華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

One Tree Hill もしくは一本松の丘 (1987. U2)


One Tree Hill

One Tree Hill

英語原詞はこちら


We turn away to face the cold, enduring chill
As the day begs the night for mercy love
The sun so bright it leaves no shadows
Only scars carved into stone
On the face of earth
The moon is up and over One Tree Hill
We see the sun go down in your eyes

昼が夜に慈悲と愛とを乞い求め
眩しいばかりに輝く太陽
それはどこにも影というものを落とさず
大地の表面の石の上に
刻みつけられているのは
ただ幾筋かの傷痕だけ
そんな中で私たちは寒さと向き合うために
凍るような冷たさをこらえながら
顔をそむけるのだ
一本松の丘の上に月がのぼってゆく
あなたの瞳の中に太陽が沈んでゆくのが
私たちには見える


You run like river, on to the sea
You run like a river runs to the sea

川のようにあなたは
海に向かって走り続ける
一筋の川のようにあなたは
海に向かって走ってゆく


And in the world a heart of darkness
A fire zone
Where poets speak their heart
Then bleed for it
Jara sang, his song a weapon
In the hands of love
You know his blood still cries
From the ground

そして心が闇に閉ざされた世界で
燃えさかる炎の領域で
詩人たちは自分の心を言葉にしたら
そのために血を流さねばならなくなる
そんな場所で
ヴィクトル·ハラは歌ったのだ
その愛の腕の中で
自分の歌を武器にして
わかるだろう今でも大地の底から
彼の血は叫び続けている


It runs like a river runs to the sea
It runs like a river to the sea

川のようにその歌は
海に向かって走り続ける
一筋の川のようにその歌は
海に向かって走ってゆく


I don't believe in painted roses
Or bleeding hearts
While bullets rape the night of the merciful
I'll see you again
When the stars fall from the sky
And the moon has turned red
Over One Tree Hill

絵に描かれたいくつものバラ
もしくは血を流すいくつもの心
そんなものをわたしは信じない
慈悲にあふれた夜が銃弾によって
凌辱されているようなときに
すべての星が空からこぼれ落ち
一本松の丘の上で
月が赤色に変わるとき
わたしはあなたに
もう一度会うことになるだろう


We run like a river
Run to the sea
We run like a river to the sea
And when it's raining
Raining hard
That's when the rain will
Break my heart

川のようにわたしたちは
海に向かって走り続ける
一筋の川のようにわたしたちは
海に向かって走ってゆく
そして雨が降り出したなら
それが激しい雨だったなら
その時こそわたしの心は
雨によって打ち砕かれてしまうことだろう


Raining, raining in the heart
Raining in your heart
Raining, raining to your heart
Raining, raining, raining
Raining to your heart
Raining, raining in your heart
Raining in your heart
To the sea

雨が降る
心の中に雨が降る
雨が降る
あなたの心の中に
雨が降る
あなたの心の中へ
雨だ 雨だ 雨だ
あなたの心の中へ
海に向かって
あなたの心の中に
降り続ける雨


Oh great ocean
Oh great sea
Run to the ocean
Run to the sea

ああ 大いなる海原よ
ああ 大きな海よ
走って行けばいい
走って行こう
海に向かって

=翻訳をめぐって=

日本語で「一本○○」という呼称にたえうる樹木はといえば、ほぼ「スギ」か「マツ」かのどちらかである。「一本ブナ」とか「一本ヒノキ」とか「一本クスノキ」とかは、言おうと思えば言えるのかもしれないが、そんな風に無理して言おうとでも思わない限り、ほぼ言わない。ぽつんと一本だけで立っている木があれば全部それがスギかマツかのどちらかであったりするはずはないのだけれど、とりあえず日本語的に「絵になる」樹木はということになると、スギかマツかのどちらかしかない、ということになる。「一本木」みたいな抽象名詞で「木が一本だけ立っている情景」を表現することにはムリがあるけれど、「一本杉」「一本松」ならそれが可能になるのである。奇妙な話だとは思うが、現実なのだから仕方がない。「木が一本だけ立っている情景」を日本語的にそれ以上抽象できないところまで抽象的に表現しようとした結果が、「一本杉」「一本松」という「二通りの表現」であるという話になるのだと思う。

じゃあどうしてその二通りの表現が「必要」になるのかといえば、同じ「木が一本だけ立っている情景」ではあっても「一本杉」と「一本松」ではそこから連想されるイメージがまるで違ってくる、というのが恐らくは原因だろう。スギは真っ直ぐでトンガってるけど、マツは曲がっていて丸っこい感じである。そしてあらゆる樹木のシルエットは、大別すればその「どちらか」にしかならないのである。だから「一本杉」と「一本松」は、そうした二通りの樹木の形状を代表させた抽象表現であると言っても、とりあえずは間違いにならないだろう。

そしてその上で「丘の上に一本だけ木が立っている情景」というものを具体的に想像してみた場合、「一本杉」ではどうも、安定感に欠けているような気がする。何だか土台の丘ごと根こそぎ倒れてしまいそうな危うさをたたえているし、絶賛落雷待機中みたいな不穏な気配も漂ってくる。「安定感」や「そこに流れる時間の悠久性」を表現したい場合、日本語的にはそこはどうしても「一本松」でなければならないだろう。いやまあ事実に即して言うならば、日本の樹木で一番長い樹齢を保っているのは屋久島の杉の木であるわけだし、松というのは植えても実際何十年もしないうちに枯れてしまうものではあるわけなのだけど。

U2のこの歌の場合、まずアルバムタイトルになっている「ヨシュア·ツリー」という「木」そのものが、極めて「ぐにゃぐにゃ」な形状をしているのである。その姿が「砂漠の真ん中で体を屈めて祈る人」を連想させるから、旧約聖書の登場人物の名をとって「ヨシュアの木」と呼ばれるようになった、ということが言われている。その文脈の中での「One Tree Hill」という歌であるわけだから、その情景を絵的に再現できる日本語表現はといえば、その木がマツであろうとあるまいとやっぱり「一本松の丘」以外にありえないだろう。と私は考えたのだった。

そのことの上で調べてみたら、実際にこの歌のモデルとなった「丘」の上に立っていたその「一本の木」は、材木業界では「ニュージーランドマツ」と呼ばれている「ラジアータパイン」という木だったことが分かり、私はますます自分の翻訳に胸を張っていいのだ、ということを教えられる結果となった。うーむ。自慢がしたいのか何が言いたいのかよく分からない言い方になってしまったが、とにかく事実としても「One Tree Hill」は「一本松の丘」に他ならなかった、というお話である。



さて、関係資料によるならば、この歌はU2のアシスタントをしていたグレッグ·キャロルという人の思い出に捧げられた歌なのだという。グレッグ氏はニュージーランドの先住民であるマオリの出身で、U2がツアーで南半球に来た時に現地スタッフとして雇われて以降、メンバーと気が合ったことからフルタイムでU2と行動を共にしていたらしい。ライブ·エイドの映像の中で、ステージの上でボノにマイクを手渡している男性が、グレッグさんなのだとのことである。

グレッグさんは「Joshua Tree」が発表される前年の1986年に、ダブリンで交通事故に巻き込まれて亡くなった。この歌のタイトルになっている「One Tree Hill」は、グレッグさんの故郷であるニュージーランドのオークランド(Auckland)に、実在している丘の名前なのだという。マオリの言葉では「マウンガキエキエ(Maungakiekie)」と呼ばれる聖なる場所で、その頂には「One Tree Hill」という英語の呼称の通り、一本のラジアータパインの木が立っていた。もっともWikipediaによるならば、その木は19世紀になってヨーロッパから入植してきた人間たちによって植えられたものであり、もともとそこに生えていたのはマオリの言葉で「トータラ(tōtara)」と呼ばれる、同じくマツ科の聖なる樹木だったのだという。「翻訳をめぐって」の見出しの下に貼りつけたモノクロの写真が、グレッグの案内によりU2のメンバーが登った当時の「One Tree Hill」の姿である。

写真の向かって右側、「一本松」の隣にはその木よりも遥かに高い記念碑がそびえているが、この碑はオークランドの街の「創建の父」と呼ばれるジョン·ローガン·キャンベルというスコットランド出身の入植者が、「滅びゆく民族であるマオリ」のことを「記念」して「マオリのために」建設した石碑であるのだという。こんなにデタラメな話はないわけで、キャンベルの死後の1930年に石碑が除幕された際にはマオリの人々からの抗議にさらされ、1840年にイギリス王室とマオリとの間に締結された「ワイタンギ条約」を記念する内容に文言が書き換えられたとWikipediaにはあった。とはいえ「ワイタンギ条約」は、文字を持たず「主権」という概念も持っていなかったマオリの人々を欺く形で締結された「主権割譲条約」だったわけであり、マオリの人々にとってそれが「屈辱の象徴」であり続けていることに、変わりはないのではないかと思う。その丘の上にU2の面々を案内したグレッグ氏が、その記念碑とラジアータパイン、そして眼下に広がるオークランドの街を眺めながら、どんな話をかれらに聴かせたのかまでは、資料がなかったので私には分からないのだけど。

その後、この丘の上にあったラジアータパインの木は、1994年のニュージーランドの「独立記念日」に政府によるマオリ政策に抗議する活動家の人からチェーンソーによる攻撃を受け、2000年にも同様のことが繰り返されて、現在では切り倒されてしまっているのだという。それについて私がコメントすることは、特にない。この歌がグレッグ·キャロルという人とU2のメンバーとの間に結ばれた個人的な思い出を記念する歌である限りにおいては、その木がその後どうなろうと特に関係のない話だと言えるだろうし、またそこから進んでヨーロッパの人間とマオリの人々との関係の未来とかいったことにまで想いを馳せて作られた作品であるならば、木が切り倒されたことはむしろ「よかった」ことだと言えるだろう。いずれにしてもこの歌に関しては、「残り続けて」ゆくはずだからである。


Victor Jara -Venceremos

曲中に出てくる「ヴィクトル·ハラ」は、チリの民衆歌手の名前である。「アメリカの裏庭」として抑圧のもとにおかれてきた中南米の国々の歴史のあらましについては「Bullet The Blue Sky」の回で簡単に触れたが、その中にあってチリという国では1970年に選挙を通じて合法的に社会主義政権が成立し、「血を流すことのない改革」への道が開けたのではないかということで、世界中からの注目を集めていた。だがその「実験」は、1973年9月11日にアメリカの支援下で行われたアウグスト·ピノチェト将軍の軍事クーデターにより、悲劇的な結末を迎えることになる。ピノチェトは社会主義を掲げた前大統領のアジェンダを処刑し、彼を支持した民衆への「大粛清」を開始した。

ヴィクトル·ハラはその過程で捕らえられ、多くの民衆と共にチリ·スタジアムへと連行される最中、一緒に捕まった人々を励ますために「ベンセレーモス(敵を打ち負かす)」という革命歌を歌い続けたがために、軍人たちによってその場で虐殺された。軍人たちは「二度とギターを弾けないようにしてやる」と叫びながら彼の両手を撃ち砕き、それでも歌いやめなかったために民衆の面前で彼を射殺した。というエピソードを、この人の「平和に生きる権利 (El derecho de vivir en paz)」という歌をカバーしたソウルフラワーユニオンのアルバムのライナーノーツで、昔読んだことがある。Wikipediaによれば現場の詳細はそれとは違っていたらしいのだが、大きな事実に変わりはない。

いずれこの人やその歌についてもこのブログで取りあげてゆける機会があればと思っているのだが、スペイン語はほとんど分からないので、今の私には独力では難しい。心ある読者の方に協力してもらえればと思う。

ではまたいずれ。


=楽曲データ=
Released:1987.3.9.
Key: C