華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Gimme All Your Lovin' もしくはハレルヤあるいはハルレヤ ※ (1983. ZZ Top)

俄かに、車のなかが、ぱっと白く明るくなりました。見ると、もうじつに、金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつめたやうな、きらびやかな銀河の河床の上を水は声もなくかたちもなく流れ,その流れのまん中に,ぼうっと青白く後 光の射した一つの島が見えるのでした。その島の平らないただきに、立派な眼もさめるやうな、白い十字架がたって、それはもう凍った北極の雲で鋳たといったらいゝか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しづかに永久に立ってゐるのでした。

「ハルレヤ、ハルレヤ。」前からもうしろからも声が起りました。ふりかへって見ると、車室の中の旅人たちは,みなまっすぐにきもののひだを垂れ、黒いバイブルを胸にあてたり,水晶の数珠をかけたり,どの人もつつましく指を組み合せて、そっちに祈ってゐるのでした。思はず二人もまっすぐに立ちあがりました。カムパネルラの頬は,まるで熟した苹果のあかしのやうにうつくしくかゞやいて見えました。

ー宮沢賢治「銀河鉄道の夜」第三次稿より

「ハレルヤ」という言葉に私が初めて出会ったのは、確か小学校に上がる前、地域の子ども会の行事で、「こげよマイケル」の替え歌でコール&レスポンスをやるという、ああいうのは何と言えばいいのだろう。ゲームと言うかレクリエーションと言うか、コーナーがあった時のことだったと思う。役員をやっていたテッちゃんのお母さんが、「今からおばちゃんが言う人たちだけ、『ハーレールーーヤ!』って歌ってくださーい」と前置きして、

お兄さんがいる人だけー、
ハーレールーーヤ!
ドラえもんが好きな人だけー、
ハーレールーーヤ!
お弁当がおにぎりだった人だけー、
ハーレールーーヤ!

等々、いろんなことを言ってくれるのだった。小っちゃい子たちはとにかくいっぺんでも多く「ハレルヤ!」と言えればそれで幸せになれるから、そんな遊びでも夢中になる。高学年の子どもたちになると大体サメているのだけど、そんな子ら向けにも「子ども会なんて二度と来たくない人だけー」みたいなコールがしっかり準備されていて、そんな風に挑発されてみると「怖い兄ちゃん」たちもやっぱり大喜びで「ハレルヤ!」と叫んでいる。それをしっかり聞き届けた上で、「じゃ、今ハレルヤって言った人たちのお菓子は今度からおばちゃんら準備せえへんからねー」というサゲがつき、笑いと拍手に包まれてコーナーが終わるのだった。うーむ、今にして思えばテッちゃんのお母さん、近所のおばちゃんにしとくには惜しいぐらいの人心掌握術だったな。

それはそれとして、じゃあその「ハレルヤ」というのは何なのだ、という疑問は幼心に強く残った。子どもなりに「晴れるや」的な意味ではないかという印象を受けたことは何となく覚えているのだけど、しかしどちらかと言えば外国語的な響きでもあった。

そんでもって、ますむらひろしの猫キャラクターを主人公にした「銀河鉄道の夜」の映画がヒットしたのが小学校一年の年で、これはもう阪神優勝とか日航機墜落とかグリコ森永事件とかいろんなことのあった年だったから、鮮明に記憶に残っている。それを私は確かイトコと一緒に大阪の映画館で見たのだけれど、小一にはあまりに難解と言うより、「怖い」映画だった。その中で一番「怖かった」のが、画面に巨大な十字架が現れてヘンデルの「メサイア」コーラスが鳴り響く場面で、今にして思えばあれは「人が死んだらどこに行くのか」を象徴的に描いたシーンだったから怖く感じたのも当然だったと思うのだが、怖いと思うその一方で「これって『ハレルヤ』の違うやつやんけ!」ということを「発見」し、妙に興奮したことも覚えている。「ハレルヤ」って何やねん、という私の疑問はますます膨れあがることになった。

「銀河鉄道の夜」ほど児童文学の世界で「特別扱い」されている作品も他にないのではないかと思うわけで、私の学校の図書室にも無論それは置いてあった。借りてきて読んだけど、全っ然わからなかった。まあ、当然だったと思う。今でも全然わからないのだから。

わからなかったことの上で、上に引用したごとく映画の中で「ハレルヤ」の出てきた場面が宮沢賢治の文章では「ハルレヤ」と書かれていたものだったから、私は大混乱に陥った。「ハルレヤ」表記は上記以外の場所にも出てくるから、誤植というわけでもないらしい。自分の耳に「ハレルヤ」と聞こえていた言葉は「ハルレヤ」だったのだろうか。どっちが正しいにせよそもそもそれはどういう意味の言葉なのだろうか。結局その疑問に「ハッキリした答え」を見出すことができないまま、気がつけば私はオトナになってしまっていたのだった。

子どもの頃には世界になかったWikipediaという便利なやつを開いてみると、「ハレルヤ」とはヘブライ語由来の言葉で「神をほめたたえよ」を意味するフレーズだったのだという。(「ハレル」=讃えよ/「ヤ」=ヤハウェの短縮形)。英語表記は「Hallelujah」で、「わざわざ」読み間違えるようなことでもしない限りこれを「ハルレヤ」と読むようなことは普通、ないと思う。事実、詳しい知り合いの人に尋ねてみたところ、宮沢賢治の草稿でも最初は「ハレルヤ」と表記されていたにも関わらず、それを後から万年筆で消して「ハルレヤ」に修正された痕跡があるらしいということを教えてもらった。ということは彼氏が「銀河鉄道の夜」であえて「ハルレヤ」表記を使っていたことには、明かに「意味」が存在したのである。そこには、どういう意図が込められていたのだろうか。



研究者の間では、宮沢賢治は法華経信者という自分自身の立場や思想性からして、キリスト教という宗教に「絶対的な位置づけ」を与えたくなかったのではないか、ということが言われているらしい。実際、上に引用した後の部分には「カトリックの尼さん」という登場人物が出てくるのだけど、あえて「カトリック尼さん」と書かなかったところに、「この物語に描かれているのは現実に存在する既成の宗教的世界観とは区別された、比喩表現としての普遍的宗教世界なのだ」という作者の意図が読み取れるような気がしないでもない。そのでんで行くなら、「ハルレヤ」は明かに「ハレルヤ」のパロディなのだけど、それをあえて「ハルレヤ」にすることを通して「キリスト教徒でない人の心の中にも一般的に存在するハレルヤ的な気持ち」を彼氏は表現したかったのかもしれないという感じがする。ところで「キリスト教徒でない人の心の中にも一般的に存在するハレルヤ的な気持ち」 って、たとえばどういう気持ちなのだろう。


アンジー 風のブンガ

これは何て何て
げんしゅくな暮らしだろう
涙流してやれ

これは何て何て
大切な気持ちだろう
涙流してやれ

…よくわからないのだけど、上記のアンジーの歌の一節に歌われているような気持ちが「ハレルヤ的な気持ち」というものなのだろうなと、天理教の家に生まれた私は何となく理解している。ちなみに上の歌は上の歌で、水上勉の「ブンナよ木から降りてこい」という童話をモチーフにして作られた歌であるらしい。

しかしまあ、そういう小難しい解釈もありうるとした上で、ただ単に宮沢賢治は「よりエキゾチックな感じ」が欲しかったのかもしれない、という気もしないでもない。原語につきまとっている「ハレルヤ」の日本語臭さ、具体的には「晴れるや」臭さを彼氏は忌避したのではないだろうか。「ハルレヤ」にすると、これは完全に「日本語にはない響き」になる。日本語話者の読み手にとっては、謎と神秘のイメージがそれだけ深まることになる。もっとも、作者自身がその「謎と神秘」の「正体」を知った上でそういう書き方を選択しているのであるならばそれはそれでいいけれど、作者もその「正体」を知らないくせに「謎と神秘のイメージ」だけを意図的に作り出そうとしているのだとした場合、それは単なるコケオドシということになりはしないだろうか。ってやっぱり小難しい話に走ってしまいつつあるな。私。

そんでもってどうして今回の記事では冒頭からこんな風にぐだぐだと「ハレルヤ」関連の話を始めることになったのかといえば、「トータル·バラライカ·ショー」の16曲目、レニングラード·カウボーイズとソビエト赤軍合唱団によるアレンジで演奏されたZZトップの「Gimme All Your Lovin'」に、とても印象的な「ハレルヤ」コーラスが挟まれていたからなのである。元々は単純に軽快なロックンロールだったのだと思うが、間奏には「ハレルヤ」コーラスの他にかつてのソビエト連邦のアンセムだった「祖国は我らのために」のメロディも織り交ぜられていたりして、意味不明なぐらいに壮大な仕上がりになっている。その意味不明なところが何とも楽しくて、このコンサートの動画を初めて見た時から私にとってはずっとお気に入りの一曲になっていたのだった。


Gimme All Your Lovin'

しかしながらZZトップの元歌の歌詞を読んでみると、これが今までこのブログで取りあげてきた600を越える楽曲の中でも一二を争うぐらいに、えげつない歌だったのである。ヒゲを生やしたフロントの二人の仙人的な風貌から、ZZトップというのはもっと枯れた人たちだろうという印象を勝手に持っていたのだけれど、こんなにも脂ぎった人たちだったとは夢にも思わなかった。いずれにしてもこんな歌をただ翻訳したのでは、今回の記事はひたすらえげつないだけの内容で終わってしまう。なので少しでもえげつなさを希釈するためにハレルヤ的な側面から話を始めてみようかと試みたのだったが

…単に冗長になってしまっただけな感じもする。原曲にハレルヤ的な要素は全く含まれていないし。以下、試訳になりますが、えげつないのがキライな人はここから先は読まない方がいいと言いたくなるぐらい、えげつない歌です。

…ちなみに「えげつない」という言葉は「えげつ」が「無い」という意味ではなく、「せつない」や「ざんない」がそうであるのと同様に、どちらかと言えば「えげつ的である」「えげつな感じがする」という意味を持った言葉なわけですね。しかしながら「あじけない」や「やるせない」になると明らかに「味気」や「遣瀬」が「無い」という意味なわけですから、日本語というのは複雑ですね。

…本題に入りたくないのか私は。ないのだな。


Gimme All Your Lovin'

Gimme All Your Lovin'

英語原詞はこちら


I got to have a shot
Of what you got
It's oh so sweet
You got to make it hot
Like a boomerang I need a repeat

おまえの受け取る分を
さあぶっ放さなきゃ。
そりゃあもうスイートなもんだ。
おれをホットにしてくれよな。
ブーメランみたいにおれは
復活しなくちゃいけないんだ。


Gimme all your lovin'
All your hugs and kisses too
Gimme all your lovin'
Don't let up until we're through

おまえの愛し方の
すべてをおれにくれ。
全部のハグと全部のキスもだ。
おまえの愛し方の
すべてをおれにくれ。
最後の最後まで
離すんじゃないぞ。


You got to whip it up
And hit me like a ton of lead
If I blow my top
Will you let it go to your head

引っ叩いて元気にしてやってくれ
そして1トン分の鉛みたいに重たいのを
おれにぶちかましてくれ。
もしもおれが
先っちょを吹っ飛ばしちゃったら
おまえの頭のてっぺんまで
行かしてやってくれるかい。


Gimme all your lovin'
All your hugs and kisses too
Gimme all your lovin'
Don't let up until we're through

おまえの愛し方の
すべてをおれにくれ。
全部のハグと全部のキスもだ。
おまえの愛し方の
すべてをおれにくれ。
最後の最後まで
離すんじゃないぞ。


You got to move it up
And use it like a screwball would
You got to pack it up
And work it like a new boy should

しっかり動かすんだぞ。
「変化球」なやつがするように
そいつを使いこなすんだ。
しっかり詰め込むんだぞ。
そして新入生の男の子がやるみたいに
そいつをしっかり働かせるんだ。


Gimme all your lovin'
All your hugs and kisses too
Gimme all your lovin'
Don't let up until we're through

おまえの愛し方の
すべてをおれにくれ。
全部のハグと全部のキスもだ。
おまえの愛し方の
すべてをおれにくれ。
最後の最後まで
離すんじゃないぞ。

=翻訳をめぐって=

  • You got to whip it up…男性自身を鞭打って活発な状態にしてくれ、という意味なのであろう。
  • And hit me like a ton of lead …騎乗位で全体重をかけてくれ、という趣旨のことを訴えているのであろう。
  • If I blow my top, Will you let it go to your head...顔にかけるけどかまわないか、ということを、Would youでなくてWill youだから、割とぞんざいな態度で確認しているさまが見てとれよう。書かなあかんのだろうかいちいちこんなこと。
  • And use it like a And use it like a screwball would…「screwball=変化球」は「精神病者」に対する差別表現として使われている言葉でもあるらしく、本当にロクでもない歌だと思う。
  • And work it like a new boy should…ここで「new boy」という言葉が使われている意味だけは、正直よく分からなかった「やり方も知らないくせに勢いだけはがむしゃらな童貞のごとく新鮮な気持ちでひたむきに」みたいな意味なのだろうか。て言っか気がつけば真面目に考察している自分自身が私はひたすら情けない。


つくばねの唄

えげつなさにえげつなさで対抗してどうするのだという気がしないでもないけれど、えげつない歌です。日本の。ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released: 1983.3.23.
Key: F