華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

The Exile Of Erin もしくはエモい歌 (1990. Andy M. Stewart & Manus Lunny)



「エモい」。20世紀には使われていなかった言葉である。エモいのエモが「emotional (感情的な/感情に訴える)」のエモであることぐらいは、だいたい想像がつく。とはいえ「感情的な」と「感情に訴えかける」とでは、意味するところが大分と違ってくる。

21世紀になってから生まれた人たちが「自分の言葉で」語り始める姿をネットで目にするようになったのは、ここ5〜6年ぐらいのことだ。2019年現在、いまだハタチを迎えている人は一人もいないわけではあるけれど、しっかりしたことを喋っている人たちはたくさんいる。何しろこの人たちは私ら前世紀の人間とは違って、生まれた瞬間から「インターネットでつながった世界」を生きてきた人類最初の世代の人たちであるわけだ。その話し言葉を聞いていると、私なんかは学ばされるところの方がよっぽど多い。

そうした世代の人たちが、20世紀の「古い」音楽、とりわけ私の世代の人間が10代の日々を送っていた1990年代の日本の音楽のことを、しきりに「エモい」という形容詞を使って評価していることが、数年前から私には気になっていた。言っちゃあ何だがユニコーンもスピッツもエレカシも「私らの世代が育てた」バンドなのである。(勢い余って「私が育てた」と書きかけたのだけど、ギリギリで思いとどまったことは正直に自己申告しておきたい)。しかしながらリアルタイムでかれらの音楽に触れてきた我々は、それを「エモい」と思って聞いていたことなど、一度もなかったのだ。じゃあ何と思って聞いていたかといえば、「行けてる」とか「うわカッコいい」とか「むっちゃおもろい」とか思いながら聞いていたわけだけど、こうして思い出してみると情けなくなるぐらい、「具体的な言葉」というものが出てこない。それに比べて「エモい」という言葉は、響きがやけに「具体的」である。「熱い」とか「冷たい」とか「甘い」とか「苦い」とかいった言葉が「具体的」であるのと同じような意味で、「具体的な言葉」である印象を私は受ける。

それじゃあ何だろうか。私らの世代の人間があの頃の音楽に対して感じていた中身と、今の人たちがその同じ音楽に対して感じている中身とは、「違った何か」なのだろうか。「エモい」という言葉の正確に意味するところが分からない限り、私としては答えの出しようがない。

とはいうもののそんな私の内心の焦燥をよそに「エモい」という言葉はこの新世紀の日本語世界において猖獗と言うか隆盛を極めており、エモいのひとつも使いこなせないでブログで音楽を語ろうなんてオコがましいとでも言わんばかりの風潮というものが昨今では間違いなく醸成されつつある。ように思う。なので私も「エモい」という言葉を、見よう見まねでオッカナびっくり、実はこのブログでも何回か、使ってきている。しかしながらそれは飽くまで「感情に訴えかける力を持った」的なことを言いたいときにおそらく「エモい」という言葉は使うのだろうな、という「想像」の上に立った使い方でしかなく、「意味が分かって」使っていたわけでは、なかったのである。

…何が「なかったのである」じゃ、と自分でも思うのだけど、その辺はまあ、正直に告白しているのだから、広い心で読み流していただければ幸いに思う。

と、そんなある日のこと。ここからが本題なのですよ。SNSで知り合ったある若い人が、以下のようなことを教えてくれたのである。私から見ればとても若い人。私が17歳だった1995年、ちょうどその年に生まれたという人だ。

「エモい」はなんか、私は主に「怒りと悲しみが暴発するものの肯定的な気分になる」みたいな意味合いで使ってるかな。転じて「中学の頃の感覚に引き戻される」みたいな意味にも。

…これを読んだ瞬間、私の脳裏に反射的に浮かび上がった「風景」があった。自分が直接目にしたことのある風景ではない。高校の時に、個人的にすごくお世話になった社会の先生から聞かせてもらった話の中の「風景」である。

その先生は学生時代、大阪城公園が今みたいな形で整備される前の発掘調査に参加していたことがあったらしいのだけど、その一番古い層、つまり大坂の陣によって焼かれて再建される前、豊臣秀吉が石山本願寺の跡地に一番最初に大阪城を築城した際の遺構を掘っていた際に、泥に埋れた石垣の間から「緑の葉っぱ」が一枚、出てきたことがあったのだという。その石垣が築かれた際、あるいは埋められた際に土に紛れ込んだのでなければそんなところからは出てこないから、その葉っぱは間違いなく「安土桃山時代の葉っぱ」だったことになる。

それにも関わらず、その葉っぱが「今の葉っぱ」と変わらないぐらいにツヤツヤと生き生きした緑色をしていることに、先生は衝撃を受けた。そして「言い知れぬ感動」を覚えて思わずその葉っぱを泥の中から拾い上げようとしたところ、空気に触れた瞬間にその葉っぱは見る見る灰色に変わり、最後には灰そのものになって、サラサラと崩れ去ってしまったのだという。

たぶんその時代に「エモい」という言葉があったら、その先生は間違いなく「エモい」と思っていたのではないだろうか、と現在の私は思った。

そしてそう思った時、私自身にも初めて、「エモい」という言葉の意味が「わかった」ような感じがした。

「エモい」というのは単に「感情に訴えかける」というだけではなく、おそらくはそこに「歴史の要素」が加わってくる感覚なのである。あえて言葉にするならば

思い出になりきれずにいた思い出が思い出に変わる瞬間の感覚

みたいな感じになるのだろうか。「自分の知っている感情」が他者の言葉や音楽を通じて呼び覚まされ、それを「追体験」しているような感覚を得た際に、若い人の言う「エモい」という言葉は発せられているような印象を受ける。

人間、自分自身が「感情に支配されている状態」にある時には、その感情と「向き合う」ことは、なかなかできない。他者の言葉や音楽として表現されたものを媒介にすることで多くの場合は初めて、人は鏡を見るようにその「自分自身の感情」と「向き合う」ことが可能になる。そしてひとたび「向き合えた」なら、その感情はもはや「自分の内側」にではなく「自分の外側」に存在している「何か」であることになる。つまり人間は自分の感情と「向き合う」ことを通して初めてそれが「何」であるかを「知る」のであり、同時に初めてその感情から「解放」されることができるのである。そしてその瞬間に、「それまでの自分」の存在は「歴史」に変わることになるのだ。

その時に感じるカタルシスが、「エモい」という感覚だということになるのだと思う。多分。その感覚は、「それまで自分の一部をなしていた感情」そのものと直に触れ合った瞬間にしか、得られるものではない。だから、「感情=emotion」に由来する「エモい」という言葉で言い表される必然性を持っている。

「閉じ込めていた感情」から人間が「解放」される時、「閉じ込められていた感情」もまた「解放」されることになる。「解き放たれた感情」がどこに行くのかといえば、結局は「空に還る」のだし、そこにしか行き場はないのである。あたかも大阪城公園の地下深くで数百年にわたり太陽の光に触れることを待ち続けていた一枚の葉っぱが、その瞬間が訪れたと同時に真っ白になって消えてしまったのと同様にだ。けれども人間は、自分が自分の内側に大切にしまい込んでいたものとはそういう形でしか決して「出会う」ことができないのだし、また自分の内側にあった時のそれがどんなに美しい緑色をしていたかといったような事実についても、そういうことがなければ決して「知る」ことができない仕組みの中で生きている。ものなのだと思う。そうしたことに気付かされた時の気持ちをどうした言葉で言い表せばいいのかといえば、「今ある日本語」の中では「エモい」という言葉しか、私には思いつかない。

「閉じ込めて/閉じ込められていた自分自身の感情」と「出会えた」時に人は「エモい」と感じるのであり、その閉じ込められていた時間が長ければ長いほど、また閉じ込められていた場所が深ければ深いほど、出会えた時のエモさもまた高まる。そういうものなのだろう。してみると私がこのブログの開設以来、「自分の青春に決着をつける」という作業にどうしてここまでこだわってきたのかということも、一言で言うなら「エモいから」だったのだということで説明がついてしまうことになる。もっともそんな風に言ってしまうと、逆にチャラくなってしまう感じがするな。今のは「一言多かったこと」なので、聞かなかったことにしてください。

それと「逆にチャラくなってしまう」の「逆に」が「何の逆」なのかということについても、できれば聞かない方向性でお願いします。

さてそんな風に「エモい」という言葉の意味が「分かった」(と言って本当にいいのかな)ところで、それなら私の知っている一番「エモい歌」はということになるならば、スコットランドのフォーク歌手アンディ·M·ステュアートがアイルランドのギター弾きマナス·ラニーと連名で発表した1990年のアルバム「At It Again」の収録曲、「The Exile Of Erin」。この曲に尽きると思う。こぉれは、エモいですよ。何と言うか、激情が氷漬けになったような曲で、上に挙げた「エモさの定義」とピッタリなのだ。

「エリン」とはアイルランドの古名であり、この歌はその「アイルランドからの流刑者」を主人公としている。流刑先の地がどこであるのかは歌詞の中には明記されていないが、おそらくはオーストラリアなのではないかという感じがする。18世紀にオーストラリアがイギリスの「流刑植民地」とされて以来、イギリスの支配に抵抗してアイルランド解放のために戦った多くの人々が、捕らえられてオーストラリアに送られることになったという歴史については、このブログの中でも何度か触れてきた。

この歌に私が「エモさ」を感じてきたのは主としてその「曲調」に対してであり、どういうことが歌われている歌なのかということについては、当初は全然分からなかった。今回調べてみて実はこの曲はアンディ·M·ステュアートのオリジナルではなく、残されている楽譜から確認できるだけでもその歴史を1802年にまで遡ることのできる極めて古い歌だったのだということを初めて知った。道理で「古い英語」で書かれていたわけだ。昔の私に分からなかったのも当然だったと思う。今回は「エモさの定義」の試みで力を使い果たしてしまったので、後は歌そのものと試訳の紹介だけにとどめておくことにしたいと思います。若い人から「こんなの全然エモくない」と言われたら今回の話は全部振り出しに戻ってしまうのではないかという緊張感も正直感じているのですが、聞いてみて頂ければ幸いです。ではまたいずれ。


The Exile Of Erin

The Exile Of Erin

英語原詞はこちら


There came to the beach a poor exile of Erin,
The dew on his robe was heavy and chilly;
For his country he sighed when, at twilight, repairing
To wander alone by the wind-beaten kill.
But the day-star attracted his eye's sad devotion,
For it rose on its own native isle of the ocean.
Where once, in the flow of his youthful emotion,
he sang the bold anthem of Erin-go-bragh.

浜辺にたどり着いたのは
あわれなひとりの
エリン(アイルランド)の流刑者。
重たく冷たい露のしずくが
かれのローブを濡らしていた。
たそがれの光の中で
かれは祖国がよみがえることを
ひたすらに願い
死ぬまで叩きつける風の中を
ひとりさまようことになったのだった。
けれども
情熱を宿したかれのかなしい瞳は
明けの明星の光をとらえていた。
エリンは自らの足で
大洋に浮かぶ自らの島の上に
しっかりと立ちあがってみせたのだ。
若い激情の流れがおもむくままに
かれは勇敢な祖国の歌を歌った。
「エリン·ゴー·ブラー」を。


Oh! sad is my fate, said the heart-broken stranger,
The wild deer and wolf to a covert can flee;
But I have no refuge from famine or danger,
A home and a country remains not for me.
Ah! never again in the green shady bower,
Where my forefathers lived, shall I spend the sweet hours,
Or cover my harp with the wild-woven flowers,
And strike the sweet numbers of Erin-go-bragh.

ああ悲しきわが運命よ。
心傷ついたその異邦人はひとりごちた。
鹿や狼だったなら
藪の中へと身を隠すこともできる。
けれどもわたしは飢えや危険から
どこにも逃げることができない。
わたしがいなくなったのに
故郷も祖国もそこにあり続けている。
ああ心地良き緑の木陰の暮らしには
二度と戻ることができないのか。
わたしの父祖たちが過ごし
わたし自身も素晴らしい時間を
過ごすはずだったその暮らしには。
それがかなわないというのであればせめて
野に咲く花の綴れ織りで
わたしの竪琴を覆ってほしい。
そして奏でてほしい。
「エリン·ゴー·ブラー」の美しい調べを。


Oh! Erin, my country, though sad and forsaken,
In dreams I revisit thy sea-beaten shore;
But, alas! in a far foreign land I awaken,
And sigh for the friends that can meet me no more.
And thou, cruel fate, wilt thou never replace me
In a mansion of peace, where no perils can chase me?
Ah! never again shall my brothers embrace me-
They died to defend me, or live to deplore.

ああエリンよ
わが祖国よ
たとえ悲しくそして
見捨てられたこの身であろうとも
わたしは夢の中で何度でも
波の打ち寄せるおまえの岸辺を訪れる。
だがしかし。
わたしが目覚めるのは遠い異国の地の上で
心は二度と会うことのない
友たちの姿を求め続けている。
そしてなんじ、残酷なる運命よ。
わたしをあの場所に戻してくれることは
できないものなのか。
平和な宿りの下でどんな災禍にも追われることのない日々に。
ああわがきょうだいたちが
わたしをかき抱いてくれることは
もはや二度と起こらない。
みんなわたしを守るために
死んでしまったか
さもなくば
嘆きの中で生きているだけなのだ。


Where now is my cabin-door, so fast by the wildwood?
Sisters and sire did weep for its fall;
Where is the mother that looked on my childhood?
And where is my bosom friend dearer than all?
Ah! my sad soul, long abandoned by pleasure,
Why did it dote on a fast-fading treasure?
Tears, like the rain, may fall without measure,
But rapture and beauty they cannot recall.

ああ深い森にうずもれた
わたしの小屋の扉は
どこに行ってしまったのか。
わがはらからの女たちは
そしてわが先祖は
それが崩れ去ったとき涙を流した。
幼いわたしのことを見つめてくれていた
母親はどこに行ってしまったのか。
そして誰よりもなつかしい親友たちは
どこにいるのか。
ああ永きにわたり
よろこびから見捨てられてしまった
悲しきわが魂よ。
はかなくも消えてしまう宝物に
どうして心を奪われてしまったのか。
涙は雨のごとく
絶え間なく落ち続けることだろう。
だが歓喜と美しさとは
もはや二度と帰ってこない。


But yet all its fond recollections suppressing,
One dying wish my fond bosom shall draw;
Erin, an exile, bequeaths thee his blessings,
Land of my fathers, Erin-go-bragh.
Buried and cold, when my heart stills its motion.
Green be thy fields, sweetest isle in the ocean,
And the harp-striking bards sing aloud with devotion,
Erin Mavourneen, sweet Erin-go-bragh.

とはいえ
すべてのなつかしい思い出が
重石の下に埋められてしまおうとも
ひとつの望みが死につつあり
なつかしい胸へと還る日が
目の前にちらついて来ようとも
エリンよ。
この流刑者に
おまえを祝福する言葉を
遺させてくれ。
祖先の地よ。
エリン·ゴー·ブラー。
冷たくうずめられ
わたしの心臓がその動きを止めるとき
緑であれかし。
おまえの草原よ。
大洋に浮かぶ
この世で最もいとしき島よ。
そして竪琴を奏でるバードたちよ
声を張り上げて歌ってほしい。
「エリン·マウォーニーン」を。
「エリン·ゴー·ブラー」を。



=ゲール語部分について=

  • エリン·ゴー·ブラー : アイルランドよ永遠に。18世紀以来、アイルランド解放闘争のスローガンとして使われてきた。ちなみに「スローガン」という言葉自体、元々はゲール語。
  • バード: アイルランドの吟遊詩人を指す。
  • エリン·マウォーニーン: わが愛よ、アイルランドよ。上と同じくアイルランド解放闘争のスローガン。