Spanish Caravan
英語原詞はこちら
Carry me Caravan take me away
Take me to Portugal, take me to Spain
Andalusia with fields full of grain
I have to see you again and again
Take me, Spanish Caravan
Yes, I know you can
キャラバンよ
ぼくを乗せておくれ。
遠くまで
連れて行っておくれ。
ポルトガルに
連れて行っておくれ。
スペインに
連れて行っておくれ。
実りの国の
アンダルシア
ぼくは何度でも
繰り返しきみに
会わなくちゃならない。
スペインのキャラバンよ
連れて行っておくれ。
連れて行ってくれるんだよね。
Trade winds find Galleons lost in the sea
I know where treasure is waiting for me
Silver and gold in the mountains of Spain
I have to see you again and again
Take me, Spanish Caravan
Yes, I know you can
貿易風が見つけるのは
海に沈んだガリオン船団。
ぼくにはわかる。
宝物がぼくを待っている。
スペインの山の中の
金と銀。
ぼくは何度でも
繰り返しきみに
会わなくちゃならない。
スペインのキャラバンよ
連れて行っておくれ。
連れて行ってくれるんだよね。
=翻訳をめぐって=
フラメンコギターの名手だったドアーズのギタリスト、ロビー・クリーガーの作った曲。もっとも海外サイトを見てみると、「曲はいいけど歌詞がいまいち」「やっぱりジムの詩と比べるとね」等々と、かなり酷評されているのが目につく。私、歌詞の雰囲気も含め、結構好きだったのだけどな。この曲。むかし初めてライブハウスのオーディションというものを受けた時に、歌ったのが実はこの曲だった。あんまり個人的なことをここで書くつもりはないのだけれど。
それにしてもドアーズの楽曲で、「これはジムの曲」「これはロビーの曲」といったようなことは、そんなにキレイに区別できるものなのだろうか。むかし見たドアーズの映画 (オリバー・ストーン監督のやつ) では、ロビーが「こんな曲を作ってきたんだ」と歌い出したフレーズにジムがその場でどんどん新しい歌詞を付け足して「ハートに火をつけて」ができあがってゆくまでの様子がものすごくドラマチックに再現されていたのだけれど、ドアーズの曲というのはみんなそんな風に「合作」されたものなのだと私は思っていた。確かに歌詞の中に「ジムモリソン的なフレーズ」はあまり見当たらないにしても、ジムが納得して歌っていた以上、やっぱり「ドアーズの曲」ということでいいのではないかと私は思う。「Tell All The People」だけは例外にしたい気持ちなんですけどね。
ところで「Spanish Caravan」というこの歌のタイトルには、一体「どういうもの」がイメージされているのだろう。英語のままでも何となく分かる感じがするから、今まで特に考えずに来たのだけど、いざ日本語に訳してみようとすると途端に分からなくなってしまい、結局「キャラバン」と音訳することになってしまった。
「キャラバン」という言葉はペルシア語の「カールヴァーン」の音訳であり、日本語では「隊商」という訳語が宛てられている。それがどういうものだったかというと
キャラバンは商品の輸送中に盗賊団などの略奪、暴行などの危険から集団的に身を守り、商品の安全やいざというときの保険のために、複数の商人や輸送を営む者が共同出資して契約を結ぶことによって組織されていた。
そのためキャラバンは、その指揮者、事実上の「隊長」の指揮のもとに隊列を組んで一貫した統一行動をとることが要求され、「隊長」が、水場や旅程、停泊などを日程を決定し、キャラバン隊は全員それに従った。
西アジアのキャラバン交易は砂漠の気温が極端にあがる夏は避けられ、年間3~4回程度、春と秋に行われた。主にイスラム地方を回る商人が多かったが、キャラバンはさまざまな文化が交流・融合するきっかけともなった。
キャラバン - Wikipedia
…要するに

のイメージなのである。スペインにラクダはいない。また海路ならともかく、陸路でそうした長距離の旅をする商人団の存在は、スペインの歴史上では確認することができない。だからここに「隊商」という訳語を宛てることは、できないと思った。
一方、この「カールヴァーン」のイメージから、アメリカではいわゆる「ほろ馬車」のことも「キャラバン」と呼ばれているらしい。「西部開拓」と銘打った、先住民の人々が暮らす土地への侵略と征服の時代に、大々的に使われていたあの乗り物のイメージである。

ドアーズは何しろアメリカのバンドで、かつ西部でも一番西の果てのカリフォルニアのバンドなのだから、ジムやロビーがこの歌詞の中で思い描いていたのはこの「ほろ馬車」のイメージだったのかもしれない。しかしそれに「スペインの」キャラバンという限定条件をつけられると、いっぱい?マークがついてくる。それって一体どういう「ほろ馬車集団」なのだろう。しかも歌い手はその集団に、スペインやポルトガルに連れて行ってくれと頼んでいるのである。ロサンゼルスのベニスから。
船、乗れよ。
という話にしかならないではないか。どうしても陸路でスペインに行きたいのなら、せめてまずフランスに行くことだ。そこからしか行けないのだから。ちなみに国境にはものすごく峻険なピレネー山脈があるぞ。


…こういうのが「野暮な詮索」でしかないことは、分かっている。いいだろうさそりゃ歌なんだから別に時空を越えるキャラバンや虹の橋を渡るキャラバンがあったとしても。しかし問題は「そのキャラバンって何やねん」ということなのである。それが分からなきゃ虹の橋だって渡らせようがないではないか。「何となく分かるからいい」という話にはならないのだ。そういう一知半解が一番よくない。
たとえばですよ。むかし中学校の「国語」の時間に聞いた話なのだけど、
古池や 蛙飛び込む 水の音
という松尾芭蕉の俳句がある。明治政府の「お雇い外国人」だった小泉八雲ことラフカディオ・ハーンはこの句にいたく感銘を受け、英訳して海外に紹介してくれた。のはいいのだけれど、その英訳というのが
Old pond / Frogs jumped in / Sound of water.
…となっていたらしいのである。ハーン氏はかなり困ったことをしてくれたと思わないだろうか。確かに原文に、蛙が単数か複数かを示す情報はない。そこは読み手の想像に委ねられていると言えば、言えるのかもしれない。しかし日本語話者の感覚からすればこの「水の音」は絶対に「ぽちゃん」であり、「だばだばだば」ではないのである。もしこの英訳を読んで「いいね」と言う英語話者がいるとすれば、その人は我々と違うことを「いいね」と思っているのであり、「分かる」と言う人がいるとすれば、その人は我々と違うことを「分かって」いるのだ。そういうのって、困るではないか。単純に「分からない」ことよりも、いっそう話をややこしくしてしまっているではないか。そういうのが「異文化理解」なのだという話にでもなれば、そこには幻想しか存在しないことになってしまう。
「キャラバン」という言葉にしたって、そうなのだ。確かに21世紀に生きる我々の周りには、日本に暮らしていたって日産キャラバンからホリプロスカウトキャラバン(…20世紀?)に至るまでいろんな「キャラバン」が溢れており、少なくとも言葉の響きだけは「耳慣れた」ものとなっている。しかしだからと言ってドアーズの歌う「キャラバン」も何となく「そういうものだろう」ぐらいに考えていたら、思わぬ「行き違い」があるかもしれないのである。ロビーは絶対に「何らかの具体的なイメージ」を持って、この曲を作ったはずだ。「何となく分かったつもり」でいただけでは、いつまで経ってもそのイメージにたどり着くことができなくなってしまうのではないだろうか。
…落ち着こう。だんだん自分でもどういうことを言いたかったのか分からなくなってきてしまった。
今回の記事の一番上に貼りつけた画像は、カナダの女性の絵描きさんが「Spanish Caravan」というタイトルでネット公開していた作品を転載させてもらったものである。この絵を見る限りこの人の「キャラバン」に対するイメージは、「ほろ馬車」と言うよりもロマの人たちが生活と移動の手段にしている「荷馬車」に近いものであることが分かる。(「ジプシー」という言葉については、以前にこの記事で書いた通り、部外者が使っていい言葉ではないと考えています)。こうした乗り物で隊列を組んで旅をしている人々の一団をイメージするのが、結局この歌の「キャラバン」に一番近い形になるのではないかという気がする。少なくともこの歌にインスパイアされた英語話者の絵描きさんのイメージは、こうなのである。
というわけで「スパニッシュ·キャラバン」は、「隊商」と言うよりは「旅芸人の一座」に近いものではないかというのが、このブログでの一応の結論です。結論と言うか、仮説です。きっと、フラメンコを踊る人とか、曲芸を見せる人とか、乗ってるのだと思います。でも、もしそうだとしたら、あまりにステレオタイプなイメージなので、好きになれない気がします。とはいえ、「もしそうだとしたら」で「好きになれない」とか言ってしまうのもデタラメな話なので、結局私には何も言えなくなってしまいます。
私には、何も分からないのです。
アンジー 庄屋の倉
庄屋の倉には金銀すなごの山だ、の「金銀すなご」を訳詞に使いたかったのだけど、そうすると「すなご」がウソになってしまうので、結局「金と銀」という訳詞にしかできなかった。でも、「金と銀」って、すごください。「翻訳をめぐって」にいろいろ書いたことも何ら具体的な結論にたどり着けなかったし、いろんな意味でスッキリしない記事になってしまったな。でも、こういうことも時にはある。200曲まであと2曲。ではまたいずれ。
