だかつて、あれほどショービジネスというものにアンチを張ったステージパフォーマンスを見たことがなかった。彼らの間には、それぞれが遠い距離をこえて繋がりあっているようなウルトラクールな結びつきがあることが感じられた。そして私はその中を泳いでいた。

ニューヨーク滞在中、ロビーはトロントのネイティおじさんから、電話で謎のような指示を受ける。「42番街のあるオフィスに行き、ある男から封筒を受け取って、それをタフトホテルのバーにいるある男に渡せ」と言うのだった。絶対、やばい匂いのする話だったが、彼はおじさんのことを信じていたし、役に立ちたいとも思っていた。それで、引き受ける。彼のやらされた仕事は、ネイティがやっていたダイヤモンド関係の取引から思うように配当が回ってこない顧客をなだめるために、当座の現金を渡す、といった内容のものであったらしい。それも、本来ならネイティ本人が顔を見せて説明すべきところを、代理で甥がやって来た、といったような印象を、相手の側には与えたらしい。別に危険な目には遭わなかったのだが、ロビーの心にもおじさんに対する漠然とした不信が生じる。

それで、トロントに戻ったロビーは、ネイティおじさんにストレートな疑問をぶつける。以前、母親と自分が投資したカネはどうなったのか、と。増やしてくれると言ったではないか、と。ネイティはしばらく質問をかわしていたが、やがて「じゃあ然るべきところに連絡するから」と立ち上がる。

そしてロビーの目の前で、公衆電話からどこかに電話をかけ、「もしもし、例の件だけど、すぐに話をつけてほしい。ああ。水曜日にまた連絡するから。じゃあ」みたいなことを言って切る。そしてロビーには「これで水曜日には話がつくから」と言い、クルマに乗る。ロビーも乗る。

クルマに乗ってから何分かして、ロビーが言う。

おれ、入れたコインが戻ってくる音、聞いたよ。電話の向こうには誰もいなかったんだろう。何でそんなこと、するわけ?

…ネイティはクルマを停めた。そして「饒舌な言葉で謝罪した」とある。

「私は、無作法な詐欺師としての役回りを演じなければならないんだ。私の言いたいことは分かるだろう?私は人に弱味を見せるわけには行かないんだ。もしも私が家族に対して自分の弱さを見せてしまったら、そのことで家族の全員を危険にさらすことになる」。

ロビーの心に渦巻いた様々な感情も細かく綴られているが、最終的にこの章は、以下のような言葉で締めくくられている。

このストリート·レッスンは、効いた。私はこの時、自分が求めているのはネイティの世界ではないのだということを知ったのだ。私は音楽をとろう。

…実に何と言うか、要約のしにくい章だった。ロビーはまだ18歳。ではまたいずれ。