華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

万葉集青春ノート 巻第一 (7〜24)

#1Man'yoshuⅠ#3


万葉集巻第一 上古音とされる音韻での朗読の試み

さあ、自分が朗読した「万葉集」の歌の全てに一言ずつコメントを入れて行こうという、勢いで始まったこの試み。「駄作!」とか「しょーもなっ!」とか、最後は本当に一言ずつになってしまう可能性が大だけど、ともかくは続けて行こうと思う。すべては「万葉集だらけの世界」でオトナになった自分自身の青春に決着をつける作業の一環なのである。七首目にして今回はいよいよ「額田王」が登場する。





額田王という人は言うまでもなく「万葉集の中で一番有名な飛鳥時代の女性歌人」だったわけだが、どういう人だったかということはほとんど伝わっていない。それでもって、それについて調べることがこのブログのテーマでもない。

ただ、巻第一を通読してみて気づいたのだけど、この人の歌というのはいつもほとんど「移動中の歌」ばかりである。ある時は滋賀県。ある時は愛媛県。ある時は和歌山県と、非常に忙しい印象を受ける。個人的に旅行が好きだったとか、そういうことはこの時代ではありえたはずがなく、天皇がどこかへ「行幸」するたびにいちいちそれに同行させられたということなわけだが、とにかく「落ち着かない人生を送った人」だったという感じがする。

この最初の歌の舞台も「宇治」である。奈良県と滋賀県の中間点に位置するところで、歩いたらちょうど一日の行程なので、仮宿泊所のような場所がいつも準備されていたのだろうと思われる。「金」と書いて「あき(秋)」と読むのだと言われると本当なのだろうかという気がしてくるが、そういうことにしておこう。

宇治には、近いのに一回しか行ったことがない。平等院に行ったのだけど、周辺の土産物屋が奈良と違ってえらく「洗練」されていたので、別世界に来たような印象があったのを覚えている。あと、宇治川の流れは噂通りにえらく早くて、怖かった。



そして今度は、愛媛県の歌だ。私の父親は高校時代を松山で過ごした人なので、前回ちょっと触れた「瀬戸大橋博」の際には家族でそこまで足を伸ばしたことがあり、この歌にも何かと思い出が深い。道後温泉の裏手に「伊佐爾波神社」というものすごく眺めのいい神社があって、そこにこの歌の歌碑があったことが、石段のしんどさと相まって記憶の中に焼きついている。とにかく奈良には海がないので、海が見えるということはそれだけでテンションの上がることだった。昔の人は、もっとそうだったことだろう。

「平成狸合戦ぽんぽこ」というジブリの映画で、人間に化ける能力を持たないフツーの狸が宅地造成で住処を追われて「死出の旅」に出る時、ナレーションの中にこの歌が引用されていたのを覚えているのだけれど、その後道後温泉を再訪した際、あの建物は「千と千尋の神隠し」のモデルになっていたのだということも知ることになった。宮崎駿という人は、この歌と松山という場所に何かよっぽど「思うところ」があったのだろうかという感じがする。





そんでもってその次が、万葉集の中で最も「難解」とされているこの歌である。4500首もある中でこれだけ「読めない」歌も他にないらしいのだが、それが第一巻の一番初めの方に記載されているというのが、何となくシブい気がする。90年代くらいに、「万葉集」を古代の朝鮮語で解読したら全く違った意味が浮かび上がる、みたいなことがえらくブームになったことがあったけど、その時に取り上げられていたのがこの歌だったのではなかっただろうか。ちゃんと読んでおけばよかった。

一番最初の五文字は「まきえりの」みたいに読めなくもない気がするわけで、「毛皮のマリー」的な女性の姿が頭に浮かんできたりするのだが、たぶん全然違うので読み流して頂きたい。あと、白浜温泉にまつわる歌だということなので「湯気(謁氣)」という単語にも絶対それ的な意味がくっつけてあるのだろうけれど、とにかく素人には何も口の出しようがない。

白浜温泉の浜辺の砂は、本当に白い。





作者が変わる。「中皇命」については前回参照のこと。ここで使われている「知る」という言葉には「支配する」という意味があるらしい。足元に生えている二本の草があなたと私の人生を知る=支配する=象徴するものであるとなぞらえて、それをひとつに結び合わせましょう。ふっふっふ。これであなたはもう離れられない。という歌だということになる。こういうのは、教えてもらえなければ全然わからない。

この歌に出てくる「磐代」は、谷山浩子さんの「テングサの歌」の歌い出しに出てくる「紀勢本線各駅停車南部の次の岩代駅」のあの「岩代」である。人間のいなくなった世界で、その駅のホームに紫色のテングサが転がっている状況を描いたシュールな歌なのだが、何と言うか、いろいろつながってくるものである。


テングサの歌



「小松が下の草」には「若い女性」が寓意されている、と解説書にあったが、知らんがな、という感じがする。「万葉集」の世界では「彼氏」を表す言葉として「背」「背子」が使われ、「彼女」を表す言葉として「妹」「吾妹子」などが使われる。しかし「せこ」という言葉には私にはどうしても「イノシシを追う人」みたいなイメージがある。



和歌山県御坊市の歌。ここには、行ったことがない。歌意としては「私が見たかった野島は見せてくれたけど、私がほしかった真珠の玉はまだ拾ってくれてませんね」ということらしい。「拾え」というわけである。「潜れ」というわけである。あと、この歌が「女性→男性」の歌であるにも関わらず「敬語」が使われていないのは、斉明天皇の歌として中皇命が代作した形式をとっているからだ、と解説書には書かれていた。て言っか「女性→男性」の歌なら「敬語」が使われて「当然」みたいなことをシレッと書くな解説書。なに時代だと思ってやがる。



さて、子どもの頃からずっと気になっていた歌である。原文には「雲根火雄男志」と、どう見たって畝傍山が「男」になぞらえられていることが窺えるような漢字が使われているにも関わらず、なぜかこれを「を愛し」と読んで、「畝傍山=女性」、「耳成/香具山=男性」と説明している解説書が少なからず存在するのである。私が子どもの頃に読んだ本は、全部そうなっていた。

畝傍山を一度でも見たことがある人ならば、そういう発想にはならないはずだと思う。それはまあ、見た目で「男性」か「女性」かを決めつけるというのも問題のある話ではあるけれど、畝傍山は他の二つを合わせたぐらい大きくてゴツゴツしている一方で、耳成山と香具山は見た目からしても「丸っこくてなだらか」なのである。(下の写真の真ん中が、畝傍山)



それなのにどうして「畝傍山が女性」だという発想が出てくることになるのだろう。原文の「つま」と読まれている文字が「オンナ偏の漢字」になっていることが理由なのかもしれない。「つま」は古代では男女を問わず配偶者一般のことを指す言葉だったらしいが、「嬬」と書かれている以上このツマは確かに女性だと考えるのが自然だろう。しかしそれなら「嬬の座を争う」的な解釈も可能なはずである。

いろいろ調べたらこの歌は「天智天皇と(後の)天武天皇と額田王の間の三角関係」を寓意した歌だという説が昔からあり、そう読むためには「男が二人でないと都合が悪い」という話だったらしいことが分かってきた。理由を知ってみると、紙の上だけで組み立てられたしょーもない推論だと思う。とにかく奈良盆地で育った人間の実感として、「畝傍山=女性」説はあまりに「リアリティに欠ける」のである。

…ただ、こんな風に書き綴ってみて、私は畝傍山「が」男であってほしい、と強烈に思っていた子どもの頃の自分の気持ちそのものについても、それが何だったのだろうということを捉え返してみなければならないはずだということに、今頃になって気づかされている。上の文章の中で私は「大きくてゴツゴツしている」といったような「客観的な表現」を「わざと」使ったけれど、子どもの頃の私はハッキリと、「畝傍山は一番高くて強そうでカッコいい山だから、男である自分はあれになりたい」という意識を持っていたのである。一方で「低くておとなしげな」耳成や香具山のことは「見下して」いたわけだけど、それはそのまま子ども時代の私の「女性に対するまなざし」だったことになる。そのことをオトナになった今でも同じように口にしているようであれば、自分の感覚は当時から何も変わっていないということになってしまうだろう。

そんな当時の私を含め、畝傍山のあの山容というものは、歴史的に奈良盆地で育った全ての男たちに、「あの山になってやる」という感情を抱かせ続けてきたのではないかという感じがする。もちろん豪族や天皇家の男たちは、他のどんな「庶民」にもまして、そうだったことだろう。自然には何の罪もないわけだけど、そう考えると、罪なことをしてくれた山だよなという感じがする。そうではなく、「罪」はそれを眺める人間の心の中にこそあるわけなのだが。

ところで、今回この歌を原文で読んでみてドキッとさせられたのは「虚蝉」という漢字の使い方である。「うつせみ=現し見=現実」という意味だということは知っていたが、そうした辞書的解釈を追いやってあまりある「虚蝉」という漢字のセミの抜け殻感はどうだろう。現実とはセミの抜け殻である。そんな風に言われてしまったら、どう答えればいいと言うのだろうか。

とりあえず、「そうですね」と言っておくしかないような気がする。



「大和三山の歌」だったはずなのに、だんだん分からなくなってくるのである。「印南国原」というのは「兵庫県加古川市/明石市の一帯」のことだったと解説書にはある。歩いたら奈良から二日はかかる場所だ。姫路まで三日がかりで歩いたことがあるから知っている。そんな所から香具山と耳成山の争いなど絶対に「見え」ない。

さらに「立ちて見にこし」という言葉が歌の中にはあるわけだが、その主語がここには書かれていない。調べてみると「播磨国風土記」に、大和三山が争った際に出雲国の「阿菩大神(あぼのおおかみ)」という神がそれを調停しようとやって来たのだが、高砂市あたりまで来た時に争いが終わったという情報が入ったので、出雲に引き返したという話が残っているらしい。この伝説から、これらの歌には古代における豪族間の争いが寓意されているのではないかという解釈があり、多分そうなのだろうと思うが、詳しいことは何も分からない。

分かっていることといえばその「阿菩大神」が立ち寄ったという伝説から兵庫県のあのあたりに「揖保」という地名がつき、現在では「揖保乃糸」という素麺の製造地になって奈良の三輪素麺のライバルになっている、ということぐらいである。東京に行くとほとんど「揖保乃糸」しか売っていないので、私は時々くやしくなる。



「大和三山の歌」の「反歌」なのに、最後は「海」が舞台である。もう、明らかに奈良盆地とは関係ない。この「矛盾」を解決すべく、上の三つは天智天皇が兵庫県高砂市沖合を航行中に海上で詠んだ歌だったと解釈する向きもあるらしいが、解釈は解釈である。実際のところは分からない。

この歌で「へえ!」と思ったのは、「神」の「み」は乙類(赤文字)なのだけど「わたつみ」の「み」は甲類(青文字)だったことである。「わたつみ」は「海神」とも書くからこの「み」は同じ「み」だと思っていたのだけど、実際は無関係な「み」だったことになる。

「み」とは何だったのだろうか。奈良盆地ではヘビのことを今でも「ミイさん」と呼んでおり、さらにこの「ミイさん」が天理教的な世界観では「人類の祖先」だったという話にまで広がってゆくのだが、その「み」はどっちの「み」だったのだろうか。突然始まってしまったこの「万葉集との格闘」が終わる頃には、この「み問題」にも何らかの答えが出せるようになっていればいいのにと思う。

あと、「豊旗雲」というのは「横になびく雲」のことを指す言葉らしいが、何となくかっこいい言葉である。この歌は風景と色彩が非常にクッキリしていて、よくできた歌だと感じている。




巻第一の中で一番前置きが大げさで長ったらしくて、その割に陳腐で平凡にしか思えない歌。春の山もきれいだけど、草が茂りすぎてて入れない。秋の山は木の葉を手に取って鑑賞することができる。だから私は秋の山に軍配を上げる。ということだそうである。山の方ではきっと「知るか」って思ってるよ。

そんでもって「知るか」と入力すると「しめじ」のキーボードでは「本当にごめんなさい。猛省しております。」と自動変換されることを今知ったのだけど、そういうのって、要らない。




三輪山関係の歌は、全部好きだった。三輪山という山が好きだったからである。この歌は都が飛鳥から近江に移されて、そこに総引越しする際に作られた歌だと言われている。私としてはどうしても自分が郷里を離れた時の気持ちと重なってしまうので、いまだに「突き放すことのできない歌」になっている。毎日見ていた三輪山をもう二度と見ることができなくなってしまうなんて、そんな悲しいことは、確かに他にない。



「雲だにも」というのは「雲だけでも」「せめて雲ぐらいは」という意味らしい。そういう言葉があえて使われているところには、都を勝手に遠い滋賀県に移した「情(こころ)ない人間」への当てつけが込められている感じが、しないでもない。



「へそかた」というのは「三輪山」のことを指す言葉らしいが、原義は「糸巻きの形」的な意味なのだという。三輪山は確かに、ヘビがとぐろを巻くようにロープをぐるぐる巻きにしたみたいな形をしているから、そう言われると分かるような気もする。「狭野榛」って何やねんと思って調べたら「ハンノキ」のことなのだそうで、そんな木知らんがなと思って画像検索してみたら、「見たことのあるような無いような木」だった。なので別に画像は貼らない。

そんでもって歌全体がどういうことを言っているのかというと、「三輪山をぐるっと取り巻くハンノキの林はまるで山が服を着ているようだが、私の彼氏はそんな風に目立ってかっこいい」的な意味らしい。一応三輪山は出てくるものの前の二首とはあまりに内容が違う。だからこの歌は「間違って紛れ込んだ」のではないかとも、言われているらしい。





さて、とても有名な歌なのだが、私はこの「紫野行き標野行き」という特徴的なフレーズにずっと「西大寺行き難波行き」みたいな「駅のアナウンス」を重ねていた。言い換えるならこの「行き」は、「名詞」であってほしかった。けれども文法的な解釈としてはこの「行き」は「動詞」であるらしく、そう思うとなぜだか急につまらなく感じてしまう。例えばの話、「標野行き」の部分が「地獄行き」になっていたとしたら、この歌にはもっとインパクトが生まれていたと思わないですか。「紫野」という所に行くことは生きて帰れないぐらいの大冒険だけど、それでも貴方は行くのですね、的な気迫と緊張感が生まれてくると思いませんか。けれどもここで「行き」という言葉が二回重ねられているのは、実質的には「行ったり来たり」的なニュアンスなのだという。行くのは行ってくれて構わないけど、来られるのはどうも興醒めだと思う。何だかよくわからない話をしているな私は。

滋賀県には親戚が大勢いるけど、蒲生野というところには行ったことがない。東海道線の近江八幡のあたりの車窓から南側に見える広い一帯を昔は蒲生野と呼んだらしいのだが、あの辺は私の知る限り近畿地方で一番「雄大でのびのびした風景」が見える場所だという印象がある。琵琶湖の対岸の比良山が、晴れた日にはビックリするほど「空の高いところ」に見えるのだ。





で、それに対して当時は「皇太子大海人」だった後の天武天皇が返したのがこの歌だったとされているわけだけど、「略奪愛の宣言」(もっとも、額田王はもともと大海人と結婚していたのを中大兄が「奪った」という経過があってこの歌はその後の歌なのだ、という話になっているらしいが、よくわからない)というスキャンダラスな内容になっていることの衝撃性を抜きにするなら、額田王の歌と比べて全然「よくできた」歌には思えない。「あなたが憎かったら恋などしない」ということしか言っていないわけだが、「雨が降る日は天気が悪い」並みに無内容な歌でさえあると思う。

大体、「あなたは私のことなんてキライなんでしょう?」と言われてそういう返し方をするならまだ分かるけど、額田王は全然そんなことは言っていない。それなのにどうしてそういう「ネガティブな入り方」をするのだろうか。もっとこう、「自分はあなたのことが好きだから野守に見られる危険をものともせずにこうして会いに来たのだ」という気持ちをストレートに突き出してですね。いや、やめよう。何を親切にアドバイスしてやっているのだ私は。数年後には血まみれの独裁者になるこんな人物に。

そんでもって、こんな風に「ひとづまに堂々と告白しても許されるほど古代の恋愛事情は『おおらか』だったのだ」的な解説を時々目にすることがあるのだけど、そんなことがあったはずはないのであって、それが「堂々と」こんな公式和歌集に記載されているのは、つまるところ大海人が甥にあたる大友皇子を殺害して自ら天皇の座につき、「何をやっても許される権力」を手にしたことの結果であるにすぎない。その意味で、上の二首の歌が「あえて」万葉集に収録されていることには極めて政治的な理由が存在しているのだと思う。細かく詮索することはしないけど。



ここから、三重県の歌が続く。十市皇女という人は、大海人と額田王の間に生まれた娘で、天智天皇の息子の大友皇子と結婚し、その夫を父親の大海人に壬申の乱で殺害されてしまった人なのだという。絶句するしかないぐらい、悲壮な人生を送らされた人である。こんな人が、いたのだな。

歌意は「川の上の岩に苔が生えないごとく貴方も永遠の処女でありますように」ということらしく、その内容から十市皇女という人は「斎宮」(伊勢神宮で神に仕える役割を担わされていた皇族の女性)だったのだろうかという印象を持っていたのだが、皇位継承者の結婚相手に選ばれた人間が「永遠の処女」であるわけには、行かないはずである。だからいろんな人がこの歌の解釈に苦しんでいる。あるいはその大友皇子という人間の存在を「なかったこと」にしてしまうために差し挟まれているのが、この歌だったのかもしれない。



「麻続王」というのがどういう人だったかは分かっていないとのこと。「伊良湖岬」は愛知県の渥美半島の突端の地名だが、ここに出てくる「伊良湖岬」はその沖合に見える三重県鳥羽市の「神島」のことを指しているらしい。三島由紀夫の「潮騒」の舞台になった島らしいが、私は三島由紀夫は一冊も読んだことがないので内容は知らない。「その火を飛び越えて来い」とか言うらしいが、そこしか知らない。

「伊良湖岬」といえば、ビーチボーイズの「ココモ」という歌のコーラスにどう聞いても「伊良湖岬」としか聞こえない一節がある。「♪ 伊良湖岬、常滑焼、苅田、豊田、尾張小牧…」私にとってあれは「愛知県の歌」なのである。だから何だってんだ。



「麻続王」の身の上に同情した前の人の歌にその「麻続王」が答えた歌だというのだが、「麻続王に同情した人」はその島にはいなかったはずである。どうして会話が成立するのだろう。海の両岸から「おーい」「おーい」と呼びあっているような「妙な絵」が浮かんでくるのだが、そんなの、聞こえるわけがない。考えても分からないし、ここまででちょうど一万字になったので、続きは次回。よし。この分だと何とか一週間ぐらいで終わらせられそうな気がする。