華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

万葉集青春ノート 巻第一 (45〜49)


万葉集巻第一 上古音とされる音韻での朗読の試み

万葉集青春ノート

はじめるきっかけ
…上古音とされる音韻での朗読の試み
巻第一 (1〜6)
…万葉集に対する複雑な感情についてなど
巻第一 (6〜24)
…額田王のこと、三山歌のことなど
巻第一 (25〜44)
…柿本人麻呂登場






「万葉集」で最初の、ということは文字で書かれた日本の文学史上で最初に登場する「連作ドラマ仕立て」の歌群の、冒頭の歌。その4番目にあたるのが有名な「かぎろひの歌」で、歌の舞台となった奈良県宇陀市大宇陀では、私が生まれる前から「かぎろひを観る会」という催しが毎年開かれており、ネットで確認する限り、現在でも続いているらしい。



「かぎろひ」というのは「陽炎(かげろう)」のことだろうと漠然と思っていたのだけれど、実際には「厳冬のよく晴れた日の出前に東の空を彩る陽光」のことを指す言葉だったと考えられているらしく、中学一年生の時に何かの機会でその「かぎろひ」の写真を目にした私は、世の中にはこんなに美しい自然現象があるものなのだろうかと度肝を抜かれた。上の写真はネットで見つけた「その時の写真のイメージに一番近い写真」なのだけど、「赤い空と青い空の境目」の部分の、おそらく実際には刻一刻と移り変わってゆくのであろう神秘な色合いに完全に心を奪われた。そして何としてもそれを自分の目で見てみたいと思い、「かぎろひを観る会」が開かれる旧暦11月17日の前日、新暦では大晦日に近い冬の日に、寝袋を背負って家を出た。当時の私の移動手段は、どこに行くにも自転車だった。



奈良盆地の桜井市から旧大宇陀町を抜けて伊勢へと続く国道166号線の女寄峠は、今ではトンネル化されているらしいが、当時それを自転車で越えることは大変な大冒険だった。あんなに長くて急勾配な「直線の坂道」が続いている場所は、私の知る限り奈良県内には他のどこにも見当たらなかったように思う。そういう場所では、自転車を止めて腰を下ろすことさえできないのである。真横では車がビュンビュン通り過ぎてゆく。



そしてようやく峠の頂上にたどり着き、そこにあった不動明王の祠の脇に腰を下ろして(中学生だったけど)タバコを吹かしていた時、突然背中の後ろから

兄ちゃん?

と声をかけられたような気がした。ビックリして振り向いたけど、そこには誰もいない。空耳だろうかと思ってまたタバコを吹かし始めると、今度はハッキリした中年男性の声で

兄ちゃんて

とまた言われた。思わずタバコを消して立ち上がったけど、やはり周囲には誰もいない。祠が立っているだけだ。どういうことなのだろうと思ってキョロキョロしていると、それまでで一番ハッキリした声で

ええんか?兄ちゃん

と言われた。ここに至って私は完全に恐怖に支配され、後ろも振り向かずに自転車に飛び乗って大宇陀町側の下り坂へと一気に飛び出した。どこをどう走ったのかは全然覚えていない。「ぐわー!」とか叫んでいた記憶は残っている。よく事故ったり崖に落ちたりしなかったものだと思う。やがて麓になってぽつぽつと人家が見え始め、大きなパチンコ屋のある信号のついた交差点にまでたどり着いた時には、安心して泣きそうな気持ちになったことを覚えている。

あのとき自分が聞いたのは「幽霊の声」だったのではないかとずっと思っていたのだが、今になって検索してみると女寄峠周辺では「急に道がなくなる錯覚がする、金縛りにあった、といった心霊現象の噂や体験報告がある」とWikipediaにまで記載されており、「やめてくれよ」という気持ちに正直なっている。「ええんか?」というのは一体何だったのだろうか。それを具体的に言ってもらえなかったのが一番怖い。「ええんか?」というのは何らかのクリティカルな危険や困難が迫っているにも関わらずそのことに気づいていない相手に対し、自覚と再考を促すために使われる言葉である。そしてその「クリティカルな状態」というものが、逃げるように女寄峠を離れたはいいものの、自分の周りから「去った」感覚があの時の私には全くなかった。そして今でもないのである。たった一言のわけのわからない言葉が、人間の心理にこれだけ何十年にもわたって影響を及ぼし続けることって、あるのだろうか。今でも私がその言葉に「縛られて」いるという結果から捉え返すなら、あの時の私は文字通り「呪いをかけられた」のだということになるだろう。

まあしかし、考えようによってはそれは「善意の霊」による「善意の忠告」であったかもしれないわけで、もしそれが私に害をなそうとしている存在であったなら「警告」などしないでいきなり襲いかかってきたはずだと思う。「警告」してもらえたということは、どこの誰ともつかない存在から私は「守ってもらえた」ということなのだ。

その誰かが今でも私のことを「守って」くれていたらいいのにな、と、とりあえず私は思うことにしている。



大宇陀町の「かぎろひの丘万葉公園」は、町役場の裏手から階段で上がれるようになっている小高い場所になっていて、たどり着いた時には夕暮れになっていた。今夜はここで野宿することになるのだろうなと思って寝袋をかついで来たけれど、翌朝には町をあげてのお祭りの会場になるはずの場所であるにも関わらず人っ子一人いなくて、あずまやとベンチが置いてあることを別にすれば単なる「森の中の広場」と変わらない。そして「森の中」に「広場」があるということは、実際にそういう場所に行き当たった経験のある人なら分かると思うけど、とっても「不自然」で「怖い」ことなのだ。暗くなるにつれて辺りの木立の一本一本が異様な存在感を放ち始め、思い出されるのは昼間の「心霊体験」の記憶である。勇者ならざる自分に、とてもこんなところで一夜を明かせるようには思えない。



柿本人麻呂の「阿騎野歌群」は、後に文武天皇となる軽皇子がその父親だった「日並皇子」こと草壁皇子への追悼を込め、ゆかりの地である阿騎野で狩りをした時の歌だと伝えられており、歌群の中には「死者の影」が色濃くチラついている。(ちなみに軽皇子はその時10歳だったとされており、実際に「狩り」ができるような年齢でもない。狩猟の形をとった、追悼行事だったのだと思われる)。賀茂真淵によって「かぎろひ」とルビを振られることになった原文の「炎」という文字は、「草壁皇子の幽霊」を示しているのではないか、という説まであるくらいである。そういう話を電気のついた部屋でお茶を飲みながら読むのは楽しいことだが、実際にその現場に立って辺りがだんだん暗くなってくるのに居合わせてみると、「寐も寝らめやもいにしへ思ふに」どころの話ではない。どうしよう。パチンコ屋のあった辺りまで戻って、もうちょっと明るくて人気のある場所で朝を待つことにしたものだろうか。ザワついた心でいろいろ思案していると背後から

ザッ ザッ ザッ

という落ち葉を踏みしめる足音が聞こえてきて、まぎれもない中年男性の声で

おい、兄ちゃん

と言われたものだから、私は本当に飛び上がりそうになった。しかし振り向いた場所に立っていたのは、私にとっては幽霊どころか仏様に等しい存在だった。その人は町役場の宿直の人で、こんな寒いところで野宿するつもりでいるのならおっちゃんらのとこに来やひんか、狭いけどコタツもあるぜ、と言ってくれたのだった。子どもの顔をしていた時代には、どこに行ってもそんな風に親切にしてくれるオトナの人たちに必ず巡り会うことができたものだ。自分の顔それ自体が「おっちゃん」になってしまった今となっては、そんな親切に出会えることはもうほとんどないのだけれど。



役場の宿直室にはそのおっちゃんの他に係の若い人がもうひとりいて、朝まで結局一睡もせずに、いろんな話を聞かせてもらった。やがて日付が変わる頃になると、他県から自分のクルマで来た人たちが役場の駐車場に集まりはじめ、また地元のおばさんたちがやって来て観光客に振る舞う芋粥の仕込みを始めるなど、辺りは次第に賑やかになり始めた。考えてみれば大宇陀という電車も走っていない山あいの町にとって、この日は年に一回だけ全国の注目を集めることのできる最大の「晴れの日」なのである。もっともそこに集まってくる人たちはみんな「夜明け前にやって来て店が開く頃には帰ってしまう」ので、全然「町おこし」にはつながっていないというのが宿直のおっちゃん達の話だった。芋粥のおばさんたちがテントを張って地元の野菜の直売所を作っていたのがほとんど唯一の「町の人々に還元される観光収入」だったのではないだろうか。芋粥を何杯も食べさせてもらった手前、私もそのテント設営を手伝わせてもらったりした。



「かぎろひの丘」には篝火が焚かれ、「万葉集」の歌を現代的なアレンジで歌う女性デュオの人たちが恐ろしく場違いな出で立ちでその作品を披露したりなどしていたが、夜明けが近くなるに従って集まった人々の全体を、どうしようもなくしけたムードが覆い始めた。それというのも明るくなるにつれて周囲にはだんだんと霧が立ち込めはじめ、「今年はかぎろひが見られへん」ということが誰の目にも明らかになり始めたからである。日の出の時刻になる頃には篝火の炎さえボヤけて見えるほどの濃い霧が会場を覆っており、「今年もあかひんだかー」といったような声を残して参加者は一人減り二人減り、「かぎろひを観る会」は何の盛り上がりもないままに、そこでお開きとなった。

「かぎろひを観る会」には翌年も参加し、宿直室のおっちゃんたちと旧交を温めることができたのだったけれど、「かぎろひ」はその日も見ることができなかった。その翌年は高校受験の直前になっていたので、「ちょっと行ってくるわ」とはさすがに親にも言い出しにくく、かといって勉強をするでもなく家で漫然と過ごしていたところ、翌日の新聞に「素晴らしいかぎろひが現れた」という記事が写真つきで載っていて、自分という人間は森羅万象から愛されていないのだということをつくづく私は確信させられることになった。その後、今に至るまで「かぎろひ」というものを私は一度も見たことがない。私の見ていない場所では、世界の至る所で瞬間ごとに現れている現象に違いないはずなのだけれど。

…「万葉集」の世界からはさっさと脱出して外国の歌の翻訳にもどりたいのだが、今回のエピソードに関しては「ちゃんと」書き残しておいた方がいいような気がしたもので、こうした形になった。巻第一に関する覚え書きは、何とか次回で完結させることにしたい。ではまたいずれ。