華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Holding Out For A Hero もしくは愛は奇跡を信じる力よ (1984. Bonnie Tyler)



ひょんなことから80年代ラッシュに突入しているこのブログなのだけど、「泣き虫先生の7年戦争」を通じてある世代以上の方々にはおなじみのこの曲を今回とりあげることになったきっかけはといえば、前々回の「渚の誓い」を作曲したジム·スタインマンという人がこの曲の作曲者でもあったという、私自身もよく知らずにいたつながりからだった。それにつけても、ボニー·タイラーさんのこの髪型である。なつかしさと美しさで何と言うかもう、ひたすら見とれてしまう。私が子どもの頃の「高校生のねーちゃん」といえばみんなこんな髪型をしていたものだったのだけど、自分が高校生になる時代を迎えてみるとなぜだかみんな「ぱっつん」に変わっていたのだよな。マンガの世界なんかでも「うしおととら」の頃までは辛うじてこういう人が登場していた気がするけれど、それ以降は見かけることも皆無になってしまったように思う。

ニック·カーショウU2の記事でも繰り返し書いてきたことだけど、私が「80年代の髪型」というものにいちいち反応してしまうのは、そのビジュアルから当時の世界にあふれていた「いろんな匂い」が甦ってくるのを感じるからなのである。匂いの記憶というものは、人間を「思い出の世界」に引き戻す力を一番強く持っている。今の社会は「いろんな匂い」をことごとく「無化」する方向に向かっているような感じがあるけれど、当時の社会ではそれが技術的に不可能だったという制約もあってのことなのか、「自分の気に入らない匂いには別の匂いで対抗する」という方向性で人は匂いというものと「戦って」いたのだなと、今になってみると思うところがある。そんな風にいろんな匂いが激しく自己主張しながらひしめき合っていた当時の時代の空気の中には、今の社会に再現することが二度とできないようなタイプの「活気」というものが、間違いなく存在していた。

その「賑やかな匂い」が今の自分を取り巻く世界にはどこにも存在していないのだという事実にこうしたきっかけで気づかされてしまう時、私はいつも自分が「無音の世界」に閉じ込められたのと同じくらいの不安と焦燥を感じてしまう。そしてそういう感覚が21世紀になってから生まれた世代の人たちにも「通じる」ようにはとても思えないので、それを考えるとものすごく「孤独な」気持ちになる。私という人間を育んでくれた、私にとって懐かしい「あの時代の匂い」は、今の時代に生まれた人たちにとっては「とんでもない悪臭」にしか思えないはずなのである。客観的にと言うか客嗅的に言って、そう思う。けれども私のことを「落ち着かせて」くれる匂い、自分が自分でいても構わないのだという気持ちにさせてくれる匂いというものは、私にとってはやっぱり「あの時代の記憶」の中にしか存在していないものなのだ。「自分が自分でいても構わないのだという気持ちにさせてくれる音楽」というものが、やはりある限られた時代の記憶と結びついた形でしか存在していないのと全く同様にである。

もとよりこのブログは、そんな風に「自分にとって居心地のいい思い出」の世界に引きこもることを目的として書き始めたものではない。むしろそうした思い出のひとつひとつに「決着」をつけて、前に向かって歩き出すために書き始めたブログである。

しかしながら「決着」をつけるためには、そうした思い出というのが「何」であったのかということを「客観的」に「対象化」することが必要になる。言い換えるなら思い出の「正体」を突き止めてそれと対峙することが必要になる。「うたを翻訳すること」を通じて私がこのブログでやってきたのはそういうことだったわけだし、「匂いの記憶」に関しても同じように言葉にしてゆく努力を怠るならば、いつまでもそれと「正しく」向き合うことができないことだろう。そういう領域で「思い出の神秘化」が発生し、それが人間の感性を保守的にさせ、やがてはそうした「神秘化された幻想の価値」にしがみつくために人を差別したり戦争を起こしたりすることを何とも思わないような人間が形成されてゆくわけなのである。腐っても私はそんな人生だけは歩みたくないと思う。て言っかどうして髪型や音楽の話ぐらいのことで毎回こんなにムキにならねばならないのかと自分でも妙な気持ちになってくることが時々あるが、それは今の時代が「ムキにならねばならない時代」だからなのであって、それに対抗しようとする自分自身の姿勢の方がエキセントリックに思えてきてしまうようでは、私もまだまだ修行が足りないという話にしかならないのだ。

それを思うなら80年代という時代は、「ムキになること」や「エキセントリックになること」が憎悪と嘲笑の的になるどころか、むしろ「価値のあること」としてもてはやされていた時代だったはずなのである。「ヘンとヘンを集めてもっとヘンにしましょ」という歌がアニメの主題歌になっていた時代だったし、当時においては「過激」という言葉が「最高の褒め言葉」だったはずなのである。その時代の価値観を感性の一番深い部分に据えつけてオトナになったことを私は恥だとは思っていない。むしろ誇りに思っている。けれどもその時代にオトナをやっていたはずの人たちが、一番ムキになって社会の右傾化や天皇制の更新に反発しなければならないはずのこんな時代にちっともムキにならず、むしろ先頭に立って「ヘンな他者」を排撃する側に回っていたりする姿を見せつけられてみると、自分は「ダマされて」いたのだろうかとしか思えなくなってくる。結局その答えは私が「自分自身で」出すしかないことなのである。私にとっては、の話なのだけど。

ぶわっとした髪型のボニー·タイラーさんの写真が文字通り「ぶわっと」私の脳裏に甦らせたのは、同じような髪型をしていた私のイトコが大阪府寝屋川市の下町臭さと全身で対抗するかのようにいつも発散させていた「整髪料の匂い」だった。今にして思えば、当時の私にとってはあの匂いこそが「オトナの世界を象徴する匂い」だったように思う。けれども私たちの世代の人間は、結果としては総体的に「そういう匂い」とは全く無縁な世界で「オトナ」になってゆく道を歩んでゆくことになった。私たちが10代を過ごしたのはそんな風に「突っ張ること」からいつの間にかあらゆる「価値」が失われていた、90年代という時代だったからである。

だからなのかもしれない。久しく見ることがなくなっていた「ああいう髪型」の写真から「あの時の匂い」が甦ってくるのを感じた瞬間、私は今では自分より遥かに年下になってしまったはずの当時のボニー·タイラーさんの姿が、今の自分よりも遥かに「オトナ」に見えてしまったのだった。そして自分はことによるとそんな風に「オトナになること」を「素通り」したまま今の年齢まで生きてきてしまったのではないだろうか、といったような感慨にとらわれた。

少なくともあの時代、「オトナになる」という言葉は「長いものに巻かれることを恥と思わない価値観を身につける」ということとは真逆のことを意味していたはずだったと私は思うのだけどな。

ボニー·タイラーさんはブリテン島の南西部に位置するウェールズ出身の人なのだそうで、YouTubeを通じて再会することになった「ヒーロー」の原曲のPVには、そう言われてみれば「ケルト的な世界観」が漂っているような印象を受ける。同時に「ジーザス·クライスト·スーパースター」からも、相当な影響を受けている感じがする。

…子どもの頃に触れていたものをオトナになってから見直してみるといつもそこには「発見」があるが、その「発見」には「幽霊の正体見たり枯れ尾花」的な空しさも、同時につきまとっている。


Holding Out For A Hero

Holding Out For A Hero

英語原詞はこちら


Where have all the good men gone
And where are all the gods?
Where's the streetwise Hercules to fight the rising odds?
Isn't there a white knight upon a fiery steed?
Late at night I toss and I turn
And I dream of what I need

正しい心を持った人々は
どこへ行ってしまったのだろう。
神々は何をやっているのだろう。
どんどん強さを増してゆく敵に
戦いを挑む都会のヘラクレスは
どこにいるのだろうか。
炎の馬にまたがった純白の騎士は
どこにもいないのだろうか。
深い夜の中で何度も寝返りを打ちながら
自分に必要なのが何なのかということを
私は夢に見る。


I need a hero
I'm holding out for a hero 'til the end of the night
He's gotta be strong
And he's gotta be fast
And he's gotta be fresh from the fight
I need a hero
I'm holding out for a hero 'til the morning light
He's gotta be sure
And it's gotta be soon
And he's gotta be larger than life!
Larger than life

私にはヒーローが必要なのだ。
この夜が終わるまで
私はヒーローを待ち続けている。
彼は強くなくてはならない。
彼は速くなくてはならない。
そして彼はたったいま戦いから
戻ったばかりでなくてはならない。
私にはヒーローが必要なのだ。
朝の光が差し込むまで
私はヒーローを待ち続けている。
彼はしっかりしてなくちゃない。
それはすぐじゃなくちゃいけない。
そして彼は私の人生そのものより
大きな存在でなくてはならない!
人生そのものより大きな…


Somewhere after midnight
In my wildest fantasy
Somewhere just beyond my reach
There's someone reaching back for me
Racing on the thunder and rising with the heat
It's gonna take a superman to sweep me off my feet

日付が変わった世界のどこかに
止まってくれない私の空想のどこかに
伸ばした私の手が決して届くことのない
遠いどこかに
同じように私に向かって
手を伸ばしてくれている人がいる。
雷鳴にまたがって現れ
熱が上昇するのと同じスピードで
空へと翔けあがる。
この足が地につかなくなるくらい
私のことを夢中にさせてくれるためには
スーパーマンが必要なのだ。


I need a hero
I'm holding out for a hero 'til the end of the night
He's gotta be strong
And he's gotta be fast
And he's gotta be fresh from the fight
I need a hero
I'm holding out for a hero 'til the morning light
He's gotta be sure
And it's gotta be soon
And he's gotta be larger than life
I need a hero
I'm holding out for a hero 'til the end of the night

私にはヒーローが必要なのだ。
この夜が終わるまで
私はヒーローを待ち続けている。
彼は強くなくてはならない。
彼は速くなくてはならない。
そして彼はたったいま戦いから
戻ったばかりでなくてはならない。
私にはヒーローが必要なのだ。
朝の光が差し込むまで
私はヒーローを待ち続けている。
彼はしっかりしてなくちゃない。
それはすぐじゃなくちゃいけない。
そして彼は私の人生そのものより
大きな存在でなくてはならない。
私にはヒーローが必要なのだ。
この夜が終わるまで
私はヒーローを待ち続けている。


Up where the mountains meet the heavens above
Out where the lightning splits the sea
I could swear there is someone, somewhere
Watching me
Through the wind, and the chill, and the rain
And the storm, and the flood
I can feel his approach like a fire in my blood

そびえ立つ山々が
天上の世界と出会うところ
稲妻が海を真っ二つにするところ
そこにきっと誰かがいるのだ。
誰かがいるのだ。
私のことを見つめているのだ。
風を切り寒さをくぐり雨を抜け
嵐を突っ切り洪水の中をまっすぐに
彼が近づいてくるのがわかる。
私の血の中に燃える炎のように激しく


I need a hero
I'm holding out for a hero 'til the end of the night
He's gotta be strong and he's gotta be fast
And he's gotta be fresh from the fight
I need a hero
I'm holding out for a hero 'til the morning light
He's gotta be sure
And it's gotta be soon
And he's gotta be larger than life
I need a hero
I'm holding out for a hero 'til the end of the night
He's gotta be strong and he's gotta be fast
And he's gotta be fresh from the fight
I need a hero
I'm holding out for a hero 'til the morning light
He's gotta be sure
And it's gotta be soon
And he's gotta be larger than life
I need a hero
I'm holding out for a hero 'til the end of the night

私にはヒーローが必要なのだ。
この夜が終わるまで
私はヒーローを待ち続けている。
彼は強くなくてはならない。
彼は速くなくてはならない。
そして彼はたったいま戦いから
戻ったばかりでなくてはならない。
私にはヒーローが必要なのだ。
朝の光が差し込むまで
私はヒーローを待ち続けている。
彼はしっかりしてなくちゃない。
それはすぐじゃなくちゃいけない。
そして彼は私の人生そのものより
大きな存在でなくてはならない。
人生そのものより大きな…

=翻訳をめぐって=

  • Where have all the good men gone…他のサイトではこのフレーズが「いいオトコは一体どこにいるのよ」みたいな感じで訳されているケースが散見されるのだが、「good men」が「神々」と対比されていることから考えても、もうちょっとげんしゅくな文体で書かれている歌詞なのではないかという印象を私は受ける。
  • where are all the gods?…「gods」と複数形になっていることは、ここで歌われているのが「キリスト教的な神」ではなく、ギリシャ神話的な「多神教の神」であることを示している。
  • I'm holding out for a hero 'til the morning light…「hold out」は「腕を伸ばす」だが、それが「hold out for」になると「断固として要求する」みたいな意味になるのだという。て言っか、誰にだ。
  • He's gotta be strong…私は「he」の訳語に「彼」という言葉はあんまり使わないのだが、たまに使ってみるといかにも80年代的になって、味わい深いものですね。
  • It's gonna take a superman…「超人」という言葉と「スーパーマン」という言葉は日本語世界においてはそれぞれ相当に「違ったイメージ」を喚起する言葉になっているが、英語圏においてはそれがどちらも「同じ概念」の中に組み込まれている。それが「どういう概念」であるかということについては、「想像」するしかない。


麻倉未稀 ヒーロー

葛城ユキ ヒーロー

「スクールウォーズ」の主題歌になっていた麻倉未稀の「ヒーロー」と、母親のカーステレオからしょっちゅう流れていた葛城ユキの「ヒーロー」とは、違う歌詞になっていたのだということに私は今日まで全然気がつかずにいた。そのことの上で作詞は両方とも売野雅勇になっているらしく、何だかキツネにつままれたような気持ちになる。それにつけても、原曲カバーいずれのバージョンにおいてもこの歌は「女性が歌う女性を主人公にした歌」になっているにも関わらず、それを作詞した人間が軒並み男性であることに、今の私はひたすらけったくその悪い気持ちを感じる。ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1984.4.13.
Key: C