華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Caravan もしくはつったーん!(1970. Van Morrison)



私がこれほど憧れたライブ映像、これほどカッコいいと思ったライブ映像、これほど何度も繰り返し見たライブ映像には、自分がたとえこれから何十年生きることになったとしても、絶対に二度と出会えないと思う。

昔ビデオテープを何回も巻き戻して見ていたその映像を、改めてYouTubeで見直してみる。子どもだった頃には分からなかったいろんなヴァン・モリソンの「カッコ悪さ」を、分かる年齢になってしまった自分がいることに気づく。まず紫の上下のスーツというのが、ありえない。その背中にスパンコールがキラキラしていることに至っては、それを縫いつけた人の気持ちというものを到底理解することができない。ジャケットの下に着ているTシャツだかタンクトップだかも、どうしてわざわざそんなに中年体型を強調するものを選んでしまったのかと、傍ら痛くなってしまう。そしてどうしても目に飛び込んでくるのが、頭髪の密度のさびしさである。この時、31歳だったんだな。自分が若かった時には年上の人間の頭髪の密度なんて知ったことではなかったのだけど、映像の中の彼氏の年齢を追い越してしまってから改めて見ると、その若さでなあ辛かったろうなあ、髪質の柔らかい人は早いって言うんだよなあと、じわっと来るものを覚えてしまう。

にも関わらずヴァンモリソンがひとたび歌い出すと、そのカッコ悪さは全部「カッコよさの要素」に変わってしまう。これほどカッコ悪いからこそこの人はこんなにカッコいいのだと心から思えてしまう瞬間、つまり言葉というものから意味が失われてしまう瞬間が、たちまち訪れる。そのカッコ悪さが分かれば分かるほど、演奏はますますカッコよく見えてくる。ということは今の自分は昔の自分よりもっと、この人のことをカッコいいと感じているのだということに気づく。そんな気持ちにさせてくれた人が、ミュージシャンであろうとなかろうと誰でもいい。他に1人でもいただろうか。やっぱりこの人の他には、私には1人も思いつかない。

そういえば何年前のことだったか、ブラックマヨネーズの小杉さんの姿をテレビで見るたびにヴァンモリソンのことを思い出してしまう一時期があったことを、今になって思い出した。あの人も昔はシュッとしてかいらし服着て割かし行けてる外観をしてやはったのだけど、いつの間にかああなったりそうなったりして、今ではあんな風な感じになってはることは周知の事実なのだ。しかし「Caravan」のヴァンモリソンを思い出すなら、そんなことが何のマイナス要素になるものかと強く思う。年下の自分が断言させてもらうのも僭越な話だが、あの人もヴァンモリソンも絶対「歳を取れば取るだけ良くなるタイプ」の人なのだ。子どもの頃の私はひたすらジムモリソンに憧れていたものだったけど、オトナになってから憧れるならやっぱりヴァンモリソンなのである。第一どれほど憧れ続けていたいと願ったところで、27歳より長生きしてしまった人間にはもう二度と「ジムモリソンになる」ことはできないのだから。

…もしも「ラスト・ワルツ」を一度も観たことのない方が読んでいらっしゃったら、放ったらかしにして話を進めるわけにも行かないので、まずは動画を見て頂きたいと思う。その上で「そんなに大騒ぎするほどのもんか?」とか思われる方がいらっしゃったら、この記事は別に最後まで読んで頂かなくても結構です。あなたの人生には多分、早すぎたか遅すぎたかの、どちらかなのでしょう。


Caravan (The Last Waltz 1976)

「どんぐりころころ」みたいな感じの短いイントロ (メロディではなく、映像的に) が鳴ると、ヴァンモリソンはいきなり全力で歌い出す。両眼は例によって、閉じられている。ザ・バンドのメンバーたちは、大はしゃぎである。何しろヴァンモリソンが人前のステージに姿を見せたのは、この時が2年ぶりだったとかいう話なのだ。それでこんなに堂々と歌えるものなのかと、まずはその事実に圧倒されてしまう。

最初の「ラァラァラッラー」を聞いた瞬間に、こんな歌を聞いたことは今までに一度もないと思った少年の頃の気持ちを、何度聞いても思い出す。こんなに早く盛り上がりが来ていいものなのだろうかと思ってしまうが、「もっと盛り上がる場面」がこの後には何度も何度も訪れる。「まだ上がれるのか?」「まだ上がれるのか?」とこれほどまでにハラハラドキドキさせてくれる歌というのは、この歌と近藤真彦の「ケジメなさいアナタ」ぐらいのものである。いや、いま言ったことは忘れてほしい。この歌の他にはひとつも知らない。

「Switch on your electric light (電気をつけてくれ)」という歌詞をヴァンモリソンがつぶやくたびに、ドラムのリヴォン·ヘルムが「かこん」とカウベルを鳴らす。そういう細かいことのひとつひとつに、いちいち「霊」を感じる。「霊」というのは「スピリッツ」という言葉の訳語としての「霊」で、普段の私ならそういう宗教がかった言葉を使うことは絶対に避けて通りたいところなのだけれど、この歌に関してばかりは、歌の世界が作り出す空間のあらゆるところにそういうものが充満していることを、認めてしまわずにいられない。たとえアタマがそれを認めることを拒否しようとしても、カラダは明らかにその存在を感じ取ってしまうのである。

この伝説のステージのあらゆる瞬間を文字にして切り取ってみたい気持ちにかられる人は、世の中で私だけではないらしく、下記の方の書かれた12年前の記事には、歌の中でヴァンモリソンとロビー·ロバートソンが「目と目で交わす会話」のやりとりをめぐる克明な描写がある。あれだけ何回も見た映像だったのにそういうところは私には全然見えていなかったから、こんな楽しみ方もあったのかということに素直に感銘を覚えた。もしもこの曲への愛から検索を通じてこの記事にたどり着かれた方がいらっしゃったら、ぜひ併せて一読されることをお勧めしたい。
yinamoto.hatenablog.com
そして「つったーん!」である。

「Turn it up, now! (ボリューム上げろ!)」というヴァンモリソンのかけ声に合わせてホーンセクションの音が跳ね上がった瞬間に、あの「伝説の蹴り」が飛び出す。U2のボノが「ロケットキック」と形容し、アメリカのガーディアン紙は「ロックンロール·キック」と評し、YouTubeのコメント欄では「史上最低高度のハイキック」と名づけた人に大喝采が湧いていたあの蹴りである。母親の部屋の三面鏡に姿を映しながら、何度マネしたことだったろう。

「伝説の蹴り」は「つったーん!」のたびに都合8回、繰り返されているはずである。しかしマーティン・スコセッシのカメラはなかなかヴァンモリソンの全身像を見せてくれない。ようやく我々がその全容に触れることができるのは5回目の「つったーん!」である。何というカッコの良さでありかつまたカッコの悪さなのだろうか。あの蹴りの1発ごとに、比喩ではない。時間が止まってしまうのだ。世界から重力もなくなってしまうのだ。演奏している人たちもどうして自分たちにそういう演奏ができているのか、あの瞬間には絶対わからなかったに違いないと思う。

そしてヴァンモリソンは一度も振り向かずにステージを去ってゆく。そして彼の姿が消えた後に一回だけ「つったーん!」が繰り返されると、永遠に続くかに思われた演奏がそこで奇跡のように完璧な形で終わる。ザ・バンドのオリジナルメンバーを含め、演奏している人間は10人では効かなかったはずなのに、どうしてその全員に「ここで終わりだ」ということが、分かったのだろう。「こうやって終わらせるのが正しい形だ」ということが、「同時に」分かったのだろう。本当に、奇跡だと思う。

そんな歴史的名演の舞台で、ヴァンモリソンは一体「どんなこと」を歌っていたのだろうか。実は私にも今まで漠然としたイメージがあっただけで、本当のところは今回翻訳してみるまで全然わかっていなかったのである。

理由は、いくつかある。まずこの曲のオリジナルは1970年に発売された「Moondance」という彼の2枚目のソロアルバムに収録されているのだが、ラストワルツで歌われているバージョンは「Moondance」で歌われているものとはあちこちで歌詞が違っている。それなのにラストワルツの歌詞カードにもネットを検索して見つかる歌詞にも「Moondance」と同じ歌詞しか書かれていないから、「実際のところはどう歌っているのか」ということがずっと分からなかったのである。今回いろいろ探してみて、なぜか中国の歌詞サイトである「魔鏡歌詞網」というサイトでだけ、ラストワルツのバージョンの正確な文字起こしを試みているテキストを見つけることができた。それによってあのステージの歌詞世界の全体像というものを、ようやく私にもおぼろげながら思い描くことができるようになった。

第2に、メロディからは無限の「風景」が浮かんでくるのだけれど、歌詞の言葉だけからこの歌の「風景」を正確に頭に描くことは、思いのほか難しい。「旅芸人の一座の中にいるヴァンモリソン」と「ラジオを聞いているヴァンモリソン」がどこでどういう風に入れ替わるのか、それとも同時進行の風景なのか。なかなか見極めにくい。(なお、前回からの繰り返しになりますが、「ジプシー」という言葉については以前にこの記事で書いた通り、部外者が使っていい言葉ではないと考えています。ヴァンモリソンが「ジプシー」という言葉を使っているからと言って、それを非難できるほどには、私はロマの人たちの気持ちを知っているわけではありません。けれども「ヴァンモリソンが使っているから自分も使う」ということには、やはりならない話だと思います)。また歌の主人公の周りには誰がいるのか、そもそも彼は何歳ぐらいの人間なのかといったようなことが、私にはずっと確定できなかった。しかしこのことも、今回この歌の誕生にまつわるいろんなエピソードをネットでいろいろ見つけることができたおかげで、ある程度のイメージは思い描けるようになった。ただ一点だけ確信の持てない歌詞が残されているのだが、以下が今回そうした情報に一通り目を通した上で、私が作ってみた試訳である。

Caravan

英語原詞はこちら


And the caravan is on it's way
I can hear the merry gypsy play;
Mama, mama look at Emma Rose,
She's a-playin with the - radio.
La, la, la, la... la, la, la. X2

そしてキャラバンが近づいてくる。
陽気な旅芸人たちの演奏が聞こえる。
ママ、ママ、エンマ·ローズを見てみろよ。
ラジオに合わせて、やってるところを。
ラ、ラ、ララ…ララーラ
ラ、ラ、ララ…ララーラ


Yeah, the caravan is painted red and white;
That means ev'rybody's staying over-night;
and the barefoot gypsy boys -round the campfire sing and play,
And the woman tells us - all her ways
La, la, la, la... la, la, la. X2
dadt, dadta,da, dadta,da-

キャラバンは赤と白とに塗られている。
みんな今夜は一晩中起きてるってことだ。
裸足の旅芸人の少年が
キャンプファイヤーの周りをぐるぐるしながら
歌ったり楽器を弾いたりしている。
そして一人の女性が我々に
そのやり方というものを教えてくれる。
ラ、ラ、ララ…ララーラ
ラ、ラ、ララ…ララーラ
だっだっだーだら…


Turn up -your radio
and let-a-me, let-a-me, let-a-me -hear the song;
Switch on your electric light;
now we can get down -to what's really wrong;
I want -just to hold you in my arms -so that I can, I can feel you;
Sweet lady of the night - I shall reveal you.

お前のラジオの
ボリュームを上げてくれ。
そしておれに、おれに、おれに、
あの歌を聞かせてくれ。
お前の電気のスイッチを入れてくれ。
そしたらおれたちはおもむろに
とっても悪いことに取りかかることができる。
おまえをただ思いきり腕に抱きしめたい。
おまえを感じることが
感じることができるように。
素敵な夜のレディよ。
今夜こそおまえの正体を見せてもらうぞ。


F2O (or-Gypsy Rose)
Turn it up, turn it up, -little bit high –radio;
Turn it up, that's enough, -so you know, -its go soul.
La, la, la, la... la, la, la. X2

(ジプシー·ローズ!)
ボリューム上げろ。
もっとでっかく。
もうちょっと大きく。
ラジオ。
音量あげろ。
オッケーだ。
わかるだろ。
魂わしづかみだ。
ラ、ラ、ララ…ララーラ
ラ、ラ、ララ…ララーラ


And the caravan has all my friends –(all right)
and they'll stay with me until the end;
Gypsy, gypsy, gypsy, gypsy Rōbin, -Sweet Emma Rose-, tell me
Tell me everything –I, I need to know
La, la, la, la... la, la, la;
La, la, la, la... (o-baby) la, la, la.

そしてキャラバンには友だちがいっぱいだ。
みんな最後まで
おれと一緒にいてくれる。
ジプシー、ジプシー、ジプシー·ロビン
それに素敵なエンマ·ローズ
教えておくれ。
すべてを教えておくれ。
おれは、知らなくちゃいけない。
ラ、ラ、ララ…ララーラ
ラ、ラ、ララ…ララーラ


Turn up - your radio –
and let-a-me, let-a-me, let-a-me -hear -the song;
Switch on your electric light;
then we can get down to what's- really wrong, (X5)
I long - just to hold you in my arms - so that I can, I can feel---
Sweet lady of the night - I shall reveal ya.

お前のラジオの
ボリュームを上げてくれ。
そしておれに、おれに、おれに、
あの歌を聞かせてくれ。
お前の電気のスイッチを入れてくれ。
そしたらおれたちはおもむろに
とってもとってもとってもとっても
とっても悪いことに取りかかることができる。
おまえをただ思いきり腕に抱きしめたい。
感じることが
感じることができるように。
素敵な夜のレディよ。
今夜こそおまえの正体を見せてもらう。


F2O- (Gypsy Rose)
Turn it up, turn it up,- little bit high, -radio;
Turn it up, that's enough, so you know -it's got soul;
so you know ----(soft)
so you know it's got -soul baby!—(guitar solo)
so you know it's got…(guitar solo)
sab a bib a bib a bub a da ba da -sib a bub a da- sib a bu-ba da–
so you know it's got soul; (horns soft)
so you know it's gotten out a bit soul; (horns soft)

(ジプシー·ローズ!)
ボリューム上げろ。
もっとでっかく。
もうちょっと大きく。
ラジオ。
音量あげろ。
オッケーだ。
わかるだろ。
魂わしづかみだ。
わかるだろ。(やさしく)
わかるだろ。魂わしづかみなんだ。
(ロビー·ロバートソンのギターソロが始まる)
わかるだろ。わしづかみ…
(ギターソロは続く)
さばびばびばぶばだばた
しばぶばだ
しばぶばた…
わかるだろ。魂わしづかみなんだ。
(ホーンがやさしく鳴り始める)
わかるだろ。
魂ちょこっと持ってかれちまったんだ。
(ホーンはやさしく鳴り響く)


Turn it up now!
(horns loud)Yea Yea mama!
Do the one more time-
(horns loud)--O Lord!
Do the one more ti-
(horns loud)
So you know
(horns loud)– its got nuff
Do the one more time-
(horns loud) kick it!
Do the one more time-
(horns loud)
One mo-
(horns loud)
Do the one more time-
(horns loud)
Do th-
(horns loud)
Do the one more time-
(horns loud)
Thank ya.
(horns loud X2)

もっとでっかく!
もしくは音量あげろ!
もしくは上げていけ!
もしくは上を向け!
もしくはそれを上向きにさせろ!

(つったーん!)
そうだそうだママ!
もう一回行ってみよう!
(つったーん!)
おお神よ!
もう一回行って…
(つったーん!)
わかるだろ…
(つったーん!)
オッケーだ。
もう一回行ってみよう!
(つったーん!)
蹴飛ばせ!
もう一回行ってみよう!
(つったーん!)
もっかい…
(つったーん!)
もう一回行ってみよう!
(つったーん!)
もかい…
(つったーん!)
もう一回行ってみよう!
(つったーん!)
ありがとよ。
(つったーん!)
(みみーれしれ。れみーれしれ。しーらそそ)
(つったーん!)
(みみーれしれ。れみーれしれ。しーらそそ!)

=翻訳をめぐって=

私は長らくこの歌の主人公を、少年なのだと思い込んでいた。1番の歌詞で彼は「ママ」に向かって呼びかけているからである。だもんで後半のどう考えてもアダルトな雰囲気の漂う歌詞との整合性が分からず、歌の風景というものを思い描くことができずにいた。

だが、私自身このかんブログを通じてみなさんと一緒に勉強してきたように、「ママ」という言葉には3つぐらいの意味が存在している。ひとつはフツーに「母親」を意味するママ、それに「素敵な女性」への呼びかけとして使われるママ(「ルイジアナ·ママ」のママ)、そして成人男性が自分の結婚相手を呼ぶ時のママ(「天国の扉」のママ)である。この歌の「ママ」はどうやら3つ目の「ママ」であるらしいことが、歌の成立過程の話を通じて、分かってきた。

ヴァンモリソンはこの歌を20代後半の時、生まれ故郷のアイルランドを離れ、ニューヨーク近郊のウッドストックで新しい家族と生活を始めた頃の思い出をもとにして作ったのだという。当時の(今もかもしれないが)ウッドストックは大変な田舎で、「隣の家」さえ何キロも離れた場所にあるようなところでヴァンと家族は暮らしていたらしいのだが、夜になるとその「隣の家」と思しきあたりから、風に乗って「ラジオの音」が聞こえてきたらしいのである。ヴァン自身はその「不思議な思い出」を、以下のように語っている。

I could hear the radio like it was in the same room. I don't know how to explain it. There was some story about an underground passage under the house I was living in, rumours from kids and stuff and I was beginning to think it was true. How can you hear someone's radio from a mile away, as if it was playing in your own house? So I had to put that into the song, It was a must.
まるで同じ部屋にいるみたいに、ラジオが聞こえてきたんだ。どう説明したらいいか分からない。あの頃、おれの住んでた家の地面の下には「抜け道」が通ってるっていう子どもたちや何かの噂があったんだが、そのうちおれもそれは本当なんじゃないかって気持ちがしはじめた。どうして何マイルも離れた場所で誰かがかけてるラジオの音が、自分の家で鳴ってるように聞こえるわけがあると思う?だからおれは、歌の中にそのことを入れなきゃならなかった。それは、マストだった。

…本当に静かな環境では、海辺に打ち寄せる波の音でさえ20〜30キロ離れた内陸でも聞こえるという話を、とある静かな場所で聞いたことがあるから、ウッドストックが本当にど田舎だったのなら、それは何も神秘なことではなくフツーにあったことなのだろうと私は思う。とまれ、実際にそのラジオの音を人里離れた場所で初めて耳にした時の「不思議な気持ち」というものは、想像するに難くない。いずれにせよこのエピソードは、子どもたちの噂話に出てきたという「地下の秘密の通り道」のイメージまで含め、「Caravan」という歌にまつわる多くのことを我々に教えてくれる。

つまりこの歌の風景にあっては「ラジオの音」だけが「現実のもの」であり、その音を運んでくる、あるいはその音と一緒にやってくる「旅芸人の一座」の存在は、あくまでヴァンモリソンの想像の中で形作られたイメージなのだと思われる。「まるで同じ部屋にいるみたいに」聞こえてくる不思議なラジオの音に、ヴァンは「秘密の通り道」をにぎやかに演奏しながら近づいてくる「旅芸人の一座」の存在を、感じとっていたのだと思う。けれども現実の世界は人里離れた静寂の世界であり、現実にヴァンの前にいるのは好きで好きでたまらない自分のおよめさんである。これがキャラバンという歌の「風景」なのだと考えられる。

以下、そのイメージに沿って、訳詞の検討に移りたい。

And the caravan is on it's way
…”on it's way”の直訳は「その道の上にいる」だが、「目的地に向かっている」というニュアンスの慣用句である。荷物が配達中の時などに「It's on it's way」という言い回しが使われるから、「近づいてくる」というニュアンスで訳するのが正しいと思う。「そしてキャラバンは進む」という決然とした訳し方も、キライではないのだが。

Mama, mama look at Emma Rose,
エンマ·ローズとジプシー·ロビンは、架空の人名らしい。検索してみるとジュリア・ロバーツの姪御さんにあたるEmma Rose Robertsという人の名前が引っかかったが、この人が生まれたのは「Caravan」発表の20年も後である。たぶん本人かその名付け親の人が、この歌を好きだったのだろう。(なお、読み方の日本語表記は「エマ·ローズ·ロバート」となっていたが、自分にとっては何十年も親しんできた名前なので、エンマ·ローズさんで行かせてもらいます)
ヴァンは自分の連れ合いに「エンマ·ローズを見ろ」と呼びかけている。それは想像の中の旅芸人の女性(おそらくはシンガー)なのかもしれないし、あるいは現実に存在している自分たちの娘の名前なのかもしれない。飼っている犬の名前だった可能性とかもある。私の家にいた犬も、よくテレビの演歌に合わせて遠吠えしたりとかしてたからな。いずれにしてもこのエンマ·ローズさんに関して言える確かなことは、それが「ヴァンにもママにも見えている存在」だということだけである。

She's a-playin with the - radio.
エンマ·ローズ(女性)はラジオに合わせて「play」しているわけで、普通に考えると「演奏」だと思うが、「play」には他のいろんな意味もある。「やってる」と訳すのが日本語としても一番「正確」になると思う。

Yeah, the caravan is painted red and white;
キャラバンが赤白でペイントされているとどうして「オールナイト興行の目印」になるのかは、分からない。そう言ってるんだからそういうものなんだろうと思うしかない。て言っか「オールナイトでない時」は、どうするのだろうか。塗り直すのだろうか。何を塗り直すのだろうか。…いや、やめよう。「キャラバンって何やねん」に深入りするのは前回で懲りているので、ここでは歌詞に書かれていることの意味を確認するにとどめたい。いずれにせよこの2番の歌詞で、「キャラバン」のイメージはより具体的なものへと膨らんでいる。(なお、アルバム「Moondance」所載のこの歌のオリジナルバージョンでは、このライブバージョンにおける2番と3番の歌詞が入れ替わっている)

Turn up -your radio
…子どもの頃は全然わからなかったのだが、(そしてRCサクセションの歌の意味だって全然わかっていなかったのだが)、ここからしばらくの歌詞は完全に「雨上がりの夜空に」の世界なのである。ことによると「雨上がりの夜空に」の方が、この歌にインスパイアされる形で誕生していたのかもしれない。「Turn up」は音量つまみを右に回すイメージで、直訳は「お前のラジオのボリュームを上げろ」。でも、「もっと大きな声出していいんだぜ」という意味に受け取る人がいたとしても、それは全然非難されるべきことではない。ヴァンだってその方がいいに違いない。

now we can get down -to what's really wrong;
「今やぼくらは何が間違っているのかを本当に理解することができる」などという翻訳を見たことがあり、私も昔はそう思ってたのだけど、このwhatは関係代名詞なのである。get down toは「本腰を入れてとりかかる」という意味。「とっても悪いことを開始しよう」という歌詞なのだ。バービーボーイズの「さあどうしよう」という歌に、全く同じ言い回しが出てきたな。なお、この先の歌詞では極めてストレートな言葉で愛が歌われている。

F2O (or-Gypsy Rose)
「Turn it up」の連呼に入る直前に、ヴァンモリソンは歌詞カードに載っていない3音節の言葉をシャウトするのだが、その言葉が何と言っているのかが、この歌をめぐる最大の 「謎」である。私の耳にはずっと「Empty word (空虚な言葉)」と聞こえていて、「言葉なんてものに意味なんてあるか!」というメッセージをそこから受け取ったりしていたのだが、もとよりそんなのが「華氏65度の冬」にすぎないであろうことは、自分でも薄々わかっていた。

今回「魔鏡歌詞網」で初めて私はこの曲のライブバージョンの(英語話者によるものと思われる)文字起こしを見つけることができたのだが、他の部分は「なるほどそう言ってたのか」と全部納得できるにも関わらず、肝心のこの部分に書かれていたのは、想像を絶する文字列だった。「F2O (or-Gypsy Rose)」。一体どういうことなのだろう。

ヴァンモリソンは「F2O」もしくは「ジプシー·ローズ」と叫んでいる、ということなのだと思われる。恐らくこの文字起こしをした人にも、聞き取ることができなかったのだろう。それにつけても「ジプシー·ローズ」は何となくイメージが湧いてくる言葉だとして、「エフツーオー」は本当に分からない。「F2P」なら「free to play」の略語としてゲームなんかでもよく使われる表現らしいのだが、「F2O」は検索しても何も出てこない。音楽用語でも、ないと思う。この曲のコードはGなのだ。Fが出てくる余地はないから、演奏上の指示や符牒であるとも、考えにくい。

結局「言葉の体をなしているから」という理由だけで、試訳には「ジプシー·ローズ」を仮採用したのだが、しかし正直なところ、自分で聞いてみると「ジプシー·ローズ」とは絶対聞こえない。むしろ聞けば聞くほど、自分の耳にも「エフツーオー」と聞こえてくる。ここでヴァンが何と言っているかをネット上で話題にしている人が全然見つからないのは、すごく不思議なことに思える。とまれこの部分の正確な翻訳は、答えが見つかるまで保留にしておく他にない。

Turn it up
既出のように「音量あげろ」ということなのだが、このフレーズには本当に多様な意味がある。最も基本的には「上を向く」「あおむけになる/する」という意味。そこから転じて「調子が上向く」「胸を張る」「スピードを上げる」「出力を増大させる」などの意味で使われ、「ボリュームを上げる」もそこから派生した意味である。むかし私が大好きだった「ガンバの冒険」というアニメでは、主人公のネズミたちが気合を入れる時に「シッポを立てろ!」と叫ぶのだったが、あれを英訳するならさだめし「Turn it up!」になるのだと思われる。とにかくすべてに共通しているのは、「上を向かせろ」「上げろ」というニュアンスである。



従ってこの「Turn it up!」は、目の前の「ママ」に向かって「もっと大きく」とリクエストしているのと同時に、自分の体の中心部分に対しても「もっと大きく」「上を向け」と語りかけて気合を入れている言葉なのだと、解釈しうる余地もある。て言っか聞けば聞くほど、そういう意味にしか聞こえなくなってくるのである。いずれにしても味わい深いのは、それにも関わらず「Turn it up!」という言葉自体には1ミリのイヤらしさも存在していないという点であって、ぜひとも積極的に使ってゆきたいフレーズだと思う。

sab a bib a bib a bub a da ba da…
この部分はやっぱり「スキャット」だったのだということを確認できただけでも、私は「魔鏡歌詞網」に感謝したい。もしも「意味のあるフレーズ」だったらどうしようと、20年間ずっとモヤモヤしていたのである。それにしても「さばびばびば」などという不思議なスキャットの例を、私は他にひとつも知らない。



ステージを去ってゆくヴァンモリソンの姿を見送ったロビー·ロバートソンが「Van the man!」と叫ぶシーンは、このラストワルツというコンサート全体のハイライトのひとつでもある。「the man」は間投詞的に使われるスラングで、「やってくれたぜ!」「すごいや!」「オトコだぜ!」的な意味を持つ言葉なのだとのこと。以前、ネットの言語交換サイトで、アメリカ人の男性に日本語の「が」と「は」の使い分けか何かの質問に答えてあげた際、「Yeah, Nagi the man!」というコメントが返ってきて、「本当に使うんだ」とドキドキした経験が一回だけあるのだが、しかし字面を考えるとどう考えてもマッチョな表現なので、そういう言葉でホメられて舞い上がってしまう感覚というのは、考えものだと思う。聞けば「the man!」は女性に対しても使われうる言葉なのだそうだが、相手のことを「すごい」とホメるのに「the man」と言うなんて、相手が女性ならなおのこと失礼な話だ。こういう「ホメながらのマウンティング」というのは、一番タチが悪いと思う。なお余談だが、「ワンピース」というマンガの第一回目のタイトルが「その男ルフィ」だったのを目にした時、私はそこに「Van the man!」の影を強く感じたものだった。ではまたいずれ。読者のみなさんの日々のご愛顧おかげで、プレ200曲を大好きな曲で飾ることができたことを、最後になりましたが篤く御礼申し上げます。